『マチネの終わりに』第七章(39)
勿論、一本調子で状態が改善されてゆくわけではなかった。技術的にはまだ不安定で、上機嫌で練習を終えた翌日には、それに懐疑的になるほどすっかり落胆してしまうこともあった。それでも、最初に比べれば比較にならない進歩で、悪いなりに満たしている水準も確実に上がってきていた。
客観的に、蒔野は自分がどういうギタリストなのかを再認識した。
自分は演奏技術の特に運動能力の部分に関しては、ほとんど苦労知らずなほど、抜群の素質を持っている。練習が好きで仕方がなく、むしろ、努力をしないということにこそ、耐え難い苦痛を覚えるというのも、一つの性分だろう。そして、そのいずれもが、彼の音楽性の欠如が批判される際には、「確かに超絶技巧で、その鍛錬に余念のないことには敬服せざるを得ないが、しかし、……」と、皮肉な前置きとされるのだった。
それは、蒔野の何よりも癇に障る悪口で、若い頃はムキになって、「ヘタだと音楽的だ、人間味があるっていうのは、卑しい音楽観、人間観じゃないですか?」などと反論し、火に油を注いでしまったこともあった。
そんな昔話も思い出しながら、復帰に向けた練習が四カ月目に入ると、彼も主要なレパートリーを一曲ずつ仕上げてゆくことに時間を費やした。
長時間の練習は抑制し、極力、本を読んだり、絵を眺めたり、映画を見たりするための時間に当てた。バッハに関する本を集中的に読み、《フーガの技法》を中心に楽譜に目を通した他、洋子のアパルトマンで目にし、その後、買ったまま読まずにいた幾つかの本を手に取った。
蒔野は特に、初めて読んだルネ・シャールの詩集にのめり込んだ。ブーレーズの曲で、存在だけは知っていたが、難解なアフォリズム風の詩句が並ぶその本は、たちまち傍線と書き込みとで溢れ返った。
彼は特に、《イプノスの綴り》の中の次のような謎めいた一文に心を奪われていた。
〈明晰さとは、太陽に最も近い傷だ。〉
その言葉は、閃光のように彼を貫き、いつまでも強い印象を残していた。
第七章・彼方と傷/39=平野啓一郎
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