目では見えないものを見る

社会人になるにつれて、結果主義の世界になっていく

と、いう噂に戦々恐々としている社会人予備軍。
結果主義、成果主義は、昔からあんまり好きな概念ではなかった。根っからの安定志向で、普通が好きで真面目な人間には、合わない価値観だと思っていた。

今はどうかというと、
結論は同じ。だけれど、それに至る理由が大きく変わった。

今まで、自分のことを真面目人間だと思ってた。
たぶん、初見の印象なら客観的にも、真面目なタイプと見られると思う。
真面目をどう定義するかの問題かもしれないけれど、
私は、
真面目以上に、本質をみて判断する人間だった。
保守派かリベラル派かと言われれば、
中身次第で保守にもリベラルにもなる、という。
本質をみて、真面目にする時は真面目にするし、
変革すべき所は変革する。

だから、結果主義については、
本質を知ろうともせずに、表面的な結果だけで判断される、
このポイントが、1番自分に合わなかった。

でも、自分に対する認識が変わったことで、
年功序列の価値観も自分に合わないことがわかった。

結果主義でもなく、年功序列でもない、
私の価値観を、仮に「本質主義」、と名付けるとして、
(あくまでこの記事での仮称で、一般的な本質主義とは違います。)

1対1の場面で、相手に的確にアプローチできる人って、「本質主義」の人だと思う。
YouTubeで、あるオーディション番組をみた。
審査の度に、その道何十年のベテランが若手に指導を入れていて、すっごく厳しかったけど、全て的を射ていた。
1人ひとりをちゃんとみて、表面的な結果の奥にある、様々な要因を見抜いたうえで、問題の原因を突き止めて、的確に伝える。この過程が本当に一瞬だったからすごい。
その道何十年の技術があってこそだけど、それと「指導力」は全く別のスキル。ベテランであれば名指導者になれるとは限らない。

名指導者ほど、表面的な結果以上のことをみている印象がある。
なぜこの結果が生まれたのか。
その要因に何があるのか。
そういった「なぜ」をとにかく繰り返して本質を見定めて、本当に悪いのは何か、慎重に定める
間違っても、できないことが悪い、なんて安易に結論を出したりしない。
(いや、できないことが悪いかどうかを、場面によって判断し分けているのだろう。少なくとも現場では、できないことが悪いことだと知っているはず。)

結果とは、無数の要因が折り重なって積み上げられた末に、辛うじて表面化した氷山の一角。
目に見えない全体からすれば、ちっぽけな存在。

本当に大事なことは目に見えない、と言っていたのは、星の王子さまだっただろうか…。

悪いものを確かに見定める、というのは、本当に重要なスキルだと感じる今日この頃。
個人的に感じた不愉快の多くは、
ただの価値観の違いや、
ただの善意のすれ違いや、
何の悪影響ももたらさない、ただの存在、
そう判断できることがほとんどだから。

むしろ、こういうのを糾弾する行為は、
戦争における宣戦布告と同等の行為じゃないだろうか。

この点に関して、日本の支配的な考え方は驚くほどに、主観的な不愉快の感情に忠実だと思う。それも、他人の行動を縛り、矯正させる力を帯びるほどに。
自分の価値観にない人間を許容する器量が、ものすごく狭いのだなぁと感じる。そうではない人も、世の中にはたくさんいると思うのだけど…💦

「本質主義」的に考えて、本当に悪いものを、冷静に判断できる集団なら、きっと結果主義でも良い方向に活かせるんじゃないかなぁと思う。
けれど、日本の支配的な考え方がそうかといわれれば、正直疑問符である。

“敵を見誤るべからず”
なぜなら、重要なことこそ目に見えないのだから。

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