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その時あなたは何してた?: 1990年 合計特殊出生率1.54人

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過去を振り返った時、これって現在のこの事象の予兆だったんだと気がついたり、予見できたよね、対策できたよねと感じることがあります。その時には危機感がなかったのに。。。

1990年、あなたは何歳でした? この年の新語大賞は「ファジィ」、流行語大賞は「ちびまるこちゃん現象」でした。

主な出来事は、第1回センター試験実施、秋篠宮さま御成婚、イラクがクウェート侵攻、東西ドイツ統一、雲仙普賢岳噴火、即位の礼、秋山豊寛さん日本人初の宇宙飛行、、イギリス・サッチャー首相辞任、オグリキャップ・ラストランの有馬記念で有終などでした。

おっちゃんは、第1回共通1次試験の受験者だった(懐かしいな~大学受験)のですが、この年から「センター試験」と呼ぶようになったのですね。

1990年:「合計特殊出生率1.54人」

1人の女子が生涯に産む子供の数を見るには、本来なら毎年産まれてくる女子が高齢になるまで待って、その出生数の平均を求めなければなりませんが、合計特殊出生率で代替しています。

合計特殊出生率というのは、15歳から49歳の女子の各年齢別のその年の出生数の合計をあたかも1人の女子が生涯に産む子供の数とみなしたものです。

一人の女子が生涯に1.54人の子供を産むということは、人口の半分は男子ですから2人から1.54人しか生まれないということです。これが続けば、人口は必ず減るという数字です。

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合計特殊出生率の統計が、整備された1947年以降の出生数と合計特殊出生率をグラフにしました。1960年の合計特殊出生率は2.0、つまり2人から2人の子供が生まれる状態でした。

丙午(ひのえうま)年生まれの女性は、気性が激しく夫の命を縮めるという迷信は、昭和の時代になっても根強く、1966年の合計特殊出生率と出生数が極端に低いのは、この迷信のせいでした。

次の丙午は2026年ですが、令和の時代になっても迷信は信じられるのでしょうか?

さて、1947年の統計開始から1974年までの間で合計特殊出生率が2を下回ったのは、1966年の1.58を除くと、1961年の1.96、1962年の1.98の2度だけでした。

1975年以降、一度も2を超えない!

1960年以降で1年の出生数の最高は、1973年の2,091,983人でした。そこからは、グラフのとおり減少傾向が続いています。

1973年から1990年まで一貫して出生数も合計特殊出生率も減り続けているにもかかわらず、どうして危機感がなかったのでしょうか?

寿命が延びて人口が増え続けていた!

人口減少が数字で現れる2005年までの間、1975年から30年間、問題が先送りされても寿命が延びて死者数が出生数を下回ったので人口は増え続けました。

今でこそ企業は女性だけに育児を押し付ける働き方を変えようと、育休制度を男性にも適用するなどの子育て支援策を整えていますが、対策を先送りしてきたつけは大きかったと言えます。

2005年の1.26を底に合計特殊出生率は回復基調にあるものの人口減少社会を止める「2.00」は程遠い状況です。

じーじがエクセルの関数で単純な予測をしても2030年の出生数は、70万人になります。コロナ禍で出生数の減少は加速していると言われています。日本は大丈夫なのでしょうか?

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1990年に子供が生みやすい改革法案を通して、翌年に合計特殊出生率が2を回復したとしても、直ぐにはその効果が人口増や人口維持にはつながっていきません。

その年に生まれた子が、成人に達して、結婚年齢を迎えるようになって初めて効果が現れるのですから、1990年に手を打っても2010年以降にならないと効果は出てこない性質の話です。

今日対策しても効果は20年後というのが人口問題の難しさ⁉️

こども家庭庁が設立されましたが、事ここに至っては、人口減少社会を受け入れて縮小均衡でなんとかしようと、国民みんなが、合計特殊出生率2への回復は諦めてしまっているような気がしています。

にわとりが先か、卵が先かではないのですが、子育てを男性も責任を持つ働き方改革、ダイバーシティの推進、多様性に寛容な社会づくりが先か、子供を産んでもらうのが先か?・・・じーじは多様性に寛容な社会が先だと思うのですが。。。

1991年に予見していた人がいる⁉️

経営学者のピータードラッカーは、「自分には未来は分からない。だけど、既に起こっている未来はみえている。」と、1991年のハーバードビジネスレビューに寄稿したThe future that has already happened. と題する論文の中で次のように記述をしています。

日本のような先進国が直面している問題は、少子高齢化ではなく、人口減少だと1991年の段階で今日の問題を指摘しています。

「やがて退職年齢は75歳になるだろう、それは予測ではなく、既に起こっている未来だ」と30年前に言い切っていました。

1973年から1990年までの出生数、合計特殊出生率の動向を見て日本の課題の一丁目一番地は、人口減少だと考えることは、不可能だったのでしょうか?

じーじの場合は結果を知っている後出しジャンケンですが、1991年に既に起こっている未来を警告してくれていた人もいる訳で残念な気持ちです。 

政治のリーダーシップとは?

既に分かっている未来に対して、取るべき選択肢を示すことは政治家の重要な使命ではないでしょうか?課題を先送りして選挙に通ることを優先することではないと思うのです。

まずは、政治を変えるのが何より先かな???

1989年
1991年

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