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元小学校の先生が、教員をやめても読書をし続ける理由

3月に先生をやめてしまった、いわたつです。

ぼくは今日まで、なんのために「本はたくさん読むべき!」と思ってきたんだろう。

大好きな本。いろいろな本を集めても、「楽しい」という気持ちが、あるところから起きなくなったんです。

どうしてだと思いますか?



それは、読書を「焦り」のある中で常に取り組んでいたからです。



読書への衝動は「焦り」だった

「本を読まなければいけない」という衝動に駆られていたのは、

「焦り」

でした。


「同僚に負けたくない」

「もっといろいろなことを知っていなくちゃダメだ」


そんな気持ちでした。


ある程度は、それでも知識は入ってきます。


でも、自分の中で消化されず、「生きた知識」になっていっていないことに気がついたんです。


読書は「比べる」ための道具ではない


これは、誰かの批判ではなく、自分への戒めです。

だって、ぼくは、子どもたちに


「本を読むといいことがいっぱいあるよ」

「時間のある時は、(低学年の子には)字のたくさんある、9類の本にチャレンジするといいよ」


と常に言い続けてきたから。


しかし、自分はだんだん、「自分を他の人と差別化するための道具」として、読書を使うようになっていたようでした。


ぼくはなぜ、仕事をやめても、「教育」に関わる本を読み続けるのか?


もはやぼくは先生ではない。ここからしばらくは、戻らないかもしれない。でも、なぜ教育や教育を取り巻く社会に関する本を読み続けるのだろう。


1つの答えとして


知的に満たされた気持ちになるから



だとわかりました。

本を読むごとに、自分の中に本の世界や本に書かれていることを振り返ることができます。

そうすることで、自分に世界の新しい見方が1つ増えて、楽しいんです。


究極にいってしまうと、ぼくが本を読む 目的は、

自分で自分の知的好奇心をみたし、自分で自分を喜ばせ、自分自身の機嫌をとるため


これが、ぼくの読書理由です。


おまけ〜読書をする理由をかんがえたきっかけ〜


ぼくが、読書をする理由を考えるに至ったのは

最近話題の


「店長がバカすぎて」(早見和真:作)


を読んだからです。


ストーリー展開も最高、冒頭の痛快さも文句なしなのです。


でも、ぼくの心に刺さった一文は、主人公の書店員が次のように語ったところです。


好きな本たちに囲まれ、好きな物語を好きな作家から受け取って、愛すべきお客様のもとへ大切にお届けする。


主人公が、本を読む姿、それを振り返る姿を感じ、自分のことについても振り返ってみたくなりました。


ぼくにとっては


本を読む楽しさを振り返らせてくれる一冊


になりました。


今日もありがとうございました!


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