健康に穏やかに生きることに比べたら、激務の末の高年収なんて要らねぇ
健康に穏やかに生きることに比べたら激務の末の高年収なんて要らないですね。仕事激務はやばいですって!
いくらたくさん働いても体を壊してしまったら元も子もないですよ。健康はお金じゃ買えませんからね。
激務に耐えてそんなにたくさんお金を稼いで一体どうするんだって話ですよ。やっぱり人生余裕を持って生きないとダメだと思うんですよね。
余裕のない人生は何のために生きているのかすらわからなくなってしまうと思うんですよね。
そもそも働くことってそんなに大事なことなのでしょうか? 憲法には勤労の義務というのが定められているが労働が義務だなんて間違っている気もします。
昔ならともかく今はもっと自由であるべきだと思うんですよね。昔から働かざる者食うべからずなんて言葉もあるけれど、何で働かなかったら飯を食ってはいけないのだろうか?
あまりにも働くことを美徳としすぎている気がしますよね。働くっていうのは手段だって目的ではないと思うんですよ。そこを履き違えない方がいいと思うんですよね。
働くっていうのは人生を充実するための手段 ぐらいに思っていた方が良いと思うんですよね。
そして当然、働きたくない人も世の中にはいるわけですよ。働くよりも働かない方が幸せな人もいるんねすよね。
ということで働きたい人が贅沢をしたかったら働いたら良いんです。でも健康を害さない程度にですね。
まあさすがに働いていない人間が働いている人と同じ水準の生活をしたいっていうのは間違っているとは思いますけどね。そこは線引きをする必要がありますよ。
健康で生きれたらそれでいいと思うんですよね。健康でさえいればいくらでも人生チャレンジだってできますからね。
労働しているから時間がなくてチャレンジできない人だってたくさんいると思うんですよね。
なので健康であるっていうことは高年収のことよりもよっぽど大事です。 それに自分が進んで激務をやっているのと、やらされての激務だったら全然意味合いが違ってくると思うんですよね。
無理やりやらされての激務なんて明らかに可哀想じゃないですか。そういう 不幸な人が少しでも減っていったらなと思いますよね。
仕事をするにしてもやっぱりほどほどが一番ですよ。仕事ばっかりに時間を使ってると人生楽しくないです。
そして楽しい人生を送るためにもやっぱり健康な体というのが一番重要なんですよ。自分は仕事のことを生活費を稼ぐための手段としか考えていません。
それさえ達成できてしまえばあとは自由に時間を使っていきたいなと思いますね。自分、やりたいことがまだまだたくさんあるので、こんなところで立ち止まってなんてられないんですよ。
仕事にたくさん時間を割いてなんていられないんですよ。最後にもう一度言いますよ、仕事は生きるための手段でしかありません!
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