ひのはらの紅葉事情【檜原村こよみだより・10月】
10月に入り、檜原村では少しずつ紅葉が始まりました。
紅葉は、朝の最低気温が8~9℃以下になると始まるそう。つまり檜原村も、それぐらい冷え込んできたということ。(私の自宅は村内でも標高が高いところにあるので、10月に入ってすぐ、こたつ生活が始まりました。他の暖房器具はまだ用意できていないので、家ではだいたいの時間をこたつで過ごしています。笑)
私が勤める檜原村役場前の、10月21日時点での紅葉の様子がこちらです。最近は、退勤の際に協力隊の仲間と「こんなに赤くなったのかぁ」「あの木も色づいてきたねぇ」と、紅葉の具合を確認するのが日課になりました。
恥ずかしながら今まで紅葉のメカニズムを知らずに生きてきてしまいましたが、一念発起して調べてみたところ、綺麗な紅葉が見られる場所の条件としては、「適度な水分」と「昼と夜の寒暖差」が大事なのだそうです。
適度な水分が必要なのは、乾燥しすぎると紅葉する前に葉が枯れてしまうから。渓谷のある檜原村は湿度が高く、適度な水分がある地域だと言えるでしょう(逆に言えば、湿気の多さゆえに家の中でいろいろなものがカビてしまうのが難点ですが……)。
寒暖差が大切なのは、葉を紅く染める「アントシアニン」という色素が、葉の中にたくさん溜まるようにするため。アントシアニンは、昼間に日光によって生成されますが、夜も気温が高いままだと、徐々に消費されていってしまうのだそうです。なので夜に気温が一気に落ちる場所では、夜間のアントシアニンの消費活動が鈍くなり、葉の中に多くの色素が残るため、葉が深みのある赤色になるのだとか。
檜原村は、山に囲まれ、昼と夜の寒暖差が大きい地域。適度な水分と昼夜の寒暖差、2つの条件を満たす檜原村は、特に紅葉が美しい地域だと言えそうです。
一方で、檜原村の山林に生えているのは、多くがスギやヒノキなどの針葉樹。紅葉しない木々なのです。スギなどの針葉樹は戦後、家屋の材料として大量に植えられましたが、現在は安価な外国材の台頭によって価格が暴落し、採算が取れないために放置されてしまっているスギ山がたくさんあります。
檜原村ではそんな山々を、紅葉の名所にしようと活動している方たちがいます。その代表的な団体の一つが、「人里(へんぼり)もみじの里」。人里地域周辺の山々の針葉樹を伐採し、モミジ、サクラ、ツツジなど紅葉や花を楽しめる木々を植える活動をしている、地元住民の方々を中心とした団体です。驚くべきは、もみじの里ではプロジェクトの完成予定が100年後に設定されていること。
木が育つのには時間がかかります。太くて立派な木になるには、数十年~100年かかることも。もみじの里の中心メンバーは60代~70代ですから、自分では木が立派に育った姿は見届けられないかもしれません。それでも、今、木を植える。それは、自分たちがいなくなったあとも、人里地域が栄えていてほしいから。
そんな思いのもと、急斜面の山に道を作り、大きな針葉樹を切り倒し、重い苗を何本も担ぎながら、どんどん木を植えていっているもみじの里の皆さんは、本当に、かっこいいの一言です。
実際、人里地域の山は、今までは暗いスギ林だったところが切り拓かれ、小さな苗木が季節ごとに色づきを見せる、とても可愛らしい山になってきています。自然は神が作ったものだ、とはよく言いますが、人間の手でもこんなに大きな、そして美しい景観を作れることに、もみじの里が管理する山を見て、本当に感動してしまいました。
もみじの里の皆さんは10年以上かけて、複数の山でこうした景色を作ってきたといいます。
私は檜原村に来る以前は、都心のベンチャー企業に勤めていました。どんどん加速する世界の変化にいち早く対応し、事業を展開していくベンチャーの世界では、あらゆるものが目まぐるしいスピードで移ろっていきます。事業の方針も、プロジェクトも、チームの編成もです。その分刺激的でもあるのですが、思考が短期的になってしまいがちだったり、1年、2年という単位ではどうしてもできることに限りがあったなぁと、今振り返ると思います。
だからこそ檜原村に来て、村の人たちの思考や視線の「長さ」にとても驚かされるとともに、心が震える思いがしました。1年、2年という時間軸ではなく、100年、200年という時間軸で仕事をする。そうすることで、一見不可能に思われるようなことでも、可能になってしまうんだ──そんな風に、人間の力を改めて実感したような気がしたのでした。
もみじの里では今年も、11月からモミジやサクラなどの植樹作業を行うようです。実は、私が住んでいるのも人里地域。100年後の世界に思いを馳せながら、私も植樹作業のお手伝いに伺いたいと思います。