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【エッセイ】一人称がない

日本語って
一人称が死ぬほどあって面倒くさい。

学生の頃に本気でそう思っていた。

というか今でもそう思っている。

英語なら”I”で全てが済むし
ドイツ語なら”Ich”さえあれば完璧。

何で日本語だけが
こんなにもややこしいのか。

私はしっくりくる一人称を持っていない。

仕事の時は”私”という。

先輩や目上の人と話す時は
”僕”と言うこともある。

では友人と話す時はどうか。

出来るだけ一人称を
使わなくて良いような話し方をする。

やむを得ない時は
”私”と言ってみたり
自分の名字で
自分を呼称することもあるがまれだ。

”俺”という言葉は恐らく発したことがない。

一番しっくりこない。

何でそうなってしまったのだろう。

幼いころは自分のことを名前で呼んでいた。

でもあるときそれが変なことだと知った。

確か小学生の頃に

「あー!今自分のこと名前で呼んだ!」

とからかわれたような記憶がある。

「何でこんなにもたくさん
 一人称が存在しているくせに
 名前で呼ぶのは変なんだ?」

別にそんなこと
思わなかったとは思うけれど
それから自分のことを
何て呼べばよいか分からなくなった。

前述のように自分の立ち位置が
明確であればそれに合わせた
一人称を使うことが出来る。

仕事の場だとか立場が下だとかそういう時。

「私」という曖昧な概念が
何かの枠にはめられて形を持った時。

私は何者かになることが出来る。

でも対等な人と話すとき。

ラフな状況で話すときは
どの一人称を使えばいいか分からない。

実家で家族と話すときは
”わし”とか”わたし”とか言ってる気がする。

ちょっとふざけまじりに。

甥や姪と話すときは
「ひろくんはさー」とか自分で言っている。

男でもないし女でもない。

ゲイかもしれないけど
それを受け入れられていない。

自分が何なのか分からない。

なんでいちいち性別で一人称を分けるのか。

日本語を作った人に問いただしたい。

考えすぎなんだと思う。

でもそういう思考回路に
育ってしまったからどうしようもない。

今のところ一番使いやすい一人称は”私”だ。

文章を書く時も”僕”より”私”が落ち着く。

男でも女でも使う一人称だからかな。

どちらにもなりたくないのかもしれない。

よく考えたら
男なんだからとか女なんだからとか
そういう思考回路や発言が嫌いだ。

だから
性別を明確にしてしまうような一人称が
苦手なのかもしれない。

自分自身のことについて
曖昧な部分が多い。

でもそれでも良いと思う。

何でもかんでも白黒つけたがるな。

グレーに生きても別に良いだろう?

所詮人間が作り上げた言葉で
仕分けしているだけなのだから。

答えや結論ばかり求められても困る。

分からないことだってたくさんある。


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