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【エッセイ】母の料理と息子の料理

子供のころよく
料理もどきをして遊んでいた。

キッチンの引き出しにある
粉という粉を混ぜ合わせ
適当に卵やら水やらを配合。

そして焼く。

固まることを諦めた物体。

どろどろ。

当時の私の頭の中には

「混ぜて焼く」

しか調理法が存在していなかった。

とても食べられたものじゃあない。

なんとか食べようとするも
結局は廃棄していたような記憶。

そんな時でも母は
私のことを叱らなかったように思う。

子供の頃は基本的に放って置かれていた。

あれするなこれするな。

別に言われた記憶はない。

母はあまり細かいところを指摘したり
注意したりするような人ではなかった。

その代わり

ため込んで

ため込んで

爆発させる。

ある日の夕食。
ご飯をみんな残していた。
たぶん美味しくなかったからではない。
お菓子食べちゃったとか
ダイエットだとか。

そういう類の理由だろう。

いつもは穏やかな母。

ブチ切れる。

「怒らんと思っていい気になりやがって!!」

”なりやがって”

である。

恐怖。

私は四人姉弟の末っ子長男である。

いつもはこういうことに
ならないように母の機嫌を取るのだが、

この日はもう手遅れだった。

もくもくと食事をする私に

「ご機嫌取りで食べんでもいい!」

と一喝。

別に機嫌取りだけではなくて
単純にご飯食べたかったんだけどな。

その後どうなったかは記憶がない。

恐怖の記憶だけが
私の心に焼きついている。

ちなみに普段言いたいことが言えなくて
ため込んで爆発するという性質は
私が見事に受け継いでいます。

毎朝早く起きて
必ず作ってくれていたお味噌汁。

お弁当のおにぎりの海苔は
いつもしけってしわしわで。

甘く焼いた卵焼きは
私の好物のひとつだった。

そんな風に母が作ってくれた
料理を思い出して懐かしむ。

それを何十年も続けることの
大変さを大人になってやっと理解する。

私は大人になって
母に料理をふるまうようになった。
(もちろん父や姉にも)

アジの南蛮漬け、豚バラ大根、焼きそば

その他。エトセトラ。

わたし作①

「それ取って!あれどこにある??」

30代半ばになっても
子供みたいに騒がしく
キッチンで暴れまわる私に
はいはいと調味料やらなんやらを
差し出す母。

いつか爆発するのかしらとびくびくな私。

なんて嘘。

たぶん喜んでくれている。

そういえば私の作った料理がいつの間にか
母のレパートリーに加えられていた。

何かしてもらってばっかりだったけど

何かしてあげられるように

少しはなったかな。

あなたにもらったものを
少しでも返せるように。

そして笑って喜んでもらえるように。

また何か新しいレシピを持っていこう。

お母さん

「混ぜて焼く」以外にも

たくさん調理法を覚えたよ。

わたし作②


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