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#エモいってなんですか?〜心揺さぶられるnoteマガジン〜

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理屈ではなく何か感情がゆさぶられるそんなnoteたちを集めています。なんとなく涙を流したい夜、甘い時間を過ごしたい時そんなときに読んでいただきたいマガジンです。
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#小説

『雨とビールと丸メガネ』 【ショートショート】

 雨音が動悸を加速させる。彼女に会うのは久しぶりで、少し早く着きすぎてしまった。傘を買うまでも無いか、と梅雨の雨脚を舐めすぎた。店に着くやいなや雨は激しさを増し、もうこの店を出させまいと、雨粒混じりの風が店の窓を勢いよく殴る。  「お一人様ですか?」  「いえ、後から一人くるのですが、大丈夫ですか?」  「はい、ご案内致します」  愛想のいい女性店員は若干濡れた私の髪や服を見て、  「ギリギリセーフでしたね」  と言ったが何のことかわからず、不思議そうな顔をしていると、  「

ラブホテルに愛なんてないよ

相方は眠ってしまった。コンビニで買った、小さな日本酒の瓶を抱えて。ここら辺の相場よりちょっと高いよ、と言っていたラブホテルの一室。換気扇の音がうるさくて、スイッチを探した。 ラブホテルは、とても素晴らしいと思う。ラブホテル、という響きに、人々はあまりいい顔をしないけれど、今まで彼氏との貧乏旅行で泊まってきたホテルを思い出すと、あれならラブホテルの方がよかったな、と思ってしまうことが多々。ちなみに、彼氏と泊まった部屋のことは全く覚えていないくせに、毎回違うラブホテルの場所も、

世界の片隅で見つけた美味しい月

ずっと月を眺めている。 今、自分が見ている月は数時間前には地球上の別の場所にいて、そして数時間後には別の場所に、満ちたり欠けたりしながら姿を現す。 北半球と南半球で三日月の欠け方が違うことを今まで気づかなかったなんて言ったら笑われるだろうか。 それぞれが見上げる月の下では、全く異なる時空の『今』が流れている。月を眺めている『今』は自分の今日であり、誰かの昨日であり、さらに誰かの明日でもある。 人は月を通して自分の中を覗く。そして、どこかに置き忘れていたものをふと思い出

あれが夢なら

夢の中で兄は小説家になった。自分の本業のお菓子屋の店舗の前において少しずつファンが付き、実際に書籍化までされたのである。 その売り方がすごかった。まず、お菓子を求めて買いに来るお客と、その小説を求めてやってくるお客は完璧に棲み分けされていた。お菓子を買いに来る人の手は、男女ともに細く、マニキュアを塗っている手など一つもなく、清潔感が染み付いたような白い白い手だった。逆に、小説を手に取るひとの手は浅黒かったり、大きな深い傷跡があったり、派手なネイルが指から3cm以上せりだして

【小説】桜木町で、君の姿を

私の名前は「あみん」 変わってる名前だ。 親が昔はやった歌手から名づけたのだ。 一番ヒットしたのは『待つわ』という曲。 サビの歌詞はこう。 両親的には 忍耐力のある子に育つようにとの思いをこめたらしい。 そのせいもあってか 私は待つのが得意だ。 今日も私は待っている。 何を? 私の“運命”の人を。 私の運命の人は この桜木町のどこかにいるかもしれないのだ。 範囲広すぎ? そうかもしれない。 それでも私は待ち続ける。 奇跡が起こるのを。 * あれは今から三年前

感情のワンメーター

「割増」の灯るタクシーを停める。 タクシーに乗り込み、ふと考える。 運転手の隣に表示される料金メーターが、感情の解像度だとしたら。 メーターが上がるごとに、解像度が上がる。 解像度の数字が上がるというのは、ぼんやりとしていたものがはっきり見えるようになる、といったところだろうか。 粗かった画質が、どんどんと鮮明になるように。 抽象的だったものが、だんだんと具体的になるように。 詳しくはわからないが、そう定義する。 初乗りの420円から、感情は始まる。 腕時計を見る。 深

いとしき隣人へ

ずいぶん前のことだけれど、そばにいてくれるだけでいい人がいた。 話を聞いてくれるだけでいい。 ご飯を食べるときに同じテーブルにいてくれるだけでいい。 横断歩道のないところを一緒に渡ってくれるだけでいい。 泣いてる私のとなりに座ってくれるだけでいい。 文句の止まらない私に大量の副流煙を吸わせても、やる気が出なくてもだもだしている私にスマホゲームの音を聞かせても、締め切り前に必死にレポートを終わらせようとしている私の目の前で寝ていてもいい。 そこにいてくれるだけでいい。 私に

小説   『センセイ』

4月、わたしはセンセイを嫌いだった。 3月、わたしはセンセイとキスをした。夕方の理科室で、14年の人生で初めてのキスをした。 区で一番ダサいと言われた制服のプリーツスカートが揺れていた。身長145cmのセンセイの茶色いボブヘアに、そのとき初めて触れた。 あの春、確かにわたしとセンセイは恋をしていた。 * 月曜日の22時すぎ。シンクにたまったお皿を見て、腕まくりをする。 子ども用のウサギの絵の皿に、カラフルなスプーン。無印で買った木のお箸が、白いマグカップにいくつも刺さっ

現実とフィクションのあいだを甘い酒に繋いでもらうよるに。

きみが泣いているのを初めて見た。 正確には、音声通話なので「聞いた」なのだけれども。その光景は私の眼前にあり、それでいて触れることが叶わないくらい遠くだった。耳に押し込めたイヤフォンを、更にぎゅっと押し当てて、私は彼の小さな息遣いが、どうか聞こえるようにと願った。 頭の中で素早く計算する。日本の時間では、3時23分。彼は未だ眠っていなかった。最初に、短いけれど乱暴なほどに自棄な言葉の並んだテキストと、追いかけるように今度はやけに弱々しい言葉が並ぶ。こんなにへなへななきみは

誰々みたいに書きたい

 僕は太宰になりたい。私は谷崎みたいになりたい。自分は。あたしは。  そうやって、誰かになりたい、誰々みたいに書きたいと言ってものを綴る人の態度が、私は嫌いでした。  その誰かはもう存在するのに、そんな誰々になって、いったいどうするんでしょうか。それにそもそも、その誰々と同じように書くなんてことが、本当にできるでしょうか。自分はその誰かではありません。同じように綴ろうとしたって、それがなんでしょう。誰も太宰にはなれません。谷崎のようになんて、紡げるはずがありません。三島な

タバコと万華鏡

我々は、心の通った人たちの落とした欠片を拾い集めた集合体に過ぎない。 元恋人が貸したまま譲ってくれた部屋着のパーカーを今も着ている。 ウォークマンに入れられた、自分では聞かないようなロックを今も口ずさんでいる。 使っていたいい匂いのする柔軟剤。ピアス。電話ぐせ。思いの伝え方。 上手な別れ方。 人は裏切るということ。 小さなころは世の中の嫌なことに逐一傷ついていた。 人は生まれながらにして、誰かに教わるでもなく裏切り方を知っているが、裏切られることに対して我々はあまりに

2011年3月24日に死んだ男の話

その人は 静かで穏やかな人だった その人は 黒縁の眼鏡をかけていた その人は まあそこそこ整った顔をしていた その人は 聡明で物知りだった その人は 日本や海外の文庫本を沢山持っていた その人は いろんなジャンルのレコードやCDも沢山持っていた その人は 一本のアコスティックギターを持っていた でも弾けなかったらしい その人は 自分の姉の娘を可愛がりいつも優しかった その人は 車を走らせ一度だけその娘を海まで連れて行ってくれた その人は 当時小学生だった娘のどうでもいい話をニ

宵の明星、地下5mの水脈【 #教養のエチュード賞 応募作品 】

夕飯までの少しの時間、私は娘をつれて公園まで散歩に出掛けることにした。もうすぐ冬至、まだ16時前だというのに随分と太陽は西に傾き冷たい風が頬に触れた。外はさむい。それでも「今日は自転車に乗りたいの」と言う娘は出がけ前に手袋をさがしだす。 まぁそんな時に限ってなかなかみつからないのだが。 出てこない手袋にすこしがっかりした様子の娘だったがそれでもめげず、素手でハンドルを握ると、ひょいと元気よくサドルにまたがった。 「あんまりスピード出すなよ。」 言いつけを守り、ゆっくり

笑えた。

死にたくなった。 深夜の学校で女子高生が飛び降り自殺。 何とも芸術的。 屋上から街を見下ろす。 ある路地裏に能面が見えた。 こちらをずっと眺めている。 深夜の学校で女子高生が飛び降り自殺をしようとしているのを見ている、能面を付けた男。 何だか笑えた。