見出し画像

平和のこと(長崎市生まれ)

小5長男が「音読」の宿題があるから聞いてねと、ハンバーグの種をコネコネする傍らで、読み始めた。題「たずねびと」。

・・・とても上手だ。学校の放送委員でも楽しく上手にやってるに違いない。

「楠木アヤ」ちゃんという11歳の女の子の名前を(同名の「楠木綾」ちゃんが)原爆供養塔納骨名簿のポスターに見つけて立ち止まるシーンから。

11歳、5年生。私自身を振り返っても、5年生は多感だった。クラスにいくつかある女子グループの中では、入れ替わり立ち替わり「あの子を無視」みたいな小さないじめがあった。いじめる側にも、いじめられる側にも、なったし、それは、陰湿というより、軽い遊びの延長のような、だからこそタチが悪かった。と、今は思う。誰かを、何かを排除しようと、自分とは異質だと、それとも、苦しく悲しい気持ちを上から見下ろしてクスッと笑うような、、、本当にそれは遊びでは済まされない。「相手の立場に立ちましょう」「みんな仲良くしましょう」のような道徳の授業は当時あったかな、いっさい記憶にない。

長男5年生。音読の声は、幼さが混じりながらも、太く堂々とした勢いがある。息子は明らかにクラスの女子より、当時の私より幼いけれど、毎日の学校の勉強も、運動も、活動も、遊びも、ゲームも、全力投球で、無邪気で、友だちにいつも囲まれていて信頼が厚く、○○長(リーダー)のようなものにもよく選ばれている。いいなあ。平和。

当時、私や一部の女子の「小さな遊び」を親は知る由もなく、言うことはもちろんなく、無視されて学校に行きたくなくて休み時間が怖くてたまらなくても、誰にも言わなかった。

その音読の中の少女が広島の原爆のことを知ったように、長男もまた、小4の時に長崎市の原爆資料館へ行った。夏休みの課題で調べてみようと、私が「敢えて」連れて行ったのだ。もちろん、物心ついた頃から彼は「人の役に立つ仕事がしたい、医者とか科学者になって人を助けたい、平和な世界が続くように僕が出来ることをする」等のことを言っていたので。何となく感じるものがあるのかなあと。

音読を終えると「音読カードにチェック(保護者のサイン)しててね~」とサラリと言うので、「それはそうと、○○は、この話を読んで何を感じたの」と尋ねた。家族6人分の大量のハンバーグを丸めながら、ちょっと真剣に母さんが問うので、ハッとしながら、幼いながらも、ひとつひとつ言葉を選びながら、彼らしいコメントが出された。

人生に正解はない、白黒も、賛否も、どっちかひとつの解などないと思っているけれど、これだけははっきりしている。戦争はダメだ。絶対にダメだということ。息子たちに繰り返し、何が何でも伝え続けなければならないのは、戦争はしてはならないこと、世界で戦争がなくなるように、貴方は何ができるのかと問い続け、考え続けてもらうことを。戦争、闘争、喧嘩、いじめ、みんな一緒。ダメだ。

「たずねびと」の音読を聞きながら、わたし、涙を抑えるのに、必死でした。戦争のことを考えると、なぜか、まるで経験したかのように身に迫るものが、昔からあるのです。

ずっと一生、ハンバーグが美味しく食べられますように。世界中の食卓でも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?