ひまわりさいた

東京都在住の34歳会社員です。 現在結婚2年目 2020年9月から体外受精開始。 2…

ひまわりさいた

東京都在住の34歳会社員です。 現在結婚2年目 2020年9月から体外受精開始。 2回目の治療で2021年1月妊娠確定。   21週で死産に至るまでの記録です。

最近の記事

3年過ぎました。

あれから3年過ぎました。 今の状況は、一歳半になる息子と、7月に産まれてくるお腹の中の子と、主人と過ごしています。 まるちゃんには毎日話しかけています。 今でもふと、ごめんね、という気持ちと、あの時もっと妊娠中の体のことを理解して、大事にしていればという後悔が湧いてきます。 毎日のしんどいストレスからは、逃げる事も大切だということを、まるちゃんが教えてくれたんだと思って前を向いていきます。 これからも一緒だよ。まるちゃん。

    • 赤ちゃんの居ない産後休暇中

      出産後56日間の産後休暇。 もう、妊婦じゃないんだと認識するのが辛くて、起き上がりたくない日も朝9時までには起きるようにして、毎日の晩御飯作りやその他の細々した家事。 次の妊娠に向けて少しでもストレスを減らそうと、前からしたかった転職活動に、 パソコンスキルアップに、副業に、 休みを有効に使おうと、これでも頑張っているんだけどな、、 夫は日々のちょっとした不満がたくさん溜まっていたみたいです。 自分がその立場だったら気にしないだろうなということも夫にとってはストレスだっ

      • 最後の対面

        出産後の容態はよく、翌日退院になり、二日後に葬儀に行きました。 前日に、よく行くお花屋さんで選んだ、男の子に合わせたブルーのお花と わたしの好きなひまわりを棺に添えました。 とても小さな赤ちゃんだったので、収骨できるのか不安でしたが 午前一番の暖まりきっていない火葬炉なら大丈夫とのことでした。 堪えた涙で視界をにじませながら、細く小さな骨を僅かながら 拾うことができました。 葬儀はあっという間におわり、骨壷を持ち帰りました。 これでこれからもずっと一緒にいられ

        • 静かな赤ちゃんと対面

          私も夫も立ち会い出産と、赤ちゃんとの面会を希望で意見が一致していました。 分娩台に移動してからは、あっという間でした。 10分少しで産まれてきてくれました。 お産直後は朦朧としていましたが、しばらくすると助産師さんが、赤ちゃんを包んで運んできてくれました。 6ヶ月間、エコーでたくさん見てきた赤ちゃん もう今しか会えない赤ちゃん 無事にお産が終わった安堵と、 産声をあげることもなく、静かに眠る赤ちゃんに対面し 色々な感情が混ざり合う、言葉で表現しきれない気持ちに

        3年過ぎました。

          出産

          入院3日目。 朝ごはんを食べ終わると、間もなく午前中の処置に呼ばれました。 子宮口は3cm程度開いているけど、子宮がまだ奥にある。 先生の判断のもと、陣痛促進剤を入れることになりました。薬を取ってきてもらっている間、一回部屋に戻りまた直ぐ呼ばれました。 いよいよこれから本番だな、、 初めての出産に、更に緊張感が増してきました。 10時15分。1回目の陣痛促進剤。 3時間ごとに薬を入れて、だいたいの妊婦さんは2錠目で出産する事が多いと言われていました。 夕方ごろに

          行き場のない悲しみ

          入院当日。 PCR検査を終え、夫と一緒に部屋で今後の話を聞きました。 葬儀屋さんにも来て頂き、火葬の予約も取りました。 シャワーを済ませ暫くすると、1回目の子宮口を開く処置が始まりました。 内診のグリグリと、ラミナリアが1本の20分位の処置でしたが、 経験した事の無い痛みと違和感で、 冷汗が止まりませんでした。 その後は、子宮口が開く鈍痛のような痛みと、 死産した悲しみが、じわじわと押し寄せてきました。 2日目は午前にラミナリア5本、夕方に11本入れる処置を

          行き場のない悲しみ

          21週と3日。

          迎えた超音波検査当日。 この日は、週一回指導にいらっしゃるという、ベテランの先生による エコー検査が始まりました。 お腹にエコーを当て始めて間もなく、 「FDかもしれません」 同席していた助産師さんが、 いつもの担当の先生に電話しています。 「〇〇さん、FDかもしれないです」 何のことを言っているのかは、緊迫した空気でわかりました。 一度ベッドから起き上がると、 先生が静かに口を開きました。 「残念ながら、赤ちゃんの心臓が動いていません」 可能性がゼロでは無い

          僅かな希望も散った日

          その日が近づくにつれ、ソワソワ、鬱々、 大丈夫大丈夫! 押し寄せる色んな感情を押し込めながら、 その日を待ちました。 5月7日。羊水検査結果日。 「陰性でした」 ほんと!?よかっ、、、 陰性という先生の言葉に安心する間も無く、 エコーで赤ちゃんの臓器の検査が始まりました。 羊水検査でわかるのは、あくまで染色体異常。 やっぱり、その他に何かあるんだ。。 エコー検査をしながら、曇ってゆく先生の表情。  心臓、脳、胎盤、、、20分程度見ただけでも異常がみられます、、

          僅かな希望も散った日

          待つしか出来ない3週間

          トリプルマーカー検査の結果は1/74。 高い確率と考えるか、そうでないと考えるかはそれぞれ人によって。 すでに17週と6日を迎えていたので、 確定検査を受けるかどうかの判断に、 時間の余裕はありません。 その場で夫に電話し、2日後に羊水検査を受けました。 羊水検査は流産などのリスクもあるので、 検査の一週間後に、赤ちゃんの様子をみる検査に行きました。 ちゃんと心臓が動いていて、一安心。 でもやはり赤ちゃんがかなり小さい。。 もしも陽性だったら? 13トリソミー、18

          待つしか出来ない3週間

          真っ暗なトンネルの中へ

          妊娠検診としては2回目の、4月7日。 4月からは異動されてきた男性の先生に担当が変わりました。 妊娠週数を順調に重ね、夫と出生前診断をしておこうか、と話していたので、 当日先生に伝えると、検査後に採血をしトリプルマーカー検査を受ける事ができました。 結果は一週間後との事。 つわりで体重が2キロ減っていた事と、 赤ちゃんがちょっと小さいと言われた事が気になり、なるべくしっかり食事をとることを意識しつつ過ごしました。 そして一週間後。 一応のつもりで受けたトリプルマーカー検

          真っ暗なトンネルの中へ

          つかの間の安心

          急に出たこの鮮血は何!? 自分で色々調べてみたものの、不安が拭えず病院に電話してみることに。 翌日、診察してもらえるとになりました。 結果は絨毛膜用膜炎かもしれない、との事。 胎盤の脇にエコーではっきりわかる程の、 血液の固まりが確認されました。 妊婦さんに稀に見られる症状で、 大概は自然吸収される。 腹痛や血液の量が増えたりしない限り、 様子を見るしかない、と言われました。 赤ちゃんは変わらず元気に動いていて、 初めて心音を聴かせてもらいました。 生きていてくれてる

          つかの間の安心

          妊娠初期 全てが初めて

          最初の妊婦検診は女性の先生で「赤ちゃん、よく動いているわねー」と言われながら、エコーを見せてもらうと赤ちゃんが脚をばたばたとさせていました。 かわいい!! 2頭身くらいの頭でっかち。細い手足が生えていて、あの受精卵だった小さな命が少しずつ人間の形になってきているんだと感動が押し寄せました。 しかしその数日後、事件は起こりました。 2月24日仕事帰り、自宅最寄り駅に着き、電車を降りようと立ち上がった瞬間、お尻から何かが流れ出たのを感じました。 何。。。生理はもう来ないは

          妊娠初期 全てが初めて

          自己紹介と妊娠までの道のり

          都内在住の34歳会社員です。5歳年上の旦那さんと二人暮らし。 随分前にこのnoteのアカウントを作り、 正直なところ、たまに開いては数記事読む程度でした。 でも今回noteを使い記事を書こうと思ったのは、私自身、自分と同じ様な状況に遭遇した方たちの記録に大いに助けられたからです。 お腹の中にいた赤ちゃんの為の情報を得る手段の一つとして、 他のお母さんやその家族が記した実体験を読み、参考にさせて頂く事や、 同じ様な辛い経験をしても乗り越えている方達がいるという事を、 SNSを

          自己紹介と妊娠までの道のり