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自分を隠さない

わたしにはふたりの姉がいて、わたしは今でも姉たちが大好きだ。

歳の離れた上の姉は小さな頃わたしが嫌いだった。
本人から漂う空気で幼いわたしも感じていた。
なんでお姉ちゃんはわたしを嫌いなのか。
知りたくて、姉の留守の間に部屋に忍び入り何でかを探っていた。
これは本当に嫌がられていた笑

姉が20代に入った頃から関係は変わった。
姉の恋の話を聞いたり、姉に連れられていろんなところへ行った。
初めての原宿、初めてのライブ、初めてのカウンターのお寿司屋さん、初めてのドライブ、初めての美術館などなど、とても楽しくてその後のわたしの人生のベースを授けてくれた。

姉はいう。
◯◯が嫌いだった。ずるいと思っていた。いなくなっちゃえと思ってしまった事もある。でもずっと羨ましかった。

わたしは姉になりたかった。
母に大事にされている姉が羨ましかった。
姉がわたしを好きになってくれたら、母は私を好きになってくれるだろうか。
私の心はいつもそんなことを考えていたと思う。

2番目の姉は発達がゆっくりで、母はよく、よく怒っていた。
今の時代に子供だったら、姉は違う人生を歩むことになっていただろう。

母が姉を怒るから、わたしは彼女みたいにならないようにしないと。と思っていた。
怒られているのを見るたびに、わたしは自分が怒られている気持ちになっていた。
姉をちゃんとできるようにしてあげないと。と、必要以上に構っていた。

大人になった姉は、大きな企業で勤続年数数十年と、母にとっての誇りになった。
けれど姉はどれもに関心はない。
彼女の関心ごとはいつも自分。
その世界観が素晴らしく羨ましかった。

母はわたしとの関わりにあまり記憶がない。
ボヤッと分かっているのは、母は勤続年数、収入、安定、普通の結婚。これが女の幸せで人生で大切なこと。と、姉たちに言っていたことだった。

子供の頃、勉強も運動も習い事も上2人とは別だった。
習ってないのに一番できたわね〜、と、母は口癖のようにいう。褒められてるとは思えていなかった。
記憶の中では無表情だった。

言われた通りにしたくて、リクエストに応えたい一心でやっていたつもりだった。

19才の時に交通事故に遭った時、母はわたしを受け入れられなかった。避けていた。
そこからの3年間の記憶がわたしはあまりない。

それからは母の言うことを聞かず、自分のリクエストに応えていった。
周りが変わった。見えるもの、感じるものが変わった。日々が楽しかった。

母は20代で誰も結婚できていないことを延々に言い続けていたから、わたしは20代で結婚をして、子供をふたり産んだ。
心から初めて母に褒められたことだったと思う。

母の愛はわたしと距離を置くことなんだろうと、子供達が成長してきて感じている。

父の愛は母を尊重する。
ゆえにわたしと父はあまり話したことがない。けれど、わたしのことをそのまま受け止めてくれていたのは父であると今でも思う。

わたしはいまも決断をするときは母には言わない。
必要以上に心配され、肩に力が入ってしまう。

姉たちは、あなたらしい、そう背中を押してくれた。
いつになったら、わたしは対等に扱われるの?と、言い放ったことを今でもよく覚えている。
やっと彼女たちに追いつけたのかもしれない。

空気が読めない、楽観的すぎる、自信家、鈍感。他人に言われた傷付く言葉達笑
これが、わたしの良さだ。
空気が読めないから雰囲気や仕草や音で察知する力がついて、究極の鈍感力で自分を信じている。

これは生まれ育った家族たちからのわたしへのギフトだ。
愛しています。

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