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しまった、また思ってしまった

迂闊でした

本当に、迂闊でした。私は、Noteのよいところを、全然わかっていなかったことに気付かされました。

気づいたこととは、「自分が言葉を発信することで、自分にとってもさまざまなポジティブな情報が入ってくる」ということです。

先日はじめて自分のNoteを投稿してみて、朝起きたら、嬉しいことに何人かの方に「スキ」をしていただきました。投稿するんだからそりゃそうだろう、という感じですが、相手の方にリアクションをされると、どんな方に読んでもらえたのか気になって、その方のプロフィールや投稿を見に行きます。

そこで出会う素晴らしい言葉の多いこと。

NoteやSNS、あるいは何かしらのアウトプットをやっている方にとっては、当たり前のことかもしれませんが、あまりそういうことをしない私は、誰か一人にでも自分の言葉が伝わればいいと思っていたため、この事実が完全に頭から抜けていました。

「スキ」を下さった方、私に素晴らしい気づきをくださって本当にありがとうございます。

迂闊と思った本当の理由

でも、私が迂闊だと思ったのは、上記の理由だけではないです。

私には、この留学期間中、自分に課しているちょっとしたルールがあります。それは、

「自分のこころに正直に行動する」

ということです。もう少し意識的な書き方をすると

「自分が直感的にやりたいと感じてしまったことを、いろんな理由をつけて制御しない」

ということです。

人間、気持ちが弱っている状況になると、何かしらの理由をつけて行動をしないという選択をすることが増えると思います。その理由とは、時間的・金銭的な制約だったり、他人の目あるいは社会的な体裁であったりします。

でも、行動してみたら、そんな理由大したものでは無かった。むしろいいことばかり起こる。そのいいことが新しいいいことを呼んでポジティブなサイクルに入ることだってあります。

もっと言えば、その行動を行為として誰かに届ける、あるいは、人目に触れるところでやる、ということも非常に大事に思います。正直な思いが行為として形になったものは、不思議と新しい出会いを呼んでくれると思っています。事実、私は今回Noteを通じて、新しい情報や自分の気持ちの変化に出会うことができました。

私はこの「ポジティブサイクル」の生み出し方を大学生のときに学びました。実は、大学時代にも今回の留学と似たようなことをしています。アルバイトをかけもってギリギリのお金を貯め、大学を休学して、1年弱カナダにワーキングホリデーにいっていました。ワーキングホリデーと聞くと少しチャラチャラしたイメージがあるかもしれませんが、私にとっては孤独の連続の日々でした。留学ではありませんので、同級生もいませんし、自分の社会的地位をわかりやすく示す学歴も所属もありません。加えて、お金が全然ないものですから、不安でいっぱいになります。その不安をシェアする相手もいません。そんな時に、歯を食いしばりながら意識していたのが「思ったことを行動に移す」ということです。

結果的に、かけがえのない友人も出来ましたし、現地のコミュニティにも入れました。アルバイトを得て英語でお金を稼ぎ、そのお金で大自然を見に行くという経験もしました。何より、自分というものをとても好きになることができました。

家族を置いて、仕事から離れて、時間を過ごすことは、自由ですが、同時に孤独です。だから、私は思ったことをしっかり行為として示していくことを、ここでまた意識したいと思っています。

今回は、「初めてNoteで投稿して思ったことを投稿したい」と思いました。とはいっても、やらなければならない準備もたくさんありますから、迂闊だと思いました。

自分のこころに正直になることの難しさ

ただ、上記の経験から10年以上経って思うことがあります。それは、

自分のこころに正直になることが非常に難しい

ということです。なんでしょう。やはり「大人になってしまった」ということでしょうか。

私はその事実に、気の合う会社の仲間と一緒におこなった、アートを生かした取り組みを通じて気がつきました。マインドフルネスやコーチングにも繋がるとても面白い取り組みだったので、ここでシェアしたいと思います。

その取り組みとは複数人でやるのですが、「あるテーマについてを、絵やコラージュで自由に表現してみる。」そして、「出来上がったものを見て、どんな感情の創出や変化があったのかを感じとり、それを言葉にして、他の方に伝えてみる。」「聞き手は、話し手の創作物とその説明を聞いて感じたこと・聞いてみたいと思ったことをコメントしたり、質問したりして、対話を深めていく」というものです。

その時の私たちのテーマは「自分」でした。そして、私が描いた絵がこちらでした。

なんでしょうこれは(笑)
描き終わって思いました。これは「自分」ではない、と。というか、もはやこれは絵でもコラージュでもないかもしれません。白い紙を渡されて、その「中」で描くことから、もはやその紙すら、形を変え、貼る対象にしてしまいました。

どういう思考でこれを作成したのか、というと、実は「自分」は描こうとしませんでした。そう考えると、手が一切動かなかったため、「自分が思ったことに忠実にならって描いてみよう」と思ったのです。内容ではなく、プロセスに着目してみた形です。そうして、自分の心情や思考に意識を向けてみると、こんな思いに気がつきました。

  • そもそも紙は四角い必要があるのか?

  • 切れ端として残ったものをキャンパスにしたらどうなるか?

  • というかキャンパスは、始めに与えられた白い紙でなければいけないのか?そこにある新聞紙ではダメなのか?

そう思ったのなら試してみよう。そうして出来上がったのが、写真の創作物です。わたしはこのワークを通じて、いかに自分が日頃、自分のこころを制御して行動している、あるいは何かしらのバランスをとりにいっているか、ということに気がつきました。例えば、細かい絵は、細いペンで書いた方がわかりやすい。空は青、草は緑、火は赤、などです。そしてそれは、実はこころのどこかでつまらないと思っている「制限」のような感じがしたのです。

私は決して、「人に迷惑をかけてでも好き勝手にやり放題やればいいのだ!」とまでは思っていません。リスペクトは大切ですし、するのもされるのも心地がいいものだと思います。ですが、もし人に迷惑がかかるから、それが当たり前だから、と思うが故に、ただちに行動をしないというのは、少しもったいないような気がします。ヒトに迷惑がかかると思うのであれば、敬意をもって迷惑かどうかを相手確認すればいい、そう思えることが「行動力」につながるのではと思っています。

自分らしい働き方は

私ははじめての投稿で、「人が自分らしく働けるにはどうしたらいいか」を学んでいきたいと書きました。実は、一つ仮説的に思っていることがあります。それは、「自分のこころに正直になって働くこと」です。

Noteの世界にも、正直な思いをつづって、自分らしさを体現している、結果的にそれが仕事にまで繋がっている、という方を沢山見ます。

しかし、特に組織のような世界では、なぜかそういうことが難しくなってしまうようです。それは、組織の何かが自分の正直なこころに気づけなくさせているのかもしれませんし、気づけたところでそれを発揮する場がないのかもしれません。あるいは、思いや場が一時的にはそろったとしても、それが長続きしない、ということもあると思います。そのあたりは、もっと考察が必要ですが、組織が自分のこころに正直に行動できない場所なのであるならば、なんだかそれはとてもさみしいです。

そんなモヤモヤを抱きながら、今回の投稿は以上としたいと思います。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。よい一日を。

#ビジネスサイコロジー #心理学 #社会人留学 #初投稿 #考え方 #マインドフルネス #アート
#コーチング

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