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脳死でも母は生きている。

脳外科医の先生の説明は、とてもわかりやすかった。

脳に管をいれ、髄液を出し水頭症になるのを防ぐ手術が一つ。そしてカテーテル治療を用いてする動脈瘤を閉塞するコイル塞栓術が一つ。

どちらも命を救うために、とても大切な手術だった。

それが4時間に及ぶ手術の主な内容で、この手術を成功させること、それが一番の目標だった。

手術室に入る前に母の顔が見れると看護師さんに言われた私は泣きながら母を待ち続けた。

ようやく手術の準備が整い、母が台車で運ばれてきた。

目を瞑っていたが声をかけた途端、片目が開いた。
早朝以来、初めて応答してくれた姿が見れてとてつもなく嬉しかった。
手術が成功して、また母が戻ってくる気がした。

しかし、これが母が目を開けた最後の瞬間になった。

4時間の手術の最中はただ祈ることしかできなかった。この先のことを考えることすらも怖くて、とにかく父と妹に早く日本へ来てもらいたかった。

4時間後、無事に手術は成功し、一命を取りとめた。あとは母の意識が戻るのを待つだけだった。

これからはリハビリ生活になるのかな。意識が早く戻るといいな。

そんなことを考えていた矢先だった。

手術を終えた30分後、病院から電話がかかってきた。

脳浮腫が薬だけでは抑えきれず、もう一つ脳に管を入れてもいいかという確認の電話だった。

そしてまた、すぐに病院へ呼ばれた。

先生は母の瞳孔が両目とも開いてしまった、と私に伝えた。信じたくなかった。

手術の影響で脳の腫れが急速に起こり、管を通したもの、潰れてしまい
脳の圧迫で脳幹が傷ついてしまったということだった。

それは「脳死」を物語っていた。

先生はもう長くは持たないから、大切な人は来てもらったほうがいいと伝えた。

絶望的な瞬間だった。

面会を許してくれた病院で私は、初めて母の術後の姿を見た。

どれだけ声をかけても応答しない母。
頭は傷だらけで、顔も手も浮腫んでいた。
でも、手はまだ温かかった。

母の心臓はまだ動いていることが心電図モニターで確認できると、
まだ生きている、そう思えた。

奇跡を信じたいと初めて心から思った。

その日の夜は、一人で眠れなかった。

いつ鳴ってもおかしくない電話と
家族を失いたくない不安でおかしくなりそうだった。

夜が明けて起きた瞬間、今までのことが夢ではなかったことに
また苦しくなった。

翌朝、また面会のために病院へ向かった。

止まらない涙を流しながら、母の手を握ることしかできなかった。

この時くらいに気がつき始めたのが、
私は悲しみを他人と分かち合うことが下手くそで、
いつも母と二人になりたい、と思うのであった。

誰かが泣いているのを見ると、
どこか冷静になってしまう自分が増えていた。

それとともに、自分の中で感じている孤独が大きくなっていった。











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