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私を見つけてほしい

皆さん今日もお疲れさまです。早紀子です。

私の人生は一体何だったのか。
夢かそれとも幻だったのか。
いや、そんなはずはない。
だって今でも、今だってこんなに苦しいのだから。

私は子供の頃から虐待を受けていた。
親から愛情を感じたことなど一度だってない。
怖い。怖い。怖い。
とにかく孤独だった。
理不尽だった。
すがりつく場所さえ無かった。
甘えたかった。
母親と手を繋ぎたかった。
祖父母からおやつをもらいたかった。
でも私を待っていたのは
アルコール・性依存症の祖父
蒸発した祖母
認知症の曾祖母
毎日大声で怒鳴り散らす父
兄を殴り飛ばす父
世間体ばかりを気にする母
幼い私に「うるさい」「泣くな」と往復ビンタをする母
腹いせに私をいじめる兄
幼少期のことを思い出すと未だに涙が溢れてくる。
そんな6人家族だった。
小学校の運動会には両親とも来なかった。
写真を取ってくれるのはいつもクラスメイトのお母さん。
中学3年の進路相談に母は来なかった。
「もう決めたからいいよ」と言ったが
本当は来てほしかった。

そんな生活が高校生になり終わりを告げた。
曾祖母と祖父が死に
4人家族になったからだ。
でも苦しみは続いた。

そうして大学。
社会福祉士になるための1ヶ月の実習は地獄そのものだった。
とにかく何も教えてもらえない。
教えを乞うても「そこ、邪魔」と言われ
社員全員から無視され続けた1ヶ月だった。
私の名前すら覚えてもらえない。
毎朝、毎朝「おはようございます」と大きな声で挨拶した。
返事が帰ってきたことはない。
まさにいじめそのものだった。

それでも私は福祉の仕事がしたかった。
自分にはそれしか出来ないと思っていたし
福祉の現場仕事に従事する人々を尊敬していた。
だが入社後もっと酷い、いじめにあった。
自分だけがターゲットになった。
誰も庇ってくれなかった。
新入社員の私を助けてくれなかった。
ずっと見てみぬふりだった。
上司も、管理職も。
わざわざトイレの個室に入るよう言われ
その日の失敗を1つも取りこぼすことなく執拗に責められ
他の職員の仕事の失敗を押し付けられた。
職員・利用者全員の前で立たされ怒鳴られる。
私の公開処刑は恒例行事となっていた。
真夏の入浴介護で熱中症になった。
でもそれでも「言い訳するな」と言われ
毎日業務後は柔道の受け身を何時間もさせられた。
介護技術向上の一貫だと言われた。
私の心は死んでいた。壊れていた。
そんな毎日が当たり前だと思いこんでいた。
初めて過呼吸を起こした日、
父親は「それが社会だ。甘えるな。」と言った。

仕事は異動願いを出した。
そしたら私をいじめていた本人も同じ部署に異動願いを出していた。
やっと終わったと思っていたのに。
もう耐えられない。
仕事を辞めざる負えなかった。
訴訟を起こそうとしたが相手が悪かった。
金を上司に渡していたのだ。
だから無断欠勤もいじめも何でも許されていた。
裏社会の人だった。
もし訴訟を起こそうもんなら私の命は無い事がわかった。
部長に何度も謝られた。
でも「謝罪することだけが上司として出来る限界だ」と言われた。

私は社会が怖くなった。
人が怖くなった。
組織が怖くなった。
社会が信じられなくなった。
家族も信じられなくなった。

でも私は諦めること無く
社会に出ること、仕事をすることを
チャレンジし続けた。
だが代償は大きかった。
職場で一言も話せ無くなった。
いつも以上にコミュニケーションが取れない。
どう頑張っても無理だった。

そしてひきこもりになった。
ひきこもりは地獄だ。
フラッシュバックするのだ。
あの日、あの時。
言われた言葉が蘇る。
言い訳も出来なかった。

人生こんなはずじゃ無かった。

今、私は孤独だ。
本当の孤独とは何か。
それはしんどさを解ってもらえないこと。
ずっとそばに誰かが居てほしい。

誰にも分かってもらえない傷だらけだ。
泣いている理由さえ分かってもらえない。
家族が居ないから。
実家とは絶縁した。
後悔なんて一切ない。
だけど
認めたくないけど
寂しい。

だから私は「大丈夫?」と聞かれるのが大嫌いだ。
お願いだから気軽に「大丈夫?」と聞いてこないでほしい。

大丈夫なわけなんて無い。
涙が止まらない。
前に進めない。














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