早紀子

ようやく諦めがついた人生。ひきこもり。 発達障害(ASD)と精神疾患をもつアラサー30…

早紀子

ようやく諦めがついた人生。ひきこもり。 発達障害(ASD)と精神疾患をもつアラサー30女です。 個人ブログ(HP)を作ってブログ活動をしていたのですが、このたびnoteも始めました。 ひきこもりならではの気持ち、独特な考え、共感してもらえると嬉しいです。

最近の記事

変わりたくない、変われない自分

私は真面目すぎるのだろうか。 私は臆病者なのだろうか。 私は役に立たない人間なのだろうか。 もともと低い自己肯定感がさらに低く成り下がった。 ようやく、やりたい仕事が見つかって行動して叶ったにも関わらず たった3日で辞めてしまった。 なんて根性無しなのだろう。情けない。 でも辞めたことに後悔はない。 あんなところでしがみついたところで 私の性質が腐っていくだけだ。 チャレンジしなければわからない世界だった、ただそれだけのこと。 そう、ただそれだけのこと。 なのに、今の

    • 私へ

      夜中に目覚める。 居ても立っても居られない。 布団から身体を引き剥がす。 部屋から漏れそうな泣き声を押し殺す。 冷たい床から伝う空気に足元はかじかむ。 涙があふれる夜はつまづいた記憶を呼び戻す。 醜い自分を見たくないから電気は点けられない。 そんな私にも生きる理由ができた。 それを伝えるには あまりにも当たり前で 小っ恥ずかしいから言わない。 うれしいのに涙があふれるのは 自分が歩んできた道のりがちゃんとあったから。 消えたい気持ちは変わらないけれど ここで諦めたら 今

      • さよならばかりが好きすぎる

        わたしは簡単に、とても簡単に生まれた環境を呪う。 ありのままでいい。 死にたいなんて思わない。 そのままの自分でいればいい。 そう思える日はいつになったらくるのだろう。 自分が死んでもどうでも良い。 でも、周りには生きていてほしい。 そんなエゴばかり望んでいる。 私は「さよなら」が好きだ。 人には直接「さよなら」を言いたい。 また明日、と言えることがどれほど幸せなことかもよくわからない。 不感症なのかもしれない。 私は幸福を感じづらい。 それは今に始まったことじゃな

        • 年末年始が嫌いな話

          ずいぶんお久しぶりです。早紀子です。 この投稿を読んでくださる方がいればいいな、と思います。 私は皆が浮足立つ年末年始が大嫌いである。 それは何故なのか。 「今年も何も成し得ることができなかった」という 罪悪感と焦燥感に心が支配されるから。 何もできなかった自分自身に腹が立つ。 ただ、時を戻せるとして何かが出来たのかと問われると 答えはきっとこうだろう。 何もできない。 今、年末を迎えて嫌でも一年を振り返るような機会が多い。 テレビなんてもん見てられない。 この気持ちは地

        変わりたくない、変われない自分

          独身子無し30女の宿命

          私は独身。子どもはもちろん居ない。 そんな三十路女だ。 周りを見渡すと30歳を迎えた女性の殆どは 結婚・出産している。 話の合う友人なんて1人もいない。 私は強い女性ではない。 キャリアウーマンでもない。 ただの引きこもりの私には そんな周りの女性達が眩しく、時に羨ましく映る。 そうしてだんだん自分を憎く思えてくる。 私には何もない。 いつか、いつか・・・。 と、言い聞かせて毎日を過ごしているが 一体いつまでこのまま孤独でいるつもりなのかと絶望するのだ。 私に、私が理想

          独身子無し30女の宿命

          今日くらいいいじゃないか

          私は最近こう思う。 もう、今日くらいいいじゃないか 今日まで頑張って生きてきたんだから、と。 この命は私のものだ。 使い方は自身が決めるのだ。 もう我慢なんてしなくてもいいじゃないか。 握りしめた幸せをわざわざ手放さなくてもいいじゃないか。 決して離さない、そう決めたっていいじゃないか。 見下ろしてきた世界はそんなに悪い世界ではない。 最近少しそんなふうに思えるようになってきた。 そんな気持ちを大切にしたい。 うまくいえないけれど 出会えない人や物、 出会えなかったはず

          今日くらいいいじゃないか

          誰にも言えないこと

          こんばんは。早紀子です。 皆さんには誰にも言えないことってありますか? 人生それなりに生きてりゃ、 誰にも言えないことの1つや2つありますよね。 私にもあります。 誰にも言えないこと。 ブログでなんでも書いているように見えるかもしれませんが そんな事はありません。 なんでこんな目にあわなければいけないのか どうしてこんなに自分は弱いのか そんな事ばかり考えてしまうことだって多々あります。 誰にも言えないことを自分の心の内に抱えておくのって ものすごく、ものすごくしんどい

          誰にも言えないこと

          不甲斐ない私とくだらない夜を越す

          今日も夜が明け、朝が来た。 なぜこうも毎日無意味な朝がくるのか。 なぜこうも毎日無気力なのか。 正しい命の使い方もわからない、そんな不甲斐ない私の日々。 声を出して笑っていたあの頃を思い出すたびに私は悲しくなる。 一瞬の幸せがあろうとも あとは大体不幸せ。 そんなくだらない日々に耐え続けている。 本当に叶えたいことは何だったのか。 それすらも分からなくなっている。 世の中は残酷でつまらない。 そんな自分の世界を変えたくて必死にもがいている。 なんとしてでも笑いたくて必死

          不甲斐ない私とくだらない夜を越す

          私が死にたい理由

          私は物心がついた頃から常に死にたいと思っている。 死にたいと思うことは何も辛くない。 過去のトラウマ・いじめを受けたこと・家庭環境 死にたいと思うきっかけは数え切れないくらいある。 私にとって死にたいという願望は最早デフォルトである。 喜怒哀楽死 衣食住死 そんなところだ。 人と関わらなければ比較的穏やかな希死念慮だが 人と変われば関わるほどに希死念慮は大きくなる。 誰かに止められて消えるものでもなく 自分で消せるものでもない。 きっと私は一生「生死」と向き合って 生

          私が死にたい理由

          私が泣く理由

          私は泣き虫だ。 何故こんなにも生きづらいのかと涙が出る。 一体どこから私の人生が狂ってしまったのかと涙が出る。 どうしてこんなにも我儘なのかと嫌になって涙が出る。 お金がない自分がとても情けない。 現状、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。 就職しない、できない自分が情けない。 社会不適合者とは私そのものだ。 泣くことは悪いことじゃない。 そう。 だけど、泣いたら自己責任。 自分で泣き止む必要があるのだ。 一体どうしたら良いのかわからない。 ただただ涙が溢れてくる。

          私が泣く理由

          愚痴聴き家オンライン窓口

          私の長年の夢であった「愚痴聴き家」。 それをNPO法人ウィークタイ様が本格的に形にしてくださいました。 https://t.co/CUjyPOsGLw ↑のリンクから直接「愚痴聴き家」オンライン窓口に飛ぶことができます。 ぜひご活用、シェア、いいねなどなど・・・ よろしくお願いいたしますm(_ _)m

          愚痴聴き家オンライン窓口

          焼いた橋を修復中な私の話

          私は人との関係をすぐに断ち切ってしまう癖がある。 それは人との距離感がうまく掴めないからだ。 距離感が近すぎたり遠すぎたり 人との付き合いというのはとても難しい。 でも最近、心の底から孤独になってから気が付いた。 私は人が恋しい。 今まで焼いてきた人への橋をもう一度修復したい。 そう思えるようになってきた。 今まで自分から縁を切ってきた人がたくさんいる。 その人達に謝ろう。 そしてもう一度 あの頃のようにとまでいかなくとも 友達として、知人として 自分と関わってもらいたい

          焼いた橋を修復中な私の話

          ひきこもりの私が言われたくない言葉

          こんにちは。お久しぶりの投稿となってしまいました。早紀子です。 今日はひきこもりの私が身内や他人から 言われたくない言葉をご紹介したいと思います。 必死になって絞り出した言葉や日常の些細な一言まで様々なので 少しでも共感していただけたらうれしいです。 他人から言われる言葉とひとことで言っても 誰に何処で言われる言葉の事なのか シチュエーションが異なるので場面ごとに分けて書きたいと思います。 まずは身内(家族)編。 何気ない家族との会話にはたくさんのNGワードが

          ひきこもりの私が言われたくない言葉

          理想と現実のギャップが私を苦しめる

          ここ最近私にしては割と忙しい日々を送っておりまして疲労困憊でした。 「忙しい」の基準は人それぞれですから、ね。 私にとっての忙しいは単純なものです。 「頭を使う」とか「誰かと話す」とか。 それだけでも十分「忙しい」のです。 それに加えて体調とか気温の変化とか重なり、参りました。 だからブログの方になんぞ来れなかったですよね。 突然ですが、私は幼いころから「考えること」が趣味でして。 ボーっとする時間がないくらい 今も寝ているとき以外は何かしら考え事をしていま

          理想と現実のギャップが私を苦しめる

          居場所はいくつあっても足りないくらいだ

          お久しぶりです、早紀子です。 今日のブログのテーマは自分が持っている(生きている)世界のお話です。 私はひきこもりであろうがなかろうが 生きるには幾つもの居場所が必要だと考えています。 例えば学校でのいじめ。 子どもにとっては学校が社会の全てです。 生きる社会が学校しか無ければ「いじめられている自分」しか存在しません。 地域内・学区内で習い事をしていたって同じ学校の子がいれば行きにくくなりますよね。 じゃあ大人になれば生きる社会が広がるのかといえば案外そうでも

          居場所はいくつあっても足りないくらいだ

          私の孤独はどんどん深まっていく

          私は孤独だ。 実の家族からは愛されず育ち 学生の頃は個性大爆発、友人は殆ど出来ず 社会人になっても困難ばかり。 結果ひきこもりだ。 でも心のどこかで私は孤独を望んでいる。 不思議だ。 寂しくてたまらない夜のほうが多いのに 虚しくてたまらない早朝のほうが多いのに 「1人でいさせてくれ」 「構わないでくれ」 と心の奥底で思うことがある。 だから無意識のうちに人を遠ざけている。 人から遠ざかっている。 何故なのかはわからない。 傷つきたくないから 裏切られたくないから 期待し

          私の孤独はどんどん深まっていく