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理想と現実のギャップが私を苦しめる

ここ最近私にしては割と忙しい日々を送っておりまして疲労困憊でした。

「忙しい」の基準は人それぞれですから、ね。

私にとっての忙しいは単純なものです。

「頭を使う」とか「誰かと話す」とか。

それだけでも十分「忙しい」のです。

それに加えて体調とか気温の変化とか重なり、参りました。

だからブログの方になんぞ来れなかったですよね。

突然ですが、私は幼いころから「考えること」が趣味でして。

ボーっとする時間がないくらい

今も寝ているとき以外は何かしら考え事をしています。

両親と愉快な仲間たち(同居人)は

私の事を幼いころから空気のような扱いでしたから

家での居場所なんてのは無かった。

加えて友達もいなかったので

3・4歳の頃からほぼ毎日一人遊びをしていました。

本は好きでしたが、一人で読んでるという状況を

幼いながらも客観視してしまう自分がいて

なんだか寂しくって大きな声で音読してました。

でも喉がしんどくなるのですぐ辞めてました。

別に本が特別に好きなわけじゃなかったんですよ。

暇つぶしが本くらいしかなかっただけで。

それじゃあ、何をしようかと。

で、夢中になっていたのは1人5役の家族ごっこ。

配役は忘れました。大変ですよw1人で5役は。

セリフが多いったらありゃしない。

息吸う暇もないですからw

内容はね、割と大人びてましたねw

小さいころから変な子ですよね、そりゃこうなるわ私。

そんな風に、わびしくも私の想像力と創造力が育っていきました。

今の教育って遠目で見てもどこか想像力を求める風潮あるじゃないですか。

でもね、想像って理想なんですよ。

想像力っていうものは結局は自分の過去の経験や知見でしか

未来を推し量る事は出来ないんです。

一方、創造力は新しいものを0から1を作り出す力のことです。

世間の一般常識と言われるものに囚われることなく新しい発想をすることです。

想像力と創造力、同じ読み方でも意味合いは全く異なります。

創造力の教育は大歓迎。しかし、想像力は身に付けすぎてしまうと厄介です。

そしてとても危険な力になります。

私は極めてしまったんです。想像力を。

義務教育と高等教育終えた自分の中には

大きく立派な想像力という理想像がものの見事に育っていました。

わびしくも立派に育ててしまった理想が

社会人になった私を追い詰め、大いに苦しめたのです。

社会人になった時の私の第一声はずばり

「思っていたもの(理想)とちがう」でした。

そう、どの教育段階でも、身近にいた大人は皆揃いも揃って

「現実」という残酷さを教えてくれなかったのです。

理想と現実のギャップは自分ではどうしようもない。

埋めようにも埋められないんです。

現実を知り、心がボキボキにへし折られようともすぐに心が切り替わって

前向きにはなれるほど私は強くない。

むしろ前向きになろうとすればするほど気分は落ちるし、

ネガティブシンキングが止まらない。

ネガティブからのポジティブは険しい険しい茨の道。

絶壁をよじ登るようなものです。ね、危険でしょ?

だってむやみやたらに前向きになろうとすればするほど

今絶賛ネガティブなのに無理やり前へ踏み出そうとすればするほど

一歩でも足を踏み外してみなさいよ。もう元の世界には戻れない。

そうして何回も心が死んだ私が見つけた安全な道。

それが、ネガティブな自分を受け入れる事。

「今自分は何もできない。誰の役にも立ててない。どうしたらいいかもわからない。」

「今の自分は思い描いていた理想の自分とかけ離れ過ぎている。

自分が自分に腹が立つ。でもこの気持ちは誰にもわかってもらえない。」

「でもまあ、いっか。」って言うのです。思うようにしてほしいです。

魔法の言葉であり、呪文のように言い聞かせてほしい「まあいっか」。

これが理想と現実のギャップを受け入れる近道です。

私は「まあいっか」と思えるまでに何年もかかりました。

今でも思える時と思えない時があります。

だって、もともと「まあいっか」と思える性格なら

今よりも、もう少し器用に生きれていたかもしれない。

でもね、少しずつでいいから魔法の言葉を使いながら

人への依存を少なく、理想への憎しみを少なく、

自分の人生を楽なものにしてあげてください。

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