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【第一話】探偵は甘すぎる~限定スコーンでアフタヌーンティー

【あらすじ】
「あの、探偵さんは幽霊とか呪いとか、そういうのを信じたりしますか?」

その日、朝日野探偵事務所を訪れた依頼人・時透かなめが口にしたのは「閉じ箱の呪い」という不可解な言葉だった。

看護師として彼女が関わった旧家の当主の死から続く不審な出来事。
通夜の翌日に亡くなった当主の妻。
初七日の法事で救急搬送された主治医。
その傍には寄木細工の箱がひとつ置かれていたという。
四十九日の法要を前に、探偵である朝日野譲治と助手の月影静佳が調査に乗り出す。

はたして、甘いものをこよなく愛する四十路の探偵と探偵助手は、スコーン偏愛の看護師が持ち込んだ『呪い』を解明することはできるのか?

<それは果たして呪いなのか>

 罪の告解はいつも、真に懺悔すべき相手から遠い場所で行われる

 *

「あの、失礼します。メールで面談の予約をしていた時透です」

 その日、西日が差し込む朝日野探偵事務所を訪れたのは、一見すると年齢不詳の女性だった。

「ようこそいらっしゃいました」

オレは目元と口元をやわらげてほのかな笑みを浮かべつつ、やわらかさを意識した口調と声音に親しみと礼儀正しさを添える。

「時透かなめさんですね。私は探偵の朝日野譲治。こっちが助手の月影静佳です。どうぞ、あまり緊張なさらずにこちらへ」
「ありがとうございます。よろしくおねがいいたします」

 小柄で華奢な印象に妙な貫禄が同居するその顔には、緊張以外に濃い疲労が見て取れるが、精神的に参っているかと言えば、そこまで追い詰められている様子はない。
 しかも、一礼して顔を上げた時にはもう、彼女から目に見える緊張はなくなっていた。
 昭和レトロと言えば聞こえはいいが、明らかに築五十年を超える建物の、さらに二階へと臆せず上がり、かつ、礼節あり。
 実に不本意ながら一見華奢な優男と判じられるオレに比べ、その内面に反比例するほどに圧感を与えがちな巨漢の静佳へも物おじしない程度には肝も据わっている。
 年季の入りすぎたソファセットに着くまでの立ち振る舞いも観ていたが、極力物音を立てないように動く姿に加え、視線が周囲を満遍なく巡らせる。好奇心や警戒心の色はなく、なんというか自然体で安全確認や状況確認をしていた。

 調査票への記入を促し、少しクセのある文字で綴られた内容を確認し、その理由に納得する。

「時透さんは看護師でいらっしゃる?」
「はい。実は今回、こちらにお願いしたいことは私の仕事とも関連しているというか、少々込み入った事情があるのですが……」
「メールでは、不審な出来事に対する調査とのことでしたね。改めて詳しいお話を伺わせていただきましょう」
「はい。先日、私の勤める診療所の患者様の葬儀があったんですが、その前後から身の周りで気味の悪いことが続いておりまして。お屋敷の方々の不安を払拭するため、代理で私からこちらの探偵事務所に調査を依頼する運びとなりました」

 そこで一度言葉を切った彼女は、こちらの目を見ながら、小さく首を傾げた。

「あの、探偵さんは幽霊とか呪いとか、そういうのを信じたりしますか?」

 いきなり話の方向性が変わった。

「幽霊、ですか?」

 身の回りで起きる不審な出来事の調査依頼に、なぜ幽霊や呪いという単語が混ざり込んできたのか一瞬理解できなかった。
 依頼人に対して頭ごなしの否定はしないが、信じているとも伝えられない。

「あいにく私自身は経験がないのでなんとも」

 言質を取らせないように言ってみれば、彼女も心得ているらしく微笑む。

「探偵さんも、そんなこと言われても困りますよね。私もです。呪われてるとか祟られてるとか言われてもピンときませんもの」

 そう前置きしてから彼女より語られたのは、『閉じ箱の呪い』という怪談めいたものだった。
 静佳が記録しているのを視界の端に収めながら、先を促す。

 時透が務める遠野医院という診療所では、野山に囲まれた屋敷――西園寺家まで訪問診療を行っているという。
 地名を聞き、たしかあそこは、都心部から電車を乗り継ぎ、さらにバスを利用してたどりつけるような田園風景の残る土地だったと思い出す。

「うちの院長先生が主治医をつとめておりまして。ご当主様の容態がかなり深刻な状況にまで落ち込んだところで、もってあと数日とお伝えに。先生の見立てを聞いたご家族の希望もあり、看取りまでの期間、私に泊まり込みを依頼されました。本来、これはうちの業務ではないんですが……」

 わずかに苦笑めいた色が乗る。
 場所柄、その地区の病院の類は彼女の勤める遠野医院一か所だけだ。
 スタッフも看護師は時透ひとり。
 にもかかわらず泊まり込みを依頼できるということは、無茶を通せる程度には、そのお屋敷とやらは周囲に影響力を持っているらしい。

「身体管理と日常生活のケアをはじめとする介護と、痛みを取るための点滴の管理を行っておりました。その合間でいろいろなお話を聞かせていただくことも多かったです」

 やわらかな声とおだやかな微笑み。
 相手に警戒心を持たせないふるまいは、生来のものか、磨いた技術か。『安心感』というヴェールをまとってケアを行う――死の淵に立つ者には、まさしく白衣の天使といったところか。

「実は、ご当主様がお亡くなりになる前、あ、いえ……意識がもう少ししっかりなさっていた時にも、私が行くと、"自分は天罰が下ったんだ"“呪われた”とおっしゃることが多かったんです。特に雨の日にはそれが顕著で」

 あげく、彼の枕元にいつの間にか置かれていた小さな寄せ木細工の箱を見て、怯えるそぶりもあったという。
 誰かが自分を監視している、そこから音がする、と。

「天罰に呪いですか……それを聞いて、あなたはどう思われました?」

 あえてそう問えば、彼女は、やんわりと微笑んだ。

「看護師はある意味“科学者の視点”でモノを観ます。よく病院って怪談ネタに事欠かないって言われますけど、実際になんかあったとかはないですし」

 だから、彼女としては、いわゆる心霊現象にまつわる訴えも、基本的には病気の症状や薬による副作用である可能性が高いと踏んだらしい。

「このことは院長先生にも伝えましたし、薬剤調整のご相談などもさせていただきました」
「それがなぜ呪いの話に?」
「実は、ご当主様の葬儀を終える前に、奥様の美和子様もお亡くなりになりまして」
「……ん?」
「お通夜の席で、夫と最後のお別れをしたいと親族の方にお話をされていた奥さまが、翌日自室でひっそりと息を引き取られていたんです。傍らには、ご当主様の枕もとにあったものとは別の寄せ木細工の箱が置かれていました」
「……中には何が?」
「空っぽでした。しかも、その箱の持ち主が誰なのか、いつ持ち込まれのかもわからないままです」

 ただ妻に目立った外傷はなく、通夜にも参加していた遠野院長がおそらく心不全だろうと診断したことで、混乱はありつつも何とかその時は収まった。
 だが、初七日を迎える段階で今度は法要に訪れた院長が倒れ、都内の病院へ救急搬送される事態となった。その傍らにもやはり寄せ木細工の箱が置かれていたことから、いよいよ西園寺家の空気は重苦しく不穏なものへと変わってしまう。

「それで生まれたのが、“閉じ箱の呪い”という言葉ですか」
「そうなんです。院長先生が救急搬送されたのは、もともとご高齢だったせいもあると思うのですが、それすらも呪いが原因じゃないかと」

 当主もその妻も病死であると明確な結論が出ているにもかかわらず、『寄せ木細工の箱』というアイテムが不気味な存在感を放つ。
 さらに、時透自身も、思い返せば確かに介護をしていた当主の部屋や自分の待機部屋で正体不明の音を耳にしていたのだと告げる。
 日本家屋特有の何かかと思い、気にも留めていなかったが、不幸が続き、家の人間がお化けとか幽霊とか祟りとか目に見えないものに怯え始めると、さすがに不安を覚えたらしい。

 得体のしれない不安は、正体のわかっている恐怖以上に周囲へ伝播していくものだ。
 集団パニックとでもいうべきだろうか。
 そのうえ、西園寺家にとって重要な書類が収められた金庫の鍵も紛失しており、緊張感もいや増しているとなると、疑心暗鬼も生まれるかもしれない。

「おかげで、ご当主様と妻の美和子様の四十九日の法要まであと数日ですが、次は何が起こるのかと皆さまも怯えきっているのが現状です。憑かれたとかは考えたくないんですけど……こういうの、警察で扱ってもらうのは難しいんですよね」

 話し終えた時透は、やはり困ったように微笑んだ。
 確かに、警察へ訴えたところで取り合ってもらえるかどうかは微妙なラインだろう。

「ところで、あなたは西園寺家の代理としてここに来ていただいたようですが、実際の依頼主はどちらに?」
「今回の依頼主は、次男周午さまの長女、ご当主様にとっては孫にあたる西園寺羊子さまです」

 本家には他にも、当主辰彦の長男拓巳、妻まどか、その子どもである申がともに住んでいるというが、そう告げた彼女の言葉に何かしらの含みが見えた。
 長男と次男が健在でありながら探偵への依頼は孫娘という点にも何かしらの歪みを感じる。

 診療所はどうしているのかと聞けば、院長が救急搬送されたタイミングで診療所は休診。そのうえで、都内の大学病院に勤める孫の玲が帰郷し、西園寺家への対応に当たっているという。

「院長はまだ救急搬送先の病院で入院加療中ですし、こんな状況なのに若先生がお屋敷まで出向いてくださるので助かっています」

 そういいつつも、吐き出された溜息が重い。

「よかったらこちらを」

 それまでひっそりと控えていた静佳が、小ぶりなスコーンを並べた皿と紅茶のセットを彼女の前に置いた。

「あ、もしかして」

 そこで、依頼人の表情がはじめて素の笑顔になる。まさに、ぱあっという効果音がつくほどに明るく輝き、給仕する静佳を見上げる。

「このスコーン、駅前の裏手にあるカフェ雨だれのじゃないですか?」
「え、あ、はい。わかりますか?」

 まさか特定されるとは思わなかったのだろう、静佳の声が戸惑っている。

「有名ですもん。カフェ雨だれのスコーンは毎日数量限定の焼き立てが人気ですけど、中でも、この季節限定シリーズ! スクエアタイプで、さらに生地がミルフィーユのように重なることで生まれるサクサクの歯触りと、練り込まれたドライフルーツとチョコレートがたまらなくアクセントになってる至福の逸品で! しかも、これ、先日の英国展で限定発売されたものですよね。私、いけなくて悔しかったから覚えてます。……あ、すみません。失礼しました」

 これまでの話しぶりとはまるで違う怒涛の語りに思わず面食らったが、じわりと親近感がわいてきた。

「スコーン、お好きなんですね」

 静佳が嬉しそうにサングラスの奥の目を細めているのがわかる。

「語ると長くなっちゃうから割愛しますけど、大好きなんです。スコーンを偏愛してますが、他のスイーツも」
「僕も朝日野探偵もスイーツに目がないんです。嬉しいな、こんなに喜んでもらえるなんて」
「私も、まさか探偵事務所で諦めてた限定スコーンと出会えるとは思ってなくて、すごく嬉しいです」

 その後、一気に和やかな打ち解けた空気となり、正式な契約書の作成もかなりスムーズかつ詳細なものが出来上がった。

 早急に調査を開始する旨とともに、数日後に控えた四十九日の前には西園寺家へ現地調査を兼ねて訪問することを提案した。

「わかりました。羊子さんには私からお話を通しておきますので、どうぞよろしくお願いします」

 肝がすわっているように見えても、やはり不安は大きいのだろう。
 目に見えてホッとした様子で、彼女は深く頭を下げてから事務所を後にした。

 そんな彼女の後姿を見送ったら、急にどっと疲れがやってきて、思わずソファに体を沈める。

「え、ジョー、大丈夫?」

 心配そうな目がオレをのぞき込んでくる。

「なあ静佳、さっきの依頼の話、どう思う?」「“どう”って、呪いの話?」
「おまえは平気なのか」
「え、うん。別に……ジョーはホントにどうしたの? 顔色悪いよ」
「……別に大したことじゃねぇんだが」

 できるなら調査依頼そのものを断りたかった。彼女が箱の話を持ち出してきた辺りから、実はずっと鳥肌が立ち続けている。
 その理由をこいつに言いたくない。
 言いたくないが、静佳の視線に耐えられない。

「幽霊とか呪いとか、大抵は脳みそのエラーだよな。今回もそういう話だよな」
「ええと……もしかして、ジョー、幽霊とかお化けとか苦手?」

 ストレートに問われ、銀縁の伊達眼鏡を押し上げるていで視線を外し、黙秘する。

「え、でも、映画でゾンビものもスプラッタものもすっごい楽しそうに見てたよね」
「……殴れるだろ」
「え?」
「ゾンビも殺人鬼も拳で殴れるだろ」
「いや、殴らないけど」
「物理が効くんだ。暴力で解決できるのは、まあ、面倒な時もあるがそれはいい。でもな、幽霊は、あれはダメだ。話も通じねぇし、殴って終わらせることもできねぇ」
「三十年近く付き合ってきて、ジョーがおばけ怖いって初めて知ったよ!」
「怖いんじゃねえ、気にいらねぇだけだ」
「そっか。でも、僕は人間の方が怖いけどな」「……まあ、な」

 そもそも、当主の最期を看取ったのが彼女だとすると、息を引き取るまでの間に老人から何か聞いているのでは、託されているのでは、と親族に目をつけられた可能性もゼロではない。
 それが嫌がらせに発展したとしてもおかしくないし、耳にしたという正体不明の音に関してもある程度の予測はつく。

「人間ってのは、なぜか身内じゃなく無関係な第三者に秘密や悩みをポロッとこぼしたくなるもんだしな」

 閉じ箱の呪いというおかしなワードを横に置けば、遺産争いに巻き込まれたといった類の話になる可能性も高そうだった。
 それだけが今のオレにとっての心の支えとなっている。

「まずは関係者の洗い出しと、時透かなめが語った内容の裏取りだな」
「現地へ行く前にできる限りのことはしておきたいね」

 調査票を二人で眺め、現実的な計画を打ち合わせていくうちに、ざわざわとした寒気もいつのまにか消失していった。

・第二話へ続く


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