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【第二話】探偵は甘すぎる~限定スコーンでアフタヌーンティー

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<死はその傍らに>

 許すつもりはないのです。
 知ってしまったからには許すことなどできません。
 この凍りつくほどの憎しみをしまい込んだまま生きてゆくなどできません。

 *

 西園寺家の現地調査を翌日に控え、オレと静佳は朝から事務所で関係者と依頼内容の情報共有と精査に充てていた。
 西園寺家で起きた一連の出来事については花岡警部殿に調書の確認を頼んでいるが、向こうも多忙の身だ。
 あまり無理も言えないし、連絡もしてないが、なんとなくそろそろきそうな気はする。
 事務所のプライベートスペースに置いたホワイトボードへ模造紙を貼り出しつつ、テーブルには朝食を準備したところで、
「しーちゃん、おはよう! ようやく非番の香恋様だよ!」
 朝とは思えないほどのテンションで勢いよく扉が開いた。
 オレの予感は的中らしい。
「あ、香恋ちゃん、おはよう」
「しーちゃんのおいしい朝ごはん食べにきたよ。……って、ちょっと、これなに?」
 事務所の扉前にかけてある『CLOSE』のプレートなどものともせずに入ってきた捜査一課の女警部殿は、そのまま遠慮なくこちらのスペースまでやってきて、そのまま遠慮なくテーブルの上を指さした。
「なにって、大手コンビニ三社のシュークリームだが?」
「これから朝食がてら食べ比べしようかって話してたんだよ」
「最近のコンビニスイーツの質はすごいからな。特に最近は新作ラッシュが続いてたんだ、当然どこのが一番好みか食べ比べしたくなるだろ?」
「朝から?」
「朝からケーキはご馳走だろ」
「この事務所、いるだけで血糖値爆上がりしそうなんだけど」
 そう言いながらも、香恋の手にはパティスリーミヤマのロゴが入ったケーキの箱が掲げられている。
「こんなことになってるなら買ってこなきゃよかったかも。しーちゃん、一応コレお土産。で、あたし、しょっぱくておいしいもの食べたい」
「いつもありがとう、香恋ちゃん。待ってね、いま、香恋ちゃん用に朝食作るよ。ベーコンエッグとかでいい?」
「やった! しーちゃん、最高」
 わざとらしいくらいに喜ぶ香恋の声に笑顔で応えつつ、静佳は奥へ引っ込んだ。
「静佳、こいつを甘やかすな」
 思わずその背に向けて声をかけるが、あいつより先に香恋が反応してくる。
「しーちゃんに、生活の面倒ぜーんぶおまかせで甘えてる男がなんか言ってる?」
「……金は出してる」
「え、やだ。ジョー、あんたついに生活能力皆無なの否定しなくなったのね」
「能力がないんじゃねぇよ、したくないだけだ」
「モノは言いようね」
「なんとでも言え」
 くだらないと思いつつも、ガキみたいな言い合いが止まらない。
「そもそもあんた、しーちゃんのモーニングコールなしじゃ起きられないとか、どんだけよ」
「寝坊するよりマシじゃねぇか。勝手に止まる目覚まし時計より確実だろ」
「アラーム止めてんのはあんたじゃん」
「オレを起こせない無能な目覚ましのが悪い」
「まあまあ、ふたりとも。香恋ちゃん、ずっと事件続きで大変だったんだし。なのに来てくれたんだよね」
 香恋に甘い静佳は、こちらを宥めながら、ベーコンエッグとトーストのワンプレートモーニングを用意してきた。
 相変わらず恐ろしい手際だと思う。
「それに、ジョーを起こすコツは知ってるし。防大の時なんて楽だったよ。ジョーの耳元で“十二万円"って囁くだけで飛び起きてたもん」
「どっからきたのよ、その十二万って」
「学費無料、衣食住完備、ついでに学生手当で月十二万円支給だ。防衛大学、マジ手厚いぞ」
 ただし、色白でほんわかしていた静佳が黒人レスラーもかくやというビフォーアフターを起こすような環境でもある。
「集団生活も楽しかったよ。いろんなことを学べたしね」
 朗らかに笑う静佳が、朝ということで軽めの浅煎りコーヒーを置いてテーブルに着いたところで、空気がすっと引き締まる。

「そういえば、これは独り言なんだけどさ」

 そうして香恋が、おもむろにオフレコとして頼んでいた情報を口頭で伝えだした。
 当主の妻の死に関して警察はひととおりの捜査をしたうえで、目立った外傷もなく、明らかな毒物や薬物反応もないため、急性心不全だという医師の診断をもとに病死として扱ったという。
「なるほど。警察の目から見ても遺体に不審な点はなく、当然事件性もなかったと判断されたわけだ」
「葬儀の最中で、しかもまあまあな田舎でしょ。いろいろ忖度はあったっぽいけどね」
 不審死ならば警察が呼ばれる。
 畳の上で死にたいと願うなら、相応の準備と根回しと手続きが必要となる。
 その際、かかりつけ医の存在はかなり重要だ。普段からの病歴を知る医師が自然死であると判断できれば、捜査の手がそれ以上入ることはない。
「ええと、西園寺家と遠野医院については、僕から」
 静佳がパソコンで打ち出した資料を差し出してくる。
「先日亡くなった西園寺家当主が、西園寺辰彦。妻は美和子。その二人の間に、子供は二人。拓巳、周午。拓巳の妻はまどか。その子どもに申。今回の依頼人になる羊子は、次男周午の子供だね。彼の妻はいたけどすでに他界。まあ、旧家らしく、権力も影響力も十分ってとこかな」
「跡継ぎはこの長男で決まりか? 直系の孫はふたりいるが、西園寺家の実権は長男が握ることになるんだよな」
 そこで、再び時透看護師の含みのある微笑みを思い出す。
「なあ、香恋はこいつらに直接会ったのか?」
「ん? 班が違うから私は出てない。ただ、まあ、関わった警察側の個人的所感を述べるなら、家を盛り立て辣腕をふるった当主辰彦に比べて、長男の能力はいたって平凡、その長男の息子はまさしく無能、ってとこね」
「なるほど、辛辣だ」
「僕も調べてみたけど、当主が体調を崩した後も代替わりすることがなかった理由もそこにあるね。能力だけでいうなら羊子氏が頭ひとつぶん抜けてるっていうのが周囲の評価だけど、でも、女だからって」
「そうくるか」
「そうくるのよね」
 心底不快そうに眉を跳ね上げた香恋の言葉がオレと重なる。
「あとは、遠野医院については簡単に。院長の遠野榮太郎氏は昔ながらの町医者って感じかな。あの地域唯一の医療機関ってことで、子供の頃からお世話になって、大人になってからは自分の子供もお世話になるタイプ。八十歳近いお年なんだね。西園寺家の主治医としても長い。孫の遠野玲氏は大学病院のひとつで名前がヒットしたよ」
「その若先生が今や西園寺家にかかりきり、と」
 立て続けに二人の人間が死に、初七日にひとりが倒れた。
 四十九日を目前に控えながら出所不明の箱に怯えるだけの人間が大半らしいが、さて、実際に彼らと対峙したら、オレたちの見えているものも変わるのだろうか。

「しーちゃんの目玉焼き、半熟具合が最高だったわ!」

 ひとしきり話し込んだところで、香恋はそれだけ言い置いて、事務所を出ていった。
 なんだかんだ言いつつ、あいつも静佳に順調に餌付けされてるだろ、とは言わないでおく。

 *

 知りたいと切望しながらも、知ってしまったが故に苦しむ地獄。
 復讐に手を染めるには、時間が足りない。
 私には時間があまりにも足りていない。

 *

 約束の日、静佳の運転で、必要な機材を持参して西園寺家を訪問する。
 朝から降り続く雨で周囲がけぶる中、ようやくたどり着いたその屋敷は、旧家と呼ばれるに相応しい重厚な日本家屋だった。
 古いなりに手入れは行き届いている。
 静佳が、なぜかぐるりと周囲へ視線を巡らせ、納得したように頷いていた。
「ん……いないと思うよ、ここ」
「いてたまるか。てか、なんだよ、お前……もしかして"視える"とかいうのか?」
「あれ、言ってなかったっけ? 昔は区別が難しかったけど、今はちゃんと」
「いや、聞いてねぇし、聞きたくねえ」
 思わず正直に両手で耳をふさいだら、静佳が小さく笑い、それから少しだけうつむいた。
「でもなんか嫌だね。すごく嫌な空気だよ」
 門の向こう側に広がる敷地内に有する駐車スペースへ車を止めたところで、黒いシンプルなワンピースをまとった女性――西園寺羊子が、若めの男とともに車の前まで和傘をさしてやってくる。
「お待ちしておりました、朝日野様、月影様。私が西園寺羊子です。このたびはご足労いただき、ありがとうございます」
「とんでもありません。私も月影も、西園寺の皆さまの不安を取り除けるよう誠心誠意調査させていただきます。……ところで、そちらのかたは?」
「ああ、これは失礼しました。ボクは遠野玲、医師をしています。祖父に代わり、こちらで皆様の体調管理をさせていただいてます」
 遠野と名乗った男は穏やかな笑顔と柔らかな物腰をみせるが、それが営業用なのは間違いない。
 ニンゲンを観察することに慣れ、自分の感情をコントロールすることに長けた存在が、こちらを視ている。
 年齢不詳という点でも時透と大差なく、医療従事者というのは“そういう生き物”なのだろうかと思えてくるほどだ。
「伯父夫婦や従弟が不安がっていたところ、玲先生が来てくださって。かなめさんにはだいぶ無理をしてもらっていたから……あ、すみません、こんなところで」
 さあ、入ってください。
 そう羊子に言われ、促されるままにそこそこの大荷物であがり込ませてもらった。
 調査に当たり、まずは家人にあいさつを、と思ったが、居間にいたのは、使用人だと紹介された初老の女性に給仕を受けてお茶をしている拓巳の妻と息子のみだった。
 次期当主と目される拓巳の姿も、次男周午の姿もない。

「あんたら、東京から来たんだ。東京、いいよな。俺もまた行きたい」
「ほう、君も東京に?」
 短く問いかけせば、申は視線をさまよわせながら首肯した。
「高校はあっちだった。大学も。……でも、大学出た後はこっち。後継は……俺しかいねぇから」
 年齢は二七だと聞いたが、実年齢の割に幼稚さと歪な自尊心が見え隠れしている。
 その理由を探ろうとも考えたが、まどかから不快感と怒りを帯びた強い視線を受け、この場での深入りは辞めておく。
「あなたがた、探偵だと聞きましたわ。羊子さんとかなめさんが呼んだそうですけど、あまり下品なことはなさらないでくださいませね?」
 代わりにまどかから話を聞こうかとも思うが、その表情は硬く、警戒心とは別の何とも言えないものが混ざり込んでいて不自然に目が合わない。
 こちらを下に見ているが、同時に何かを隠している人間特有の動きも見て取れる。
 さて、何を隠しているのか。
「羊子さんも、ご自身の立場をよくわきまえておくことね」
 さらにそう言い放つ。
 呪われてる、次は自分かもしれない、となったら、もう少し真剣にその事態をどうにかしようとあがくもんじゃないのか。
 あるいは、それどころじゃないと思わせるような、何か別のモンに気を取られてるのか。
 歓迎されていないことだけは十分に感じつつ、内心で溜息をつく。
「おふたりの邪魔をしてしまい申し訳ありません。探偵のお二方は私が対応いたしますので。失礼いたします」
 深々と頭を下げた羊子について、オレたちも場所を移すことにした。

「すみません」
 廊下に出て早々もうしわけなさそうな羊子の謝罪には、気にしていない旨を告げておく。
 遠野が長男を探しに行ってくれるというので任せ、家人全員へのあいさつと聞き取り調査はあとまわしにさせてもらい、まずは懸念事項から片づけさせてもらうことにした。

「改めて確認させてもらいますが、今回のご依頼は“呪いの正体の見極め”ということでよろしいですか?」
 幽霊を見つけるだとか、呪いを解くとか、そういったものを成果にしない方向で時透と話はしていたが、改めて本来の依頼人とも認識のすり合わせはしておきたい。
「あ、はい。……呪いとか言われても、探偵さんだって困りますものね」
 時透同様の理性的な言動は好感が持てる。
 しばし家の構造についてレクチャーを受けつつ、件の部屋までやってきた。
「ここが妙な音がしたという部屋ですね」
 静佳が大きな鞄からやや大ぶりの機材をひとつ取り出す。
「これから探知機で盗聴器の有無を確認させていただきます」
 そう断りを入れた静佳を羊子は見上げ、ついでこちらへ不安そうな視線を向ける。
「あの……盗聴器、ですか?」
「ええ。実は、正体不明の音がしている時と聞いた際には、まずオレたちは盗聴器を疑うんです」
 調査に入った静佳に代わり、彼女へ機器の説明もかねて盗聴の可能性と防犯についてオレの方から語っておく。
 実際のところ、探偵事務所にはこの手の『盗聴器を仕掛けられたから調べてほしい』という依頼は多い。
その大半が被害妄想だったというオチになるのだが、中には本当に仕掛けられている事例も存在するから油断ができないのだ。
 ちなみに、これが「壁の中から話し声がする」と言われた場合は、途端に盗聴器ではなく精神疾患へと疑いは大きく傾くが、あえてそれを口にする必要はないだろう。

「ああ、これですね」

 案の定、いくらも経たずに静佳がコンセントに仕込まれたものを発見した。
 まずはひとつめ。不審な物音に対する回答は得られた。
 そこに心霊現象の入り込む余地はない。
「こんなあっさり」
「もしかするとほかの部屋にも仕掛けられているかもしれません。良ければ別の場所も探してみますが、問題は誰がこれを仕込んだかということになるんですが」
 調査を希望するか問えば、彼女はしっかりと頷いた。
「お願いします。かなめさん、盗聴器のあるお部屋でずっと過ごしてくださったんですよね。それはあんまりですから」
 なるほど、そういう気づかいをするのかと、心の留めておく。

「羊子さま、裏手にある蔵へ至急来てください!」

 いくつかの部屋を調べているさなかに、先ほどまどかと申へ給仕を行っていた女性が息せき切ってやってきた。
 彼女はこちらを警戒し、気にしつつも、視界に入れないようにして羊子へ要件を告げる。
「え、どうして伯父さまが……」
 彼女の言葉がそこで途切れた。
 西園寺拓巳が蔵で死亡しているのを、遠野が発見し、急ぎ自分が伝令としてきたのだという。

 羊子に請われて共に現場へ向かうと、すぐに、土倉の扉が大きく開放され、何人かがあわただしく出入りしているのが見えてきた。
 扉を前にしてガタガタとふるえる申を視認しつつ、羊子にはこの場に待機してもらって静佳と二人で蔵へ入っていく。
かすかなカビのにおいと積み上げらえた大小さまざまな木箱に迎えられ、さらにその奥からは大声が届く。
「うそ、あなた! あなたぁ!」
 床に倒れ伏した男にすがり、泣き崩れているまどかの隣で、膝をついているのはおそらく周午か。
 こちらに気づき、目礼だけされる。
「遠野さん」
「ああ、朝日野さん、月影さん」
 少し離れた位置で、診療鞄を手にまどかたちを見守っていた遠野が、そっとオレたちのそばまでやってくる。
「状況は?」
 小声で問えば、彼も小声で端的に返してきた。
「祖父に聞いていたものと同じですね。目立った外傷はなし、いわゆる薬物反応やアレルギー反応を疑う症状も見られない。いまのところは急性心不全というほかありませんね」
 こちらのやり取りをしている間に、まどかの声はすすり泣きへと変わっていた。
「さあ、義姉さん、ここは遠野先生たちにお任せして、少し休みしましょう」
 周午に抱えられるようにして彼女が去った後に残された現場は、改めてみるまでもなくあちこちが踏み荒らされ、現場の保存などあったものじゃない。
 静佳に目配せすれば、
「警察にはもう連絡をしたんですか?」
「ええ、手配はすでに」
 遠野に声をかけ、状況の確認を行ってくれる。
「ああ、それと拓巳氏のそばに寄せ木細工の箱がありましたよ。こちらも祖父に聞いていた通り」
 何気なく、彼は部屋の隅に置かれていた箱を指さす。小箱だと思っていたが、思いのほか大きい。
「アレの中には何があったんですか?」
「なにも。まったくの空でした」
 つまり、一度拾い上げて中身は確認したということか。
 静佳が彼と話しているのを背中に聞きながら、オレ自身も手袋をはめて遺体の検分をかるくさせてもらう。
 遠野が言う通り、たしかに目立った外傷はない。
しいていうなら右の指先が赤くただれているようだが、これが直接死因に関係するのかはわからなかった。
「でも、どうしてこんなことになってしまったんでしょう」
「連れて行かれたんでしょうかね。よく三途の川の渡し船は三人乗り、だから最低三人は続くと言いますし」
 呟く静佳に、遠野が医者にあるまじき発言で返してきた。
 ああ、いやだ、聴きたくない。
「あの……失礼ですが、先生もそういった迷信めいたことを信じるんですか?」
 静佳も違和感を覚えたのだろう。
突然の死に怯えることも驚くこともなく淡々と告げた彼の言動に控えめながら突っ込んでいく。
「迷信、ですか?」
「はい。同じ家でこんなに立て続けになくなる方がいて、おかしいとか思われないのかなと」
「ええと、ああ。なんでしょうね……ん、月影さんに言われるまであまり意識してなかったんですが、病院では一晩で二人亡くなることもあれば、一週間に六人亡くなることもある。急性期じゃなくても、続く時には続きますからねぇ」
 だからそういうものだと受け入れている、と彼は言う。
 静佳がさらに踏み込む。
「遠野さんのおじいさんが院長だとお聞きしてますが、ご両親は? やはり、同じ考え方を?」
「あ、いえ、どうでしょう。二人は医療系ではないですし、そもそも十年前に事故で亡くなってますから実際のところはよくわからないです」
 おだやかな声だ。
冷静で、落ち着いていて、わずかな動揺もなく、凪のような声と話し方で彼はそっと微笑んだ。


・第三話へつづく


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