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【第三話】探偵は甘すぎる~限定スコーンでアフタヌーンティー


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<これは神の意志である>

 閉じた箱は神の審判だとあなたは言った。

 ならば私はそれに従い、自らの倫理に反してでも審判にすべてを委ねよう。

 私の覚悟はもう、とっくの昔にできていますから。

 *

 西園寺拓巳の死に対しても、これまでと同様に地元の警察は遠野医師立会いのもとで通り一遍の捜査をして引き上げていった。

 事件性はなく、事故でもない。

 現場にかかりつけ医がいたこともあり、不運にも当主夫婦の四十九日を目前にして長男の病死が重なった、という結論でかたを付けたようだ。
 蔵には鍵こそかけられていなかったが、それなりに監視の目があったことも判断のひとつとなったのだろう。
 こちらとしては西園寺家の対応は違和感しかないが、警察の捜査をこの家全体で忌避しているような感触もあった。

 それにしても、一連の流れの中で、やはり『寄せ木細工の箱』の存在だけが浮いている。
 こいつさえなければいっそ、西園寺には遺伝的に心臓に欠陥があるのかもしれないと医師の言葉をそういうものかと受け入れもできるのに、だ。

 寄木細工の箱は誰が用意したのか
 その箱はいつ誰なら置けるのか
 この箱はどういう意図を持つのか
 盗聴器はいつ誰が何の目的で仕掛けたのか
 盗聴器を仕掛けることのできた人間は誰か
 この一連の出来事で得をするのは誰か
 これは単純な遺産相続のトラブルなのか
 これほど不自然であるのに病死として扱うことに誰も抵抗しないのはなぜか

 疑問は数え上げればキリがない。
 西園寺まどかは何か隠しているようだが、そこには申が関係してそうでもある。
 他にも早急に確認することが増え、盗聴器の件も含めて、静佳には悪いが、車で遠野医院へ出向いてもらうことにした。
 あちらには医院の鍵を持つ時透がひかえている。
 そしてオレ自身は、依頼人である羊子と、時透が滞在していた部屋で話を聞くことにした。
 できるなら西園寺家の人間全員に聴取したいが、結局、羊子以外の西園寺家の人間とはまともに顔を合わせることすらできていない。

「朝日野さん、ほんとうにすみません、来ていただいて早々にこんなことに」
「いえ。むしろ、こういった事態も想定すべきだったと悔やんでいるくらいです」
「そんなっ……いえ、……やっぱりうちは呪われているのかもしれませんね」

 うつむく彼女だが、たしかに、呪われていると思いたくもなるだろう。
 周午は家を取り仕切るために忙しく、遠野医院とも懇意にしている葬儀屋を呼んで法要と通夜のための準備を進めていると聞いた。
 喪主となるはずのまどかは起き上がれないほど憔悴、申は自室に引きこもったままというありさまだ。
 徹底して関係者と会えない、話せないという状況も言いたくはないが少し気味が悪い。

「その“呪い”を解明するのが、私たちへの依頼ですから。もう少しだけ時間をください」
「もちろんです!」

 羊子には、当主の葬儀前後の詳しい状況や、遠野榮太郎氏や玲、時透看護師についての彼女なりの印象などを聞いていく。

 時透が泊まり込みで看護を行う間も、院長は毎日診察に来てくれたという。
 葬儀の前後も同様で、ほとんど身内同然のように羊子の目には映っだと話す。

「ただ、玲先生とは今回おじいさまの葬儀の時に初めてお会いしたんです。お孫さんがいるとは聞いていたんですが、私とあまり変わらない年齢であれほど落ち着かれているのがさすがですよね」「彼の動じなさには、こちらも驚きましたよ」

 あの顔は、あの目は、本当の医者がしていいのかわからない色を浮かべていた。

「そういえば、時透さんを依頼の代理人に使命されたのはなぜです?」

 この問いかけに、羊子は困ったような表情で視線を足元へ落とした。

「……かなめさんだけは私の話を聞いてくれるから、ですかね」
「たしかに彼女はあなたをずいぶんと気にかけてた」
「おじい様とおばあ様が立て続けに亡くなって、しかも、遠野先生まで倒れられて……変な物音もしましたし、何か起こるたびに見たことのない箱が置かれているし……でも、誰もおかしいのにおかしいって言ってくれなくて」

 彼女はどんどん深くうなだれていく。

「会社の今後ものこともありますし、本当は家族で話し合いもしたかったんですけど」
「それもできていないんですね」
「申さんは大事な跡取りということで、おじい様はもちろん、伯父様たちもとても大切にしてます。私の父も。でも、女である私には興味がないんですよね」

 今回の件だけではないのだろう、長年蓄積された疲労と諦観の影を羊子に視た。

 広い屋敷だけあり、それなりに使用人もいるが、オレたちの相手はもっぱら彼女が担っている。
 出迎えも、案内も、給仕も、他の家の人間が使用人に任せるだろう場面においても彼女は自分で行っていた。
 短時間でも十分すぎるほど、孫娘たる羊子のこの家での立ち位置が見えてくる。

「申君は東京の学校に行ったと聞きましたが」「そうですね。申さんたっての希望で。都内にお部屋も借りて、高校に入って少しした頃、心配だったのか、一時期ですけど、頻繁に伯父さまや伯母さま、あとおじいさまも申さんに会いに行ってました」
「なるほど、ずいぶんな過保護っぷりだ」
「あの頃にはもう後継者として育てようとしていたんでしょうね。父も、さらに私と距離を取るようになって、申さんのそばにいるようになりましたし」

 その姿に、その過去に、オレの中でチリリと焦げつくような音がした。

「君自身は?」
「え、あ、……私は地元の高校を出てからは、この家でおじいさまたちの経営のお手伝いを……と言っても簡単なことばかりですが」
「十代から家業に関わってるのか。君は実に優秀だという話を聞いたよ」
「……あ、……いえ、私なんて大したことは……」

 あふれかけたのだろう様々な想いや言葉をぜんぶ飲み込んで、彼女はうつむき、視線を伏せる。

 その後、羊子の計らいで、探偵が泊まる部屋も離れに用意してくれていたため、遠慮なくそこで調査資料をひろげさせてもらうことにした。

 明日は西園寺辰彦と妻美和子の四十九日法要であり、拓巳の通夜でもある。
 何かがまた起こるかもしれない。

 その日の深夜、西園寺家に戻ってきた静佳は、遠野院長が往診時に使用する鞄から盗聴器の受信機が見つかったと告げた。

「なら、盗聴器を仕掛けたのは、遠野榮太郎ということになるな」
「あとね、どうも、最近だけど遠野院長自身、調査会社に依頼してた痕跡があるんだよね」
「同業者がらみか」

 思わず舌打ちしてしまったオレに、静佳がスマホの画面を取り出す。

「あともうひとつ。これを見つけて」
「これ? え、おい、どういうことだ!?」

 探偵業で培った情報網を駆使して静佳がかき集めたものにより、オレの中でパズルのピースが急速にはまりだし、今回の件におけるひとつの絵が浮かび上がってきた。

 復讐からは何も生まれないとよく言われる。

 けれど、復讐とは残されたものの心の支えにはなると私は思う。

 雨続きの西園寺家があわただしく法要と葬儀に追われる中、オレと静佳は、遠野玲を伴って拓巳の遺体が見つかった蔵の前にいた。

「探偵さんが西園寺家の“呪い”を解いたなんて、びっくりだよ。いいのかな、私が依頼人の羊子さんより先に話を聞いてしまって」
「ああ、かまわねえよ。オレたちとしては、依頼人に報告する前にあんたに確認したいことがあったからさ」
「もしかして、祖父の家で見つかった盗聴器のことかな?」
「……それもある」

 だが、それだけではない。
 昨夜、静佳と一緒に解いたパズルは、ほんの少し見方を変えるだけで答えは目の前に用意されていたと気づいてしまったのだ。

「ここからは、オレたちの想像になるが……遠野榮太郎氏の娘は十年前に他界しているよな。あんた自身もそう言ってたし、調べたところひき逃げだというのもわかった。その犯人を、榮太郎氏は知ってしまったんじゃないか。おそらくは、看護師を通じて」

 死にゆく病人の傍らでその心に寄り添い話を聞く彼女の役割は、心の弱った人間に罪の告白さえさせる。
 安心して何もかもを語りたくなる。
 そして看護師である彼女は、守秘義務を遵守したうえで、主治医である医師にもその情報伝えた。
 それ自体には何も問題はない。
 ただ、今回に限って言えば、不運にもソレがひとつの引き金となった。
 時透にはあえてこの点は伝えていないが、彼女は自力でこの答えに辿り着くかもしれない。

「遠野医師は知ってしまったんだろう。自ら調査会社を雇うことで、真相に手が届いてしまった」

 当時まだ十六歳だった少年は、豪雨による視界不良の中、東京で事故を起こした。それも、無免許運転による人身事故だ。あげくのはてにひき逃げをし、被害者は死亡となった。
 西園寺家の唯一の後継者となりうるものを、辰彦は守ることにしたのだろう。

 そして、未成年による犯罪は隠蔽された。

 自身の主治医たる遠野の娘が被害者だと知りながら、口をつぐむことを選んだことは到底許されることではない。
 事実を知らされれば、当然憎しみに拍車がかかるわけだ。

「そして、遠野医師は復讐を考えた」
「西園寺辰彦氏は、正真正銘の病死ですよ。がんの末期だった。それを殺人とは言わないでしょう?」
「ああ。だが、精神的に追い詰めることはしただろ」

 辰彦の傍らに置いた寄せ木細工の箱からは、本当に音がしていたのだろう。それを主治医に精神の均衡を崩しているためだと判じられたがゆえに、さらに追い詰められたと考えられる。
 それは想像以上に大きなストレスだ。

「それに、妻の美和子はおそらく病死じゃない。しいて言うなら事故死か? 遠野医師がやったのは、せいぜいが遺体の移動と寄せ木細工の箱を転がすくらいだ。だが、ここで着想を得てしまった。医者なら、死亡診断書を書けるだろ。自殺も事故も他殺も、自分の一存で病死にできる。己の倫理観と医師法に背きさえすればな」
「人の命を救う医者が、人を殺すと? でも、医師が使う薬物は厳重に管理されていますが」

 当然、用途不明の薬剤など存在しない。

「……僕は以前、読んだことがあるんですよ」

 静佳がオレの言葉を引き継ぎ、語る。

「通夜に、最後の別れをしようと棺をのぞき込むことで起きた死亡事故のこと」
「おや、その方は死者に連れていかれたのかな? 死者は寂しがり屋だからね」

 またしても、こいつは信じてもいないオカルトを持ち出してくるが、静佳は小さく首を横に振った。

「そういうこともあるかもしれないけど、でも、今回は違う。死因はドライアイスだった」
「へえ?」
「棺のふたをしめた状態で気化したドライアイスは、そこに留まり、その二酸化炭素濃度はね、ドライアイス設置後4時間で90%にもなるんです。ちなみに、二酸化酸素濃度は30%になった時点で、ほとんど即時に意識消失する劇物となります。単体なら窒素を超える有毒性を持っている」

 静佳は男を真正面に捉え、言葉を続ける。

「あなたは知っていたんですよね? そして、それを利用した」
「ボクが?」
「蔵で発見された拓巳さんの指には火傷の跡がありました。おそらく、ドライアイスを素手で触ってしまったために」

 彼の指にはいくつか赤く水疱ができており、一部にはただれた痕もあった。
 ドライアイスによる皮膚損傷、および、吸引による二酸化酸素中毒。
 葬儀屋ならば注意喚起するはずだが、医師がこの現象を知っているかどうかはわからない。

 だからこそ、死因としてその可能性を見過ごしたのか、あえて見ないふりをしたのかで、この男への見方が変わる。
 さらに穿った見方をすれば、ドライアイスによる死亡事故を念頭に置いた上でこれを利用しようと思えばいくらでもできるのだ。
 ドライアイスは解けてしまえば跡形もない。
 当然、時限装置としても使えるのだから、死亡時刻におけるアリバイ工作という点でも問題を生じない。

 問題は死亡させるほどのドライアイスをどう入手し、どう保管するかだが、医師が持つ葬儀屋のつてと寄せ木細工という密閉容器がクリアできるだろう。

「でもね、ボクがどうやって彼らにのぞかせたっていうんですか、月影さん?」
「ひき逃げの証拠をちらつかせたのでは? 法律上、ひき逃げの時効は犯人が判明してからカウントされる。事件から十年経とうが捕まる対象になるようですから」

 この辺はオレも以前に調べてみて知ったことだ。
 西園寺家の面々にしてみれば、思わぬ落とし穴にさぞ恐怖したことだろう。
 気もそぞろになるはずだ。
 そこに付け入る形で、この男は未必の故意を狙ったと踏んでいる。

 死ぬかもしれないし、死なないかもしれない、だが致死率の高い罠をこいつは仕掛けていた。

「ところで、なあ、若先生? そもそも、あんた何者だ?」
「いやだな、朝日野さん、そんな怖い顔をして。遠野玲だと、そうごあいさつしたじゃありませんか」

 この期に及んでなお笑みを浮かべるその姿に、ざわりと得体の知れない寒気がする。
 衝動的に殴りたくなった。

「でも、あなたは遠野玲さんではないですよね?」

 静佳が、内ポケットからスマホを取り出し、その画面を相手に向ける。
 孫の写真を遠野院長は所持していなかった。
 だが、静佳が情報屋のつてを駆使して身辺調査を進め、少々手間取りつつもSNSをたどることで目的のものは入手できた。できてしまった。

 手に入れた画像の中にいる"遠野玲"と、いまオレたちの目の前にいる若先生と呼ばれる男の顔は、似て非なるものだった。

「遠野院長の孫である遠野玲さんは、“女性”です。どうあっても男性であるあなたではありえない」

 静佳からその報告を受けた時、己の先入観に腹が立ったほどだ。

「なるほど、優秀だ。朝日野さんの推理はもちろん、その推理材料を提供する月影さんも助手としていい仕事をなさっている」

 まるで推理小説に出てくる名探偵コンビだ、と、心底楽しげに笑う。
 こちらの追求に動揺する素振りすらない。
 ありえないほどに平坦な反応であることが逆に癇に障るほど、彼は冷静すぎた。

「あんた、オレたちの同業者じゃないのか?」「同業者、と言っていただけるのは光栄だけどね。こちらとしては、復讐代行者と呼んでもらいたいかも」
「それって」
「朝日野さん、月影さん、罪を犯したものは罪を贖わなければなりません。悔い改め、正しく生きねばなりません。もしもそこから逃れようとするならば、相応の報いを受けることになるのです」

 どこまでも柔らかく、優しく、思いやりと思慮深さに縁取られた表情と声音で、彼は告げる。

「天罰だとでも?」
「かつて仇討ちは正当な権利であったことはご存知でしょう?」

 いっそ鮮やかすぎるくらい鮮やかな笑顔だった。

 突然、母屋の方から悲鳴があがった。それも一か所じゃない。

「なにをした!?」
「閉じ箱の呪いがまた発動したのかもしれませんね。なにしろドライアイスには事欠かない。ほら、急がないと呪いの犠牲者がまた増えてしまいますよ? その対象はあなたがたの依頼人かもしれない」

 この男が何かをしたという明確な証拠は、いまのところ何ひとつもない。
 どれもこれもが状況証拠に過ぎない。
 この男が唆したのだと確信しているのに、この男を捕まえることはオレたちにはできないのだ。
 香恋には伝えるが、果たしてどこまでやれるのかも不明瞭だ。

「朝日野譲治さん、月影静佳さん、あなたがたに神のご加護がありますように」

 両手を胸の前で組み、祈りを捧げるようにかけられた言葉を背中越しに聞きながら、オレは静佳とともに悲鳴が聞こえる場所へ急いだ。


・最終話に続く


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