見出し画像

馬鹿げたる考へ/もちはこび短歌(6)

文・写真●小野田光

 わたしが記憶の中で持ち運んでいる短歌、今日は東京オリンピックの年に発表された歌集からこの一首を。

馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなどが大きくなりゆくに似る
安立スハル『この梅生ずべし』(白玉書房、1964年)

   「馬鹿げたる考へ」とはこの歌に限らず、この世界においてもっともすてきなものの一つだと思う。馬鹿げたこと(その定義はいろいろあるだろうけれど)を考えている時を超えるしあわせな時間はそうそうない。そんなわたしなので、この歌は導入で100%惹きこまれる。
   と思いきや下の句がまたすごい。「キャベツなど」の「など」がいい。これがついているから、キャベツだけでなく「結球の野菜全般」を指すのだろう。レタスや白菜などなど。これらの野菜は葉っぱが増えてくると、結球と言って内側に向かって球状に重なる葉っぱが生えはじめ、丸い形の野菜になる。あの葉っぱが重なってぎゅっと詰まった感じだ。それを思うと、大きくなった「馬鹿げたる考へ」は、何か頑なに積み重なって動かない感じがする。この動かない感じがいいのだ。「馬鹿げたる考へ」にも確固たる何かがある。大きく音数をはみ出した韻律も「ぐんぐん」に呼応している。
   そもそも、こんなことを考えて短歌にする発想と過程が「馬鹿げたる考ヘ」ではないのか。というどこまでも重層的な構造にも気づく。この重層構造こそ、まさにキャベツなのだ。
 自分の頭に「馬鹿げたる考へ」が浮かぶ時、ついつい常識や社会的圧力に屈しそうになる。でも、わたしは瞬時にこの歌を思い出し、脳内の結球をさらにぎゅっと固くするのだ。
 この歌が一昨年刊行された「早稲田文学増刊 女性号」に載っているのを発見した時は、ほんとうにうれしかったなあ。

===

3月22日(金)19時から
福岡の本屋さん&カフェ「本のあるところ ajiro」で、トークイベント「『蝶は地下鉄をぬけて』ともちはこび短歌のこと」を開催していただくことになりました。
「もちはこび短歌」を10首ご紹介し、その短歌の実生活における効用などもお話しする予定です(noteではご紹介していない10首をご用意するつもりです)。お近くの方、よろしければご来場くださいませ。お会いできること、たのしみにしています。
当日は20時からの「ajiro歌会」に、わたしも参加する予定です。
お申し込み(要予約)はこちらからどうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?