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【3月のライオンに学ぶ】リーダーシップとVulnerability

ただ単に「好き」というだけでなく、「心に刺さり続けている」漫画の一つが、「3月のライオン」。今回は同漫画のセリフと、私が考えるリーダーシップ像のキーワード「Vulnerability」を重ねて綴っていきたいと思います。

一人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ。でないと実は誰もお前にも頼れないんだ。

幼少期に両親を亡くし、「将棋が好きです」と生きるための嘘を吐き、亡き父の友人である幸田プロの家に引き取られるも、そこの子供達と上手くやれず、一目散にプロを目指して独立し1人で生きてきた主人公、桐山零。15歳。

全て1人で何とかしようとする桐山に対して、再入学した高校の先生である林田が掛けた言葉がこちら。

(「3月のライオン」三巻より)

この言葉をキッカケに、桐山は島田九段に「研究会に入れて欲しい」と伝えることができ、徐々に徐々に彼の人間関係が広がって行きます。

「自分で出来ることがカッコいい」、「人に頼ることがカッコ悪い」という固定観念

(個人差はもちろんありますが)学生の頃は、他人に素直に頼れていた人が多いのではないでしょうか。「あ、消しゴム忘れた、貸してー」「やべ、この問題わかんね、教えて」「宿題やってねー!写させて!」…etc

しかし社会人になると、最初のうちこそ「何でも聞いてね」と言われるものの、少し経てば「自分で考えて、自分でなんとかする」ことが求められるようになります。

もちろん、報酬の見返りはパフォーマンスな訳ですから、個人の出力を上げることは当然求められます。自身のキャリア構築の為にも絶対に必要なことです。

しかし、世の中の万物を分母とした時に、どれだけのことを勉強し経験したとしても、自分が知れることなど0.0000000000001%にもなりません。

分からないことがほぼ全て、という状態で人は生き、そして死んでいくのです。

にも関わらず、社会人になった途端に「1人でやり切れることがカッコいい」「人に頼ることがカッコ悪い」、何かそんなような価値観が生まれないでしょうか?

偉い人とスーパーマンは近寄り難い

皆さんの周りにも、必ず1人はスーパーマン的な「なんでも出来ちゃう人」、いますよね。皆から一目置かれ処理能力も高く、気も利いて処理能力も高い。「あいつに任せておけば大丈夫」みたいな。

あと、一定以上偉い人。権力を持っていて、自分よりも2階層・3階層上(若しくはそれ以上)に位置する人。日々接することはなく、大事な案件の説明など極めてフォーマルな場でしか会わないような人。

私はいつも、そういう人達を見てこう思うのです。

「孤独そうだな」

と。タイプは違えど、其々に共通するのは「気軽に相談しづらい」「変なことを言ったら、どう思われるか分かんない」「恐れ多い」、、、と思われること。

そうなると、ATフィールドに入ってきてくれる人が限られ、距離感のある付き合いしか出来ず、互いに刺激し合うことも減ってしまいます。

結果、スーパーマンの成長曲線が鈍化し、偉い人は「裸の王様」になります。

特徴的な例として「スーパーマン」と「偉い人」を引き合いに出しましたが、これは通常の上司・部下や先輩・後輩という関係でも一定程度起こることです。

最近では、パワハラやセクハラの関心度の高さの影響から「上司・先輩が部下・後輩に近寄り難い」という事象も起きているようです。

「弱みを見せてもらえること」の嬉しさ

上記で書いた通り、社会人の多くは「自分で出来ないといけない」という思いを持ち、そして部下や後輩が増えれば増えるほど「ちゃんとしなきゃ」と言う思い=責任感を強くします。それ自体は全く否定されるべきモノではありません。

しかし、それは同時に「鎧」になります。ただでさえ、他人に踏み込んでいくのは怖い。にも関わらず、その相手が鎧なんて来てたらもう、近寄れません。

そんな時に有効なのは「自分の弱みを先に見せる」ということだと思っています。自分が凄いことを知らせるのではなく、弱みを見せる。これが表題にあるVulnerabilityです(詳細後述)。

それを痛感した経験があります。同僚数名と飲みに行き、私は1人の後輩から真面目な相談を受けていました。私も真剣に耳を傾けていましたが、ついぞその後輩が想いを吐露しながら泣き始めてしまいました。

その時に何を思ったか。「社会人なのに泣いてんじゃねーよ!」、、、そう思う人も世の中にはいるかもしれません。でも私は、

「この後輩のために出来ることを全部してあげたい」

心の底からそう思いました。「自分の弱い所を見せながらも、相談してくれた。それに対して自分は全力で答えてあげなければならない」、そう思ったのです。

前半の説明とは先輩・後輩が逆転したエピソードを紹介してしまいましたが、私は「これは上司・部下・先輩・後輩関係なく、人間関係全てに通じる話だな」と確信したのです。

Vulnerabilityってなに

この単語はボストンMBAでブイブイ言わせている後輩から教えて貰ったのですが、リーダーシップ論では既に数年前から高い注目を集めているようです。

非常に日本語に訳しづらく、直訳すると「脆弱性」になってしまいますが、私は「自分の弱さ」と意訳しています(以下のTEDでは「心のもろさ」と表現)。

自分の弱さを先ずリーダーがさらけ出し、「弱い部分があることは恥ずかしいことではない」という共通認識を作り出すことで、心理的安全性を生み出す。

その結果、皆が強みを遺憾なく発揮し、各自の弱みを補填し、生産性の高い組織が生まれる。これが今の理想とされるリーダーシップ像の一つであるようで、私はこれに1000%同意します。

一致団結している軍隊的な組織こそが実は脆弱であり、各自が意思と個性を持った組織こそが「しなやか」で強い、という考えに基けば、そういった組織は一つの理想像ではないかと思います。

VulnerabilityについてはこちらのTEDが、Vulnerability✖️組織論については末尾掲載の書籍が参考になると思いますので、是非ご覧ください。

翻って、自分はどうか?

さて、私はどうでしょうか。自己評価では「自分の弱みをさらけ出せている」と思うのですが、是非皆さんの意見を伺いたいです。

もしその自己認識が正しいのだとすると、そうさせてくれた1つの経験と1つの性質(?)があります。

大学卓球部先輩・川嶋規文さんからの言葉

大学入部した当初は、もう独りよがりで自分勝手で、「尊大」という仇名までついて、まあ思い出したくもない自己中心的な性格でした。

入部した直後から大層怒られまして、その過程で段々と人間として矯正されていきました。私以外にも問題児の多かった同期の教育係が川嶋規文さん(規さん)でした。1年目当時はもう大魔神かという位恐れていました笑

ある日、その規さんから(この言葉が衝撃すぎて、前後の文脈は忘れましたが)こんな言葉を掛けられました。

親父さんが早くに亡くなって、「自分がちゃんとしなきゃ」って思って生きてきたんだよな。その我の強さの裏側には、そういうこともあるんだと思う。大変だったな。

言われた時は、もう「ぽかーーーん ٩( ᐛ )و」です。規さんからそんなこと言われると思ってなかったし、そんなこと考えたこともなかったし。

でも、その夜考えてみて「確かにそうかもしれない」と思いました。闘病生活を送る父とそれを支える母がいて、実は知らないうちに変な鎧を着てしまっていたのかと。

そこに気付いてからは、着ていることにすら気付いていなかった鎧を脱ぎ、少しずつ生身で他人と接することが出来るようになった気がします。

信じられないくらいイジられてきた13年間

社会人生活13年目が終わろうとしています。この13年間、本当に信じられないくらいイジられてきました。

先ず同期から信じられないくらいイジられ、何年目になろうが部署の後輩からイジられ。20人くらいから同時にイジられ続け、突っ込み返し続けてたら自分の送別会が終わってた、というのは日常茶飯事です。

正直、僕が想像していた「先輩像」からはビビるくらいかけ離れています。宝塚ファンですので、やっぱり「キリッとビシッとした、ちょっと話しかけづらい男役的な先輩」を目指していましたが。。。

それが、まさか34歳になって23歳とかからイジられているとは想像もしてませんでした。

でも、今はこのキャラにめちゃくちゃ感謝しています。年齢問わず、本当に色んな相談をしてくれますし、僕も相談させて貰ってます。

イジってもらえる=Vulnerabilityをさらけ出せている

私はこう解釈しています。なので、極端な話、死ぬまでずっと「イジられキャラ」でいいやと思ってますし、その裏にリスペクトを持ってもらえるような一廉の人間でありたいと思います。

おわりに

「鼻毛が出てますよ、って言ってくれる人、周りに何人いますか?」

何かのセミナーで聞いたこの質問が、ずっと私の脳裏に残っています。確かに、と。言ってくれる人いなかったら、鼻毛出っ放しやんと。それ以降、「言ってもらえるためにはどうしたらいいんだろうなー」と考えていて辿り着いたのが、「自分をさらけ出して、言って貰いやすくする」ということでした。

孤高の存在ではなく、全てを分かられている存在でありたい。僕の鼻毛が出ていたら、是非教えてください。鼻毛出して待ってます。

では、また次回お会いしましょう。

細田 薫


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