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誉め言葉は「ありのまま」受け取ろう。謙遜は時として人生を停滞させる。

前回のnoteでは、「ありのまま」相手に伝えることの大切さ、そして「中途半端な伝達」を行った時に起こる問題点について、お話させていただきました。

前回が「伝える側」の話だったのに対し、今回は「受け取る側」の話です。

多くの人が褒められたり、称賛された時に「いやいやそんな・・・」と謙遜した反応をしますが、私はこれを非常に「勿体ない」と感じています。

そして、これまで出会ってきた「他人を否応なしに惹きつける方々」は決してそんな態度を取っていないことも、よく分かりました。

今回は「なぜ"ありのまま"相手のボールを受け取ると良いのか」について、綴っていきます。

理由①:自己認識力が上がらないし、自己肯定感も高まらない

「自己認識」の難易度はめちゃくちゃ高い

人間が為す行いにおいて、最も難易度の高い行為の一つが「自己認識」でしょう。

その人自身は、「自分の歴史」「自分の性格」「今の自分の状態・環境」を知っています。言うなれば「関連する全ての情報を持ち、たった一つの視点」で自己を認識・評価します。

一方、社会や組織、他人は「各々が有する(自分に関する)ごく一部の情報」に「各々の組織・人が有する各々の価値観」に掛け算して、その人を認識・評価します。

「自己認識」と「他己認識」が同一になる訳はなく、寧ろ「遠く離れたものになる方が必然である」というのは、皆さんも感覚的に分かることではないでしょうか。

「他己認識」の理解には、フィードバックが一番

ですが、もし貴方が"社会"で生きていこうとするならば、社会においては「他己認識」が全てであり、それによってその人が規定される、ということを覚悟する必要があります。「私は私をこう思っている」という情報が社会で用いられることはありません。

つまり、「自己認識」から遠く離れた「他己認識」を理解しないと、社会とズレていることすら気付けないことになります。

そして、その「他己認識」を理解する最も効果的な方法が「フィードバックを貰う」ことではないでしょうか。

ここで言う「フィードバック」は、別に「年間成果評価」のような堅苦しいものではなく、以下のような"軽い伝達"を含みますし、今回のケースは特にこちらを指します。

・「〇〇さんって、笑顔が素敵ですよね」
・「△△さんは言語化能力が高いと思うんですよね」
・「□□さんの先日の会議での発言、めちゃくちゃ貢献してましたよね」
 ・・・etc

そういったフィードバックをもらった時、『真正面から、ありのまま、言葉のまま受け取れているか』が、今回のポイントです。

自助努力のみで自己肯定感を上げていたら、キリがない

多くの人は、ここで「いやいやそんな・・・」とか「自分は全然大したことなくて・・・」のような反応を示します。あたかも、その人がお世辞を言っているかのように。

ですが、それはお世辞ではなく、その人の「偽らざる本音」の可能性だってあります。他人からの称賛や敬意を受け取れないと、以下のサイクルで、いつまで経っても自己肯定感が上がりません。

このサイクルの中にいる人は、「自分の努力でしか、自己肯定感を上げられない」人です。そして、そういった方の多くは、TOEICの点数や資格に拘ります。なぜなら、そういう「客観的に分かる強み」が無いと、自己肯定感を高められないからです。

しかし、人生そんな長くありません。自助努力によってのみ自己肯定感を上げていては、上がったころには結構な年齢になってしまいます。

それよりも、他者から称賛されたら「えっ、私ってそんな強みあるんですか」と、ある意味"能天気"に受取り、それを活かして行った方が効率も良く、またチャンスも広がります。それを表したのが以下のサイクルです。

何故か「ネガティブ」なフィードバックはしっかりと正面から受け取り、しっかりと凹むのに、「ポジティブ」なフィードバックは受け取らないという人が多いのは、とても不思議です。

理由②:ちゃんと受け取らない人は、言ってもらえなくなる

「相手に何かを伝達する」という行為は、たとえその内容がポジティブなものであったとしても、伝える側はエネルギーを消費するものです。

例えば、「照れ」「恥ずかしさ」と戦う人がいるでしょう。若しくは、「こんなこと言ったら逆に嫌がられないかなぁ」という「恐れ」や「気遣い」と戦う人もいるでしょう。

そんな"戦い"を経て、折角の想いを相手に伝達したのに、その想いが届かなかったり、躱されたり、矮小化されて受け取られたりしたらどうでしょう。

その人は「また相手にフィードバックしてあげたい」と思うでしょうか?一回で急に止めることはないかもしれませんが、「いやいやそんな・・・」と言われ続けたら、いつかは無くなってしまうでしょう。

つまり、ちゃんと受け取らないと、「一回分のチャンス」を活かせないどころか、「未来のチャンス」まで摘んでしまうのです。これを先のサイクルに足すと、以下の通りとなります。

理由③:ちゃんと受け取ると、より質の高いフィードバックが得られるようになる

前回の記事で、『「100」の想いを抱えているのに、「50」や「150」のボールにして投げてしまうのは、"不安"に負けてしまうからだ』ということを書きました。

これは、褒める時も同じで、以下のようなことは十分に起こります。

①相手のリアクションが分からないから、伝える時に誇張しすぎて「お世辞風」になってしまう(「150」伝達)
②照れてしまい、実際よりも大分小さくして伝えてしまう(「50」伝達)

そんな「力み」が生じて投げたとしても、相手が「そのまま」受け取ってくれると「安心感」が発生します。そうすると、伝達側の不安が払拭され、徐々に「ありのまま」伝えられるようになります。

図にすると以下の通りで、相手のボールをちゃんと受け取ると、その瞬間に効果が出るだけでなく、未来のチャンスの「質と量」が共に増えることが分かります。

おわりに:素晴らしい人の対応例

では、私が冒頭に述べた「否応なしに人を惹きつける人」は褒められた時に「はい、そうなんですよ!凄いでしょ!!」と言っているのでしょうか?

勿論、そんな訳はありません笑

私の身近にいる「素晴らしい受け取り方をする人」はどうしているかをご紹介して、本記事を終えたいと思います。

Aさん:「Bさんは、本当にこういう所が素晴らしいですよね」
Bさん:「心から尊敬するAさんにそんなことを言っていただけるなんて、本当に恐縮です、ありがとうございます。そういえば、Aさんとはこんなことがありましたが、その時のAさんのこういう所は、本当に素敵だと思いました」

この対応が「いやいや、そんな・・・」という「謙遜」の対応とは全く違うことは、お分かりいただけると思います。ポイントは二つ。

①相手の発言を絶対に否定しない
②受け止めつつ感謝をし、その上で相手にも「100」の想いでフィードバックをする

本当にこれが徹底しているなと思います。これをやられて嫌な人など絶対におらず、上で示したサイクル回りまくりです。

私はというと、①はそこそこ出来ているかもしれませんが、②が圧倒的に出来ていないなと、その人を見ていて痛感しました。受け取って終わり。これでは30点程度です。

良く「コミュニケーション能力高いね」と言っていただけるのですが、やはり超一流のコミュニケーションは次元が違うなと感じ、一から出直している所です。

実は、前回と今回の記事の元になっているのは、今年1月にセルソースの社長に就任した澤田さんの立ち振る舞いです。

本当に学ぶことが多いですが、特に対人コミュニケーションは異次元で、そこから受けた刺激を今回言語化してみました。

皆がこの刺激を受けて、きっとセルソースは大きく変わっていきますし、それが本当に楽しみです。


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