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魚座の夢の世界。肉体からの声がする。

 眠っている間に見る夢の記録をつけ始めて一ヶ月が経とうとしている。今週、特に昨夜の夢は不思議なもので、一度目を覚まし、その間にある閃きがあったのでそれをメモして、もう一度眠った夢では金縛りにあった。つい先日金縛りについて話したときに「そういえば、もう十年くらい金縛りにあっていないなあ」と考えたところだったのでとても驚いた。それは苦しいものではなく、どちらかというとハッピーな金縛りだった。それも初めて体験することで不思議だった。長い一日を終えて今振り返ってみると、これは体からのメッセージだったような気がする。わたしは体に引き止められ、捕まった。その声は「わたしはあなたを見捨てないよ。そんな風に思うなんて、馬鹿だね。」というものであった。

 「心配しなくていいよ。見捨てたりしないから。」わたしは時々、人に対してそんな風に思う。他人に思うことは自分から思われていること。つまり、わたしはわたしの体からそう言われていたのだ。こうして言葉にしてしまえば当たり前のことで、大したことではないような気がしてくる。しかし、わたしの体感ではこれはとても大切なことで、わたしにとって大きな荷物を降ろすような出来事だった。わたしがインスタグラムで毎日発信している今日のタロットメッセージはこんなものだった。

何かをゲットする
手放しばかり頑張ってきた気がする
今残っているのは
この人生で決して離れないものたち
(だから手放すことができる)
大丈夫、ぜんぶ

 この文章を書いた昨夜には何のことかわからなかった。しかし、今のわたしはこの言葉がすっかり腑に落ちている。手放し、手放しと言われる昨今、わたしにはもう手放すものはないんだと思うことで安心するような感覚があった。例えばこの体とか、人間関係とか、持ち物とか、今この時点で残っているものはどんな形であれ人生を通してこれからずっと一緒に過ごしていくものなのだという予感がした。手放すこと、捨てること、置いていくこと、見捨てること。その言葉が今はずいぶん冷たく感じる。ただの情で一緒にいたり共感したりすることは、かえってひどいことだという認識があった。それはもちろん変わらないけれど、そのバランス、配合が少し変わったという感覚がある。わたしはその線引きが下手だ。バランスを取るのが難しくて、つい偏った考え方になる。それが自分自身を苦しめることがある。

 夢の話に戻ろう。最近夢と現実の配合が変だな、と考えていたら、今日から魚座に太陽が入ったらしい。魚座は夢の星座。あらゆるものが混ざり合うカオスの世界。それをキャッチしている体にまたまた感心する。体は頭よりもずっと賢い。言葉になる手前、行動になる手前、現象として現れる手前には必ず「傾向」や「予感」のようなものがある。意識的になり耳をすましていればそれに気がつくことができる。それは夢のような性質だと思う。世界を自分が創っている感覚があるけれど、それは同時に創られる世界の「傾向」を感じ取ることでもある。アボリジニの人たちはこの世界こそ夢の世界で「ドリーミング」であると言った。「植物は種子が見た夢である」と言う。わたしたちは夢の中で夢を見て、並行する世界を生きている。先祖の記憶も自分の記憶に混ざっている。これはわたしが最近感じていることに大変近いと思う。
 
 同時に、混ざり合うことで失われることについてもヒントがあった。今日初めてお会いした方がこんなことを教えてくれた。それは、本来「チューリップ」という名前をつけて価値を持たせているものを全てごちゃ混ぜにしてしまったら、「雑草」としてあらゆるものを同じと認識するようなものだ、ということだった。これは本当に絶妙なバランスが必要だと思う。アイデンティティはくっきりさせることでパワフルになることがある。しかしそれは同時に自分を強く持ちすぎることでもある。わたしにとって、その境界線の問題はむずかしい。わたしから見ると人々は、それを自然に上手に扱っているように思える。これに良い・悪いはないのだし、自分の状態によってバランスを変えながらちょうどよく使うことが必要なのかもしれない。

 武満徹がこんなことを言っている。

音楽には、ことばのように名指ししたり選別したりする機能は無い。音楽は、人間個々の内部に浸透していって、全体(宇宙)を感じさせるもので、個人的な体験でありながら、人間(ひと)を分け隔てるものではない。

武満徹(著)「音楽を呼びさますもの」〜グルート島紀行

 今日はこの「全体」と「分け隔てること」のバランスをすごく感じる一日だった。音楽や芸術にはそのヒントがある。そしてわたしの好きな「詩」の言葉にも強い魔法がある。わたしはその言葉をもっと慎重に、体も心も使いながら丁寧に扱う必要があると感じた。食べるものに気をつけるのと同じように取り入れる言葉に気をつける。そして、自分自身が発する言葉にも大きな力を意識する。わたしは完璧ではない。人間は完璧ではない。こうやって色々なことに気がつきながら戻っていく。

 少なくとも、わたしはもうわたしの体を見捨てない。置いていかずに、全てを一緒に連れていく。それは自分自身の可能性を信じることにも似ている。今夜も夢を見る。それはもうひとりのわたしが暮らしている世界だ。肉体を持つこのわたしは、その鼓動を感じながらゆっくりと眠る。

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