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【複雑】動物好きだけど肉も好きな私がヴィーガニズムに対して思うこと

私は昔から大の動物好きです。実家にいた時は犬を飼っていて、それだけでなく道端で猫ちゃんを見かければ思わず近づき(大体は逃げられてしまいますが…泣)、今住んでいる家から徒歩15分くらいのところにヤギやひつじ、牛やリャマなどの動物がたくさんいる公園があるのですが、そこに毎週のように通って癒されています。この歳にして、動物園も大好き!笑

でも、毎日の食事で必ずお肉は食べます。ひき肉やベーコン、ソーセージ、ステーキや鶏の胸肉…最近のお気に入りは、スーパーで3€くらいで売っている牛肉のカルパッチョをわさび醤油につけてご飯に乗せて食べること♡笑お肉だけでなく、卵ももちろん欠かせませんし、お魚は少し高いので毎日は食べませんが、日本に帰れば美味しいお寿司をお腹いっぱい食べます。

そんな私は、ヴィーガンの方の目にはどう映るのだろうか。
矛盾?自分勝手?偽善者?

正直なところ、強く反論はできません。

私は基本、他の人がどうこうではなくて自分の好きなことをやりたい、誰かに迷惑をかけなければなんでもして良いのだというスタンスです。食べ物に関しても無論、単にスーパーに売っているものやレストランのメニューにある料理を食べているだけで、「人間界では」誰かのものを盗んだり、傷つけるということはありません。

でも、「人間界では」という前提を取り払えばどうでしょう。目を閉じればどこかの牧場で見た可愛い牛のつぶらな瞳が頭に浮かびます。どのくらい知能や感情があるのかはわからないけど、確かに懸命に、健気に生きている命、それを人間の身勝手で苦しめ、奪ってしまうことを改めて考えると、本当に涙が出てきます。

そこに泣くほど悲しさを感じるにもかかわらず、お恥ずかしながら私には肉を食べることをやめたいという感情は1ミリも湧いてきません。正直、自分でも謎です。世間では「人類は伝統的に肉を食べてきた」「命に感謝していただくから良いんだ」というヴィーガンへの反対議論をよく見かけますが、私は肉食でありながらその議論の筋は通っていないと思っており、納得できません。伝統とか、感謝とか、漠然としていてピンとこないのです。

自分なりに、なぜ私が「動物好きでありながら肉を食べ続けるのか」考えてみました。

①実感がわかず、現実から目を逸らしている

これが1番大きいと思います。結局、私の食卓に並ぶお肉はただの肉の塊でしかなくて、残念ながらそこに命が感じられないのです。もしも、私がひよこから育てた鶏を捌いて食べろと言われたら、絶対に無理だと言い切れます。世の中のお肉がすべて私の育てた、あるいは身近に触れ合ってきた動物だったら、おそらく私は自然と肉など口にできないか、どんだけ借金をしてでもその動物たちが殺されるのを阻止しようとすると思います。

結局私は、現実と向き合っていない、向き合えていないだけの弱虫なのです。

②お肉の美味しさに感覚が麻痺している

いつ食べてもお肉は美味しいです。私は野菜も好きでサラダやフルーツなど毎日積極的に食べていますが、それでもお肉の濃厚な味わいと適度な歯応え、口の中でじわっと滲み出る肉汁の旨みほど、満足感を感じるものはありません。

書いていて本当に酷だなあと思い、悔しさを実感しているのですが、人生の初期から私の脳にインプットされたお肉の美味しさが私の善悪の感覚を麻痺させていると言えるかもしれません。

③一人が肉食をやめたところで何も変わらないと思っている

私が肉食をやめたところで、世間のお肉の需要は変わりません。と、いうか、そもそも私が買おうが買うまいがスーパーに並んでいるお肉たち、私が手を加えられる段階でその動物たちはすでに死んでいるのだから、手遅れではないでしょうか。むしろどのみち死んでいるのであれば、買われずに破棄されるなどそれこそ命を粗末にする行為なので、美味しく食べてあげた方がいいような気もしてしまいます。

でも、同じことは環境問題でも言えますよね。海にプラスチックゴミを捨てない、どうせ世界のどこかで捨てている人はいるのだろうと思いながらも、少しずつでも多くの人の意識が変わってほしいという期待を抱いて、従います。ヴィーガニズムが同様に浸透しないのは、肉食は環境問題ほど一般的に広く問題視されていないからでしょうか。

④食べるものが制限されることによる不自由が嫌

現在は完全ヴィーガンレストラン、ヴィーガンメニューを用意しているレストラン、スーパーのヴィーガンコーナーなど、植物性由来のものだけを使った食品も一昔前よりは手に入りやすくなっていると思います。でも、実際に日常生活、誰かのお家にお呼ばれした時、旅行先でローカルなレストランを探している時、大人数の飲み会に参加する時…どうしても動物由来の食品を避けることが難しい瞬間ってありそう…

もちろん、ヴィーガンの方は自分を強く持ってうまくやられているのだと思うのですが、基本的に食べ物に好き嫌いがなく何を出されてもどんなレストランでもOKな私の身からすると、肉が食べられない故に事前に説明、交渉したり、特別な手配をしたり、はたまた何かのイベントを諦めるような弊害が出る可能性のある生活は億劫に感じてしまうのです。

⑤攻撃的なヴィーガンの方に対する抵抗感

ほとんどのヴィーガンの方は、動物だけではなく人間に対しても誰にでも優しく寛容で、自分の意思は貫きながらも異なる価値観を持ったお肉を食べる人とも仲良くしてくださいます。私にもヴィーガンの友人、知り合いは何人かいます。

でも、SNSを見ると結構、攻撃的、否定的な態度のヴィーガンの方も見かけますよね。肉を食べている人に対して、「うわ、キモい」「どうしてそんなことできるの」「ありえない」など、肉食云々ではなく人間としてどうなのかと思ってしまうような態度、発言は、受け入れ難いものです。

確かに「殺人犯」に対してであれば、それだけ否定的な気持ちになることも理解できます。ヴィーガンの方が肉を食べている人を見ると、友人が殺されているような気持ちなのだと思います。でも、殺人とは違い、肉食は世間の一般的な悪として認識されていないのだから、否定的な態度を取ることに効果はなく、自分の格を下げるだけです。せめてちょっとスタンスを考えてもらえないかなと思う日々です。

色々と挙げてみましたが、結局、私に肉食の善し悪しの結論は出せません。
私は当面、お肉を食べ続けると思います。でも、そんな自分の適当さ、弱さを知っているからこそ、すべてに負けず行動されているヴィーガンの方々を私は心から、尊敬します。いつか私もその一員に加わることがあるのかは分かりませんが、何が1番自分、そして世界全体の幸せに近づく方法なのか模索するため、私はこれからもこの問題に向き合っていきます。

動物さん、本当にごめんなさい。


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