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『ショパンの手紙』は、ポーランド語で"Listy Chopina"(リースティ・ショペナ)と言う。

『ショパンの手紙』を原文で読みたいって??
馬鹿言ってんじゃないよ、英語も読めないくせに。

(1)翻訳の違い

わたしの癖のひとつに、翻訳違いを吟味するというのがある。
きっかけは『オペラ座の怪人』映画だった。
珍しく映画館で見た。しかし後半ぜんぜんわからんぞ??
名作なのに変だなとネットで調べたら、日本語訳がまずかったらしい。

(2)『オペラ座の怪人』映画の邦訳がおかしい?

映画の日本語訳が粗くてみなが誤解してる、正しい訳を!という運動が掲示板で始まって、それを毎日眺めてた。本業通訳さんもいて、短いワードにもすごい解説量。熱い。

わかるのは音と感情だけ。言葉の意味は専門家=翻訳者さま次第。
でも翻訳は複数あって選べるんだ。そう思った。

(3)ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』と詩

その後、『赤毛のアン』『高慢と偏見』『コモンセンス』、『車輪の下』と『ヘッセの手紙』、同じ題名の本を違う翻訳者で何冊も読むのが癖になった。訳でぜんぜんキャラが違うのね。省略箇所も気になる。

ヘッセの詩は、ドイツ語韻文詩のリズムが綺麗らしいと、youtubeで朗読も聴いてみた。そのためにドイツ語テキストを用意した。ドイツの青空文庫。

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うん、ぜんぜんわからん。(*´ω`)

わからないけど、なんとなくエッセンスに触れてる(ような気がした)。
あらためて翻訳はスゴイと思う。イメージを膨らませ、短い言葉に想いを詰め込んでるんだな。

(4)ショパンのキャラの二面性?

青年時代の手紙を読んでると、饒舌すぎて呆れちゃう。
ポーランド語の手紙は家族か学生時代の友人宛で、おしゃべりな大長文。
目に浮かぶほどの情景描写、細部の観察や記憶力がスゴイ。かと思えば突然散漫になり、文章が終わらず主語も時系列もめちゃくちゃに。

このぶっちゃけトークな長文をどう訳すかで、ショパンのキャラがずいぶん変わる。どこを抜粋しメインで訳すのか?陽気なところ?深刻なところ?
男友達には暑苦しそうな愛をウザイほど語る。貴婦人たちには超純愛でクールを装う。やんちゃなのかシャイなのか。
ピュアで一途だけど、表裏を使い分けられる人??

手紙の締めで多いのは、自分は孤独だと言ったあと、
「僕はいま頭がおかしいけど、読み返さずに送っちゃうね。
 僕をずっと愛してね💓 F・ショパン」 的な。

曲は推敲魔だけど、手紙は読み返さないショパンくんであった。

(5)『ショパンの手紙』ポーランド語

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『ショパンの手紙』原文サイト。もちろんポーランド語。
見つけたからってどうすんの??と思いつつ、こぼれる笑い😊

(6)親友ティテュスくんが住んでたポトゥルージン(ポトウルジン)はどこ??

さっそく調べてみたのは、親友ティテュスくんが住んでたところ。
ポーランド語の手紙で、地名ポトゥルージンのスペルが『Poturzyn』だとわかったので、Googleマップを見てみた。

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えっとショパンくんが住んでるワルシャワから……300km!!???手紙を出すくらいだから近くはないだろうと思ったけど遠いな。
彼も音楽やってたはず。大学卒業後すぐ、田舎へ帰って農園を継いだ。

青年ショパンくんが、ウィーンに行きたいけど行きたくないとかなんだかんだとぐずるので、ティテュスも一緒にウィーンへ同行。自宅から600km以上あるのに、付き合い良い兄貴である。その直後にポーランド独立戦争勃発。1830年11月。
ティテュス、祖国を守る義勇兵参加を即決し、ささっと600㎞の帰国の途に。体力も決断力もスゴい。

かたや放心してるショパンくん。「きみは音楽の道を行け」と説得されたけど「やっぱり僕も!」と馬車で追いかける。けれどティテュスは去った後。

ショパンのすべての運命はこの時に決まったとわたしは考えている。
もしここでショパンがワルシャワに帰っていたら、彼の音楽はどうなっていただろうか (中略)

彼の音楽の源泉であるポーランド民族の生活、感情、文化を
たえず吸収していたら

  巻末解説『ショパンの手紙』編者:アーサー・へドレイ

それは…スゴイ if だな。
晩年の音は確かに、暗い霧を魂だけ漂うようなヤバさがある。
病気だからと思ってたけど、源泉を絶たれたって考えるんだ。
「人は土から離れては生きられないのよ!」的な??

(7)ポトゥルージン(Poturzyn)の風景

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Googleマップで見たら看板が立ってる。
ティテュス(Tytus Woyciechowski)の写真だ。
ここなんだね、彼の農園。
山はなく平らで、ただただ広い。

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