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無防備な人間1人殺して5人の命を救えるとしたら、あなたはどうしますか?(臓器くじ、トロッコ問題)

もしあなたが5人の患者さんを受け持つ医師だったとしましょう。今日中に臓器移植しないと、確実に5人の患者さんは死んでしまいます。臓器のストックはもうなく、唯一臓器を取得する方法が来客した健康な患者さんを一人殺害して、彼の臓器を移植することです。どの命も同じくらい尊いです。独断で判断しなくてはならない場合、あなたは5人の臓器移植を必要としている患者さんと健康な患者さんのどちらを救い/殺しますか?

これは、臓器くじと言う思考実験です。これによく似た思考実験がトロッコ問題です。まずは、トロッコ問題から入り、その後に臓器くじの僕なりの結論と理由を紹介したいと思います。

トロッコ問題

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トロッコが暴走しています。このままだと線路の先にいる5人の人間が死んでしまいます。たまたま、あなたは線路の分岐器にいます。進路を切り替えれば、線路先の5人は助かります。その代わりに、別路線の1人が死ぬことになります。どの命も同じくらい尊いです。6人の命の行くへをコントロールできるのはあなただけす。あなたは進路を切り替えますか?

僕の結論:進路を切り替える。

多分、進路を切り替えると答える人が多数派になると思います。この状況下の場合、単純な比較問題だと思います。


進路を切り替える = 5人救って、1人殺す

進路を切り替えない = 5人殺して、1人救う

5人救って、1人殺す > 5人殺して、1人救う

進路を切り替える > 進路を切り替えない


臓器くじ

一見、臓器くじとトロッコ問題は同じ問題のように見えます。両方とも「5人救って、1人殺す」か「5人殺して、1人殺す」かについて考えます。しかし、臓器くじの場合、多数派が逆転します。多くの人が、5人の臓器移植を必要としている患者さんを見殺しにしてでも健康な患者さんを殺さないと選択します。僕もその一人です。

僕の結論:5人の臓器移植を必要としている患者さんを見殺しにしてでも健康な患者さんを殺さない

なぜ、このように結果の差が生まれるのでしょうか?それは、臓器くじの場合、天秤にかけられているのが人の命だけではないからです。来客した健康な患者さんを殺すと言う行為は、多くの命を救うために誰かを殺すことを正当化する社会を認めることです。

そんな社会が認められてしまったら、我々は日々死と隣り合わせで暮らさなくてはなりません。いつ殺されてもおかしくないので、誰もが武器を持ち歩くことになるでしょう。また、人と関わると殺されるリスクがあるので人間同士が協力することも減るでしょう。殺されない権利があるからこそ、今の社会が成り立っているのです。だから、例えより多くの人間が犠牲になったとしても、全体的な社会のことを考えてこの結論に至りました。


無関係者を殺して、臓器移植する = 5人救って、1人殺す + 無関係者が殺されることが正当化される世界を認める

無関係者を生かして、臓器移植しない = 5人殺して、1人救う + 無関係者が殺されることが正当化される世界を認めない

5人救って、1人殺す + 無関係者が殺されることが正当化される世界を認める < 5人殺して、1人救う + 無関係者が殺されることが正当化される世界を認めない

無関係者を殺して、臓器移植する < 無関係者を生かして、臓器移植しない


最後に

臓器くじにも、トロッコ問題にも決して正しい答えがある訳ではありません。あくまでも、僕が一番納得できた結論を紹介しただけです。

YouTubeで水谷健吾さんがトロッコ問題/臓器くじについてわかりやすく分析している動画があるのでお時間があれば是非見てください。僕も大変参考にさせていただきました。


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