めちゃくちゃ考察した話
ネットラジオを聴いていた時の話。
はじまってすぐに「寄生獣って知ってますか」とパーソナリティが掛け合う。
寄生獣
私の人生における漫画ベスト10を決めろ、と言われたときに確実入る作品が寄生獣だ。
完全版コミックスの表紙、いいですよね。印象的で頭から離れない名セリフが記載されている。私はやっぱり「死んだイヌはイヌじゃない、イヌの形をした肉だ」のクールかで残酷な、非人間的な感じが好きですねぇ…ただ第1巻の「悪魔」というのを本で調べたが…人間だと思うぞ…ってやつも、冒頭からこんなにも伏線はっててすげえよホントって読み返した時になりますよね。(メッチャ早口だと思ってください)
まぁ、ここで寄生獣サイコートークを繰り広げると、キリが無いのでラジオ番組の話に戻すと
「主人公・新一の右手に寄生するもう一人の主人公である寄生獣・通称ミギーっていますよね。コミックがアメリカで出版された時に、なんて名前になると思いますか」
「右で、ライトだから。ライトくんですかね」
「実はそれが…レフティーだったんですよ」
LEFT、つまり左である。
話を進めて聞いていくと、米国版コミックの進一は左利きで、寄生されたのも左手、原作というか日本版と真逆なのだそうだ。
「これなんでかわかりますか」
「ええー…それはレフティーにする必要性があったんですよね」
「もちろんです」
私はここでラジオの再生を止めた。
すぐに検索エンジンを開いて、楳図かずおのホラー漫画神の左手悪魔の右手を調べた。
アメリカ、というと日本と異なってなにかしらの宗教を信仰している人が多く、代表的なのがキリスト教である。
宗教に関連する神という言葉と、右手左手問題で頭の中でサジェストされた言葉が神の左手悪魔の右手であった。
恐らく理由は宗教的な配慮からそのようにしたのではないか。
なんとなく確信めいた直観からまずは神の左手悪魔の右手、という単語の意味や由来を調べた。
非人間的な存在として描かれる寄生獣を、悪魔とするのであればミギー(右手)であれば合致してるじゃん。と思ったが
神にとって左手は破壊をもたらす存在であり
右手は神の義、愛など神ご自身とその力のすべてをあらわすそうだ。(聖書にも神の右の御手といった記述がよくあるそうだ)
この宗教的な視点を持った上で寄生獣を見た場合
「この種を食い殺せ」といった本能を持った悪魔のような存在である寄生獣は、左手である方が自然。むしろ右手であった場合に、矛盾すら感じる。
信仰心を厚い人からはバッシングがあってもおかしくないとすら思えた、神への冒涜だと。
そして、右手左手で思い浮かんだのがインドの食事作法だった。
右手を使って食事をする文化があることはご存知だと思う。
左手は≪不浄≫だからと、ここまでは知っている。
詳しく調べると
これはヒンドゥー教におけるジューターの概念によるものだそうだ。ジューターとは≪穢れ≫で、左手はジューター、≪不浄≫とされている為に自己防衛の意味で右手を用いて食事をするという。
ちなみにこの左手が不浄、という考えはイスラム教も同様だそうだ。
人を食らう驚異の存在は、ジューター。≪穢れ≫といえるだろうか。
答えは明白だ、では右手と左手どちらが≪穢れ≫であったか。
ヒンドゥー、イスラム教の視点でみても
ミギーではなく、レフティーであった方が自然。
ミギーだった場合を、受け入れ難い…といえる。
Googleさんによれば
とのことである。
つまりミギーより、レフティーの方が違和感なく受け入れやすいといえる人たちが総人口の72%もいる訳である。(キリスト32%+イスラム25%+ヒンドゥー15%)
対して、日本は1億2千万人ほどだ。
ミギーで、慣れ親しんでいるのは、MAXで1億2千万人なのだ。
いや、もっと強い表現をしよう。
棒グラフで見ます?
こういうことね?
確信めいた直観はやはり正しかったか、数字はいつだってあと一歩が出ない私の背中を押してくれる。
私は、ラジオを再生した。
そして、パーソナリティの言葉を待っていた。
「寄生獣という作品って、なかなかに難しいテーマを取り扱っているじゃないですか。人とは、生きるとは、みたいな人間賛歌的な」
「ええ、ええ」
「それに対して不浄とされる左手じゃなくて、右手が怪物ってのは違和感を覚える人が多いわけですね」
「はー…」
「この宗教的な話でいうと、左手が不浄っていうインドでよく聞く話にとどまらずにキリスト教でも右手は神聖視されていて………
「えーすごい!!…………
そんなやり取りが起こることはなかった。
そう…
ただ…それだけの…話…
それだけだって!!!!!!!??!
バカヤロー!!!!
聴いていたネットラジオはコチラ(オモコロ)
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