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言葉の感覚の違い

「少しだけ待って」「ちょっと待って」と言われたら、どれくらい待てばいいのだろうかと考えませんか。

「少しだけは、少しだけ」「ちょっとは、ちょっと」と思うかもしれませんが、それが、3秒なのか、1分なのか、10分なのか、1時間なのか、僕にはわからなかったのです。

「それなら時間を教えてあげる」「目で見てわかるタイマーがあるよ」と周りの人からアドバイスされます。
わかったら、待てるようにもなるでしょう。それは、それでいいことです。

ただ、「少しだけ」とか「ちょっと」というのは、時間に対する捉え方の問題でもあると思うのです。

このような表現で待つことの出来る感覚というのは、どうやって身に着くのだろうと、僕はずっと考えていました。

正確に時間を提示しなくても、「まあこれくらいだよね」という共通の認識が、お互いの間にあればいいのでしょう。

けれど、「少しだけ」や「ちょっと」を使う場合の状況は、そのつど違います。相手ももちろん代わります。

僕は、なぜ「何分待って」と言わず、こんなあいまいな言葉を使うのか、不思議に思っていました。

どれくらいかかるのか予想がつかないけれど、「少しだけ待って」「ちょっと待って」と言われたら、それは相手が考えている短い時間であろうことは、僕にもわかるようになりました。

生活習慣や語学力によっても、共通の認識は違うはずなのに、「少しだけ」や「ちょっと」という言葉が意味する内容は、どの国も一緒です。
そのような言葉を使うのは、時間の正確さより、やわらかい人間関係を構築したいと思った場合なのでしょう。

みんなが自然につかっている言葉に込められたニュアンスや感覚の違いがわからなくて孤独を感じている自閉症者は多いと思います。

こういうことだったのかといつか実感できる日が訪れるのか、自分自身の内面を見つめる日々は続きます。


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作家。著書「自閉症の僕が跳びはねる理由」「自閉症の僕が跳びはねる理由2」「跳びはねる思考」最新刊「世界は思考で変えられる自閉症の僕が見つけた「いつもの景色」が輝く43の視点」が発売中です。 東田直樹オフィシャルサイト https://naoki-higashida.jp/