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喪の挫折

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喪の挫折シリーズ
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ともだち

今日読んだ詩の中に、「友だち」という単語が現れた。 とくに読むのに不都合は感じなかった。 意味も分かった(ような気がする)。なぜだろう。 僕には「友だち」などいたことがないのに、つまり 見たこともない、言葉だけは聞いたことがある、「友だち」 というものが、どのようなものなのか知りもしないで 不思議な気分にもならずに どうして「友だち」をやりすごすことができるのだろう。 ことばの謎だ。「友情」は分かる。僕が友情を感じるのは みんな死んだ人たちだ。みんな、死んだ

くうとむ

死は、空なのか、無なのか。 生は、有であると、異論もあろうが、ひとまずいっておこう。 有るものが生きるのではなくて、生きながら有るに成る。 死は生の対義語なのか。もしそうなら有るのでないのだから無だ。 でもこれは錯覚のような気がしてならない。 有と無の区別の境界線をはさんでどちら側ということなら 死は生でなく、生は死でない、というだけのことなのか。 死に成るということは、その区別の可能性の条件を 日付変更線のような境界線をひく地面を失うということではないか。 悼

れらすい

私の夫がですね。私の兄とですね。ウイマムに出かけたのですよ。 ええ。ウイマムです。熊と鹿の毛皮と、干した鮭をたくさん持って。 シサㇺのところに。私は夫といっしょに暮らしていましたよ。 兄は同じコタンに暮らしていましたよ。熊や鹿をとって。 熊は山の神さまですよ。鹿はここではたくさんいます。 夕焼が山を照らすと山肌一面を鹿が埋め尽くしていますよ。 兄と夫は何日も帰ってきません。心配しますよ。 夫と兄を待って空を見上げていると、立派な舟が飛んできますよ。 兄と夫とと

とわとわと

パセカムイがいた。コタンコㇿカムイがいた。 ヌプリコㇿカムイがいた。ヌプリパコㇿカムイがいた。 私はわたしの体の中の耳と耳の間に座っていました。 アペフチと語らいました。チセコㇿカムイと語らいました。 シュマト゚ム・チャシュチャシュ・トワトワト ニト゚ム・チャシュチャシュ・トワトワト とヌサコㇿカムイが歌っていました。 ああ、ピㇼカチカッポ。愛しいあの人へさよならの口づけ。 オノンノ! オノンノ! レプンカムイよ、イランカラㇷ゚テ。 思い出に、金の雫、降る降

たんご

クラフトワークで踊るための墓場。詩とモチーフ。 詩集を読みながら、マルとかバツとか、徴づける。 「渋谷の街」にはバツをした。とたんにその詩がゴミみたいに見える。 ゴミだから素敵だという話ではなくてつまんないし詩的な効果が 減衰しているからゴミだという話。「巨乳」に「おほちち」と ふりがながふってある俳句にはマルをした。高橋睦郎の句だ。 高橋睦郎は母子家庭で育った。ゲイだったはずだ。「父母心經」という 21句。新人作品の選者をしている詩人の詩集はバツばかりだった。

おんちょう

同姓同名の、いや、日本語に音写すると同姓同名になる、ふたりの フランス出身の女性たち。1909年に生まれたW、1927年に生まれたV。 ひとりは1940年6月13日に母親と買い物に出かけてパリを脱出した。 ひとりは1944年にアウシュヴィッツに収容された。パリを出てまず アメリカに渡って、後悔した。フランスの人々を思って。両親と 別れてロンドンに渡ってド・ゴールの自由フランス本部で働いた。 彼女は食事を拒否して1943年に死んだ。イギリスの新聞は 「異常な犠牲行

かいじょう

インティファーダに寝坊してきたような空家。旧石器時代に 出アフリカをはたした現生人類。ミトコンドリア・イブとY染色体アダム。 人称代名詞によって特徴づけられる、出アフリカ古層A型。系統的に 孤立した9の言語のうち、6言語はこの出アフリカ古層A型に属する。 西シベリアのケット語。ピレネー山脈のバスク語。サハリン先住民の ニヴフ語。朝鮮語。アイヌ語。日本語。 すべてを、理解した、僕たちは、きょう、テレビで壱岐島で50年にいちど の大雨となった、と知った。海上の交通を

まなざし

ゴールポストにはじかれたような空。寺の鐘の音がびくつきながら 鐘から離れていって、次の鐘の音がびくつきながら前の鐘の音を 追いかける。追いつくことは稀だと思う。君はびくついているから。 西洋人が東洋をまなざすとき、そのまなざしにこもっている、 審美的に観察しようという汁気の多い趣味判断は、向こう側から こちら側にひだのように折り畳まれていて、君のまなざしに インストールされている。すでに。折り畳まれたまなざしをじぶん のものと思い込んで君は、審美的にその身を差し

せんご

こころがとても落ち着いている。こころがとても落ち着いている。風。 両手両足がおもたい。両手両足がおもたい。柱時計。柱時計。井戸。 両手両足があたたかい。両手両足があたたかい。イメージの中では ぽかぽかとした原っぱで日向ぼっこをしていて、同時に露天風呂に 入っている。イメージの中の露天風呂に入っていると、両手両足が ぽかぽかとして、じっとりと汗がにじんでいる。それにしても 両手両足がおもたい。両手両足が鉄の重さで地下深く隠された井戸の 底に沈み込んでいる。井戸の底

じんせい

いつはじまるのだろう。人生は。まだかまだかと僕は待っている。 いつはじまる。どうしてなかなかはじまらない。のだ。ろう。 人生は。生は。生の危うさ。まだか。待っている。まだか。 いつは。じまって。いる。なかなか。危うく。まだか。 待って。待って。人。どうして。待って。まだか。 いつ。いくつ。どうして。いくつ。生。は。まる。じ。 どう。かは。僕。待つ。危。生。待。指鳴らす少年の肉ばなれ。 まだか。まだか。少年は。まだか。人生は。まだか。待って。 危殆。死んで。指。

さめ

町の中心は製薬工場。町の北側には日が差さない。朝だけ日が差す小学校 と役場。夕方だけ日が差す団地。団地の人びとが製薬工場で薬品をつくる。 工場の南側は日が差す良い土地ではなかっただろうか。あそこにはなにもない よなあ。そういえば幼稚園があったな。と君は思う。町の人々は夕方、町の ずっと南の方にあるイオンに買い物に行く。隣町からも来る。イオンはなんで も売っている。猫砂も、牛乳も、サンダルも売っている。こんなに便利なお店 を町のはじっこに置いておくのはもったいない。

さいじき

それは『さいじき』をひらく。なんとまあ、禍々しい。悪の内容証明。 別名『言語黒書』。ことばによるホロコースト。ことばという名の、名 という名をもつ大虐殺。世界を切り裂き、花を存在させる原‐暴力。 僕たちはことばに領有されつづけるかぎり、ただうなだれ、棄却された 残り滓のスープを穴という穴からこぼすしかないのか。吐いたゲロを のみほし、それでもあふれてくる残余を、なかったことにして、きょうも お祈りする。おことばさまありがたうござります。きょうもりんじんを 搾取し

てがみ

君は手紙を書く。明け方の、砂浜が見える砂丘の、小さなテントのそば。 焚き火は弱々しいが、温度はちょうどいい。小さな折りたたみ式のテーブル。 太陽の輪郭のいちばんてっぺんの部分が、水平線にかかっている。 君は手紙を書き終えると、署名する。そしてしっかりと封をして、 バックパックのいちばん奥底に潜り込ませる。焚き火でわかしたあたたかい ミルクをのむ。僕は詩を書く。すべての単語を暗号化している。文字単位で 暗号化すると、複合が容易になってしまう。僕はもうじき死ぬ。君の

けいざい

スロヴェニアに伝わる例の伝承。農夫は魔女からこう言われる。なんでも願い を叶えてやろう。ただしお前の隣人にはその願いの二倍を叶えよう。農夫は考 えて言った。俺の眼をひとつ取れ。僕はこれはジジェクの創作ではないかと考 える。こんなに正確に資本主義の精神を寓話化できるなんて。あまりにもでき すぎている。君はどう思う。商人は美化されすぎていると思わんか。砂漠の一 武器商人(アルチュール・ランボー)といい。商品は命がけの飛躍を果たすん だった。そして無内容な商品が貨幣だっ