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くうとむ

死は、空なのか、無なのか。





生は、有であると、異論もあろうが、ひとまずいっておこう。





有るものが生きるのではなくて、生きながら有るに成る。





死は生の対義語なのか。もしそうなら有るのでないのだから無だ。





でもこれは錯覚のような気がしてならない。





有と無の区別の境界線をはさんでどちら側ということなら
死は生でなく、生は死でない、というだけのことなのか。





死に成るということは、その区別の可能性の条件を
日付変更線のような境界線をひく地面を失うということではないか。











悼むことをやめ、ともにあらねばならない。

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