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相対的価値観ではなく、絶対的価値観を大事にして生きていきたい。

こんにちは。ひっぴーです!noteをご覧いただきありがとうございます。

今回は「#自分にとって大切なこと」というテーマで投稿を募集していたので、このテーマで書いてみようと思います。

このテーマを考えたときにふと思い浮かんだのは、「この人より〜が優れている」といった他人との比較をベースとした相対的価値観ではなく「朝ゆっくりコーヒーを飲んでるのが幸せ」というような自分が感じた心地よさを大事にする、いわば「絶対的価値観」を大切にして生きていきたいという考えに様々な経験を通して変わることができたことです。

今でこそ自分が感じた気持ちのいい感覚を大事に日々を過ごせていますが、自分のなかで何がきっかけで変化が起きていったのかを記してみようと思います。

中高生の頃から社会が求める自分にならなければという思い込みにとらわれていた

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中高生の頃からなんとなく、周囲や身近な人からはっきりと何かを言われた訳ではないが、多くの方と同じように「いい大学へ行きいい会社に入るのが良い人生というような考え」を周囲や社会から刷り込まれてきたと思う。

中学の頃は平均よりちょっと勉強ができるぐらいのレベルではあったが、なんとか地元では評判の良い私立の進学校の高校に入ることができた。ただ、今思えばその頃から、いい高校⇒いい大学⇒いい会社というなんとなくの道筋を周囲や社会から期待されていた気がする。

今振り返ると、いい大学やいい会社などというのは、端的に言うと所属の話しかしていない。

でもやっと30歳手前になって、「自分が何がしたいのか?」「何をしていると楽しいのか?」という問いかけをし、その答えを追い求めて行動を起こしていくことこそが最も大事なことだと気づくことができた。

だいぶ気づくのが遅かったかもしれないけど、気づけただけで幸運なのかもしれないと前向きに考えたい。

クズな大学生活を送っていた

いい大学に入らなければという思い込みにとらわれていたこともあり、受験勉強はそれなりに頑張り、何とか偏差値60ぐらいの難関ではないが、MARCHと括られる中の大学に入ることができた。

ただ、大学選びの視点に全く自分軸がなかったと、今だからこそ言える。当時はその反動もあったのか、情けないことだが大学入学後、生きる意味を見失い、数年間、無気力になり留年を繰り返すほどクズでした。

海外のたくさんの人との出会いが自分を救ってくれた

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そんな無気力な大学生活を送る中、英語や異文化に興味を持っていました。

鬱々とした日々を送る中、大学の長期休暇にフィリピンに語学留学をすることを決め、あるときからオンライン英会話でフィリピン人の方と毎日話すようになった。

そのときに「今度フィリピンに留学に行くんだ」と毎回のように講師と話をしていたら、留学に行った際、会話が楽しく仲良くなった講師と現地で会うことができた。彼は地元の教会やレストランやカフェ、地元の人しか行かないような場所を案内してくれた。

彼とのつながりから、たくさんのフィリピンの人たちと出会えました。会う人みんなが明るかった。生活に決して余裕があるわけではなさそうだったけど未来に希望を持って生きている姿が、気持ちが落ち込みがちだった当時の自分を励ましてくれた。

海外で生活したい気持ちが高まりベトナム就職

フィリピンへの留学後、海外や異文化への興味がさらに増し、東南アジアを貧乏旅行で回ったり、アメリカへ短期留学するなどしてきた。マレーシアではカウチサーフィンという国際交流を目的としたSNSを使い、地元の人の家に泊めてもらったりもした。

海外を旅した結果、大学卒業前に就職をどうするのかと迷いはあったが、海外で働きたい気持ちが高まりベトナムにある会社でインターンをしてみることにした。

3ヶ月のインターンをした後、やっぱり今後もベトナムで働きたい、生活したいという気持ちが高まり、本格的にベトナムで仕事をみつけ働きはじめることができた。最初の2年ほどは、月収15万円ほどだったので、地元の人が住むアパートを借り、毎日を必死に生きていた気がする。

自分軸を持ち、絶対的価値観を大事に生きていきたい

今はベトナム人の妻と結婚し、夫婦で家賃を含めた生活費が月10万ほどで、つつましくも穏やかに生活できている。

こちらに来て5年が経つのだが、少しづづではあるがベトナム語も上達し、ベトナムの文化への理解も深まったと思う。

おそらく傍からみたら、「落ちこぼれ」「貧しい生活」といったレッテルを貼られたり、そういうイメージを持たれる方もいるかもしれない。

ただ、今の自分は朝起きて散歩をしたり、近くのカフェでゆっくりコーヒーを飲んだり、妻とのんびり話をしたりするだけで幸せを感じている。

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他者がみたらどう思うかは分からないが、誰がなんと言おうと関係なく心地よさや幸福を感じていると言い換えてもいいかもしれない。

数年前までは本当に「この人より会社で評価されたい」とか「この人ぐらい稼ぎたい」などといった、そういった他人との比較から生まれる相対的価値観に多くを支配されていた気がする。

他人との比較から努力できたりすることは、もちろんあると思う。でも、そればかりに振り回されると人生つらいし、結局のところ、それはあまり意味がないのかなと気づいた。

生きていたら、ルールや競争から完全に自由ではいられないとは思う。ただ、今は本当に心の底から、自分が好きなことや大事にしたいことをただただ追い求めるだけで良いのではないかと思っている。

大事にしたいことを追い求めるのに加え、幸福というのは、その場にとどまっていて享受できるものではなく自ら掴みとっていくものというマインドセットを持つことも同じくらい大事であると思っています。

これから生きていく中でまた価値観が少し変わることはあるかもしれないが、絶対的価値観を大事にしていきたいというのは変わらない気がする。

これからも自分が「楽しい」とか「心地よい」とか、そんな感情を大事にして生きていきたいと思う。








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