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自分の意図を挟まずに詩を綴ることの難しさ

昨日 縁があって
とあるアーティストの想いを
詩にすることなった

ハッキリ言って
すごく難しい

というのも
そのアーティストの想いに
僕の意図を
乗せてしまいそうになるからだ

アーティストから話をあれこれ聞く
そこから湧いてくる言葉を並べ
詩にしていく
それだけなのに
散らばりすぎた言葉を
詩にまとめていく時に
僕の意図が入り込んでしまいそうになる

僕が綴りたい詩は
そのアーティストの想いを
一切のノイズなく変換された詩
そこに僕の意図が入り込むと
ノイズが入ってしまい
そのアーティストの詩ではなくなってしまう
ノイズが強すぎてしまえば
もはやそれは
僕の詩になってしまうのだ

僕がセミナー講師をしていた時
ゴーストライターのような仕事を
していた時もあった
とある著名人になりきって
テキストや教材の文章を作成していた

著名人になりきる
このシンクロができたとき
まるで自動書記のように
スラスラと文字が書けてしまう
そこには
僕の意図は完全にない
あたかも
その著名人が書いたかのような
文章になるのだ

そんなことを何度も経験したから
そのアーティストの想いも
詩にすることができるだろう
できたことを難しいと感じるのは
まだ慣れない詩だからではなく
恐らく
シンクロの問題

逆に言うと
もっと深くシンクロができれば
僕の意図をノイズとして含めることなく
アーティストの想いを
詩として綴ることができる

これは
一切のフィルターを通さずに
五感で感じとったものを
一切のフィルターを通さずに
五感で感じ取れる状態にする
という作業

シンクロした時には
僕のフィルターはなくなっている
そういうこと

左脳優位が変わっていけば
もっとやりやすくなるかもしれない

いずれにしても
この取り組みの先には
面白いことが待っている気がするんだ

難しいけど続けてみよう


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