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私の30代【AI要約】

【2012年】31歳
1. 研究テーマの選定
31歳の私は、産業技術総合研究所の研究員として、5年以内に成果を挙げなくてはならないという問題に直面していた。グループ長と相談し、自身の経験と強みを活かせる研究テーマとして、「ヒトiPS細胞」「ノンコーティングRNA」「化学物質の安全性評価」の3つのキーワードを選定した。
2. 独立に向けたトレーニング
当時は予算や人員が限られていたため、大学でのポスドク経験に基づき、研究テーマの発案から論文執筆まで全てを一人で遂行することを決意した。これは、自身の研究能力と責任感を高めるための「独立に向けたトレーニング」と位置づけた。
3. GAS5研究の成功
具体的には、「RNA分解」という視点から、当時盛んに研究されていたノンコーティングRNA「GAS5」の機能解明に取り組んだ。研究の過程でグループ長や大学時代の先生に意見を求め、実験を追加することで論文の完成度を高め、PLoS One誌に掲載することに成功した。

【2013年】32歳
1. ヒトiPS細胞培養の習得
ヒトiPS細胞を用いて化学物質の薬効・安全性評価を行う研究を始めた。当時、ヒトiPS細胞培養の経験がなかったため、他の研究室で3ヶ月間トレーニングを受けた。この経験は、後の研究活動の基盤となった。
2. ノンコーディングRNAをサロゲート分子として利用
ヒトiPS細胞に化学物質を投与し、発現量変化の大きいノンコーディングRNAをサロゲート分子として利用する方法を開発した。この方法は、従来のmRNAやタンパク質よりも迅速かつ高感度に薬効・安全性を評価できる。私はこの方法を用いて、世界で初めて化学物質に対するノンコーディングRNAの反応を明らかにした。
3. STAP細胞騒動
私は、STAP細胞論文の発表当初から違和感を感じており、評価を急ぐべきではないと主張していた。それは他の研究室から似たような研究報告がなかったためだ。その後、STAP細胞の存在は否定された。

【2016年】36歳
1. 学生指導の開始
2016年、私は科研費を獲得し、共同研究先の大学の学生の卒論指導を始めた。優秀な学生で、著者は惜しみなく指導を行った。
2. 日本分子生物学会での発表
学生は研究成果をまとめ、日本分子生物学会で口頭発表を行った。私は英語での発表を忘れていたが、学生は急遽英語資料を作成し、発表を成功させた。
3. 論文発表と大学院進学
学生の研究内容は論文にまとめられ、PLoS One誌とScientific Reports誌に掲載された。私は学生に大学院進学を勧めたが、学生は就職を選択した。

【2018年】38歳
1. 国際連携室への出向
2018年、私は研究所にて、国際連携室への出向を経験した。当初は英語力に不安があったが、文章作成力と内部交渉力などを活かして貢献した。特に、G20各国の国立研究所等による国際会議「RD20」の立ち上げに尽力し、成功に導いた。
2. 国際連携室での経験
霞が関への出張や他部署との調整など、様々な経験を積んだ。国際会議の成功を通して、次長や室長から高い評価を得て、人脈を広げた。1年間の出向を通して、研究者としての視野を広げることができた。
3. 研究職への復帰と大学移籍
2020年以降は新型コロナウイルスの影響で研究活動が大きく変化した。それがもとになり、2022年夏、大学に移籍することを決意することになる。

【2020年】40歳
1. 40歳を迎えてのミッドライフ・クライシス
40歳の私は、研究者としてのキャリアに疑問を感じ、漠然とした物足りなさを感じていた。2016年に学生指導を通して「教育」への興味を持ち始め、さらに2018年の事務職出向を通して「研究者としてのキャリアビジョン」を再考するようになった。
2. コロナ禍で研究活動の変化
2020年以降の新型コロナウイルスの影響で、実験室での研究活動が制限された。これを機に、これまで避けていた「コンピュータ解析」に目を向け、統計学、R、Python、機械学習、ディープラーニング、バイオDXなどを学んだ。
3. 大学移籍への決意
コロナ禍による研究活動の変化と、学生への教育への情熱から、大学移籍を決意した。2023年4月から、薬学部・准教授として分子生物学とコンピュータ解析の両方の分野で教鞭を執っている。

【以下、元リンク】
【2012年】31歳

【2013年】32歳

【2016年】36歳

【2018年】38歳

【2020年】40歳

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