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自分の考え方を変えた指導学生のお話

2016年。35歳の私は産業技術総合研究所の主任研究員だった。ちょうどパーマネント審査に通り、主任研究員になった頃だった。

グループ長の古いお仲間で、名古屋大学から東京薬科大学に移られた梅村教授とお知り合いになって、一緒に科学研究費補助金(科研費)の申請を行い、共同研究を進めているところだった。

東京薬科大学は八王子にあるのだが、梅村教授の受け持っている学部4年生で、長時間かけて通学している学生さんがいるという。そこで、大学に通って研究を行うのではなく、産業技術総合研究所の私のところで、卒論指導を行ってもらえないかという申し出だった。

私は二つ返事でOKし、学生さんの奥田さんの研究指導にあたることになった。この学生が、その後、自分の考え方を変えることになるとは、当時は知るよしもなかった。

この時の私は、幸運なことに科研費をはじめとして、産業技術総合研究所内の大型予算の獲得にも成功していて、予算は潤沢にある状態であった。テクニカルスタッフを雇用している経験はあったが、直接学生の指導にあたるのは、ポスドク時代以来であり、久しぶりに若い学生さんと触れ合う機会であった。

奥田さんは、とても優秀な学生だった。要領が良く、努力家で、飲み込みも早い。こんな優秀な学生を受け持っていいのかと思うほどで、私は自分の知っていることを惜しげもなく奥田さんに教えた。そして、それを奥田さんはどんどん吸収していった。

もちろん、ヒトiPS細胞・ノンコーティングRNAを扱うので、そこまで簡単な道ではない。でも、奥田さんはやり遂げ、結果的に素晴らしい研究成果を挙げることに成功した。そして、その年の12月に、日本分子生物学会で発表することになったのだが、研究内容が認められて、ワークショップでの口頭発表のチャンスを掴むことが出来た。

ただし、私のミスで、この口頭発表が「英語」で行う必要があることを見逃していた。英語であることに気づいたのは、発表の前日。急いで奥田さんにそのことを伝え、できるところまででいいからと、日本語のプレゼン資料を英語に直してもらい、発表当日の学会会場で、英語のプレゼンファイルをなめらかな英語に直し、発表原稿も急ピッチで英語に直した。まさに突貫工事であった。

そんな災難に見舞われながらも(私が招いたミスだったが)、奥田さんは堂々と英語で発表し、無事発表を成功させた。これは奥田さんのような優秀な学生さんでしか出来なかったことだと思う。本当に頭が下がる思いだ。そして、その発表内容が座長の先生の目に止まり、今も続く「ノンコーティングRNA勉強会」のメンバーに入れてもらえることになった。

さらに奥田さんの快進撃は止まらない。学会発表後は論文にしようということで、奥田さんに日本語でアウトラインを作ってもらい、私が英語で文献を揃えながら論文を書き、無事、PLoS One誌と、Scientific Reports誌の両方にそれぞれ掲載された。

私は奥田さんに大学院に進むことを強く薦めたが、奥田さんの意思は固く、学部4年で卒業し、きちんと就職先を決めて、巣立っていった。

この経験は私に、新たな感情を呼び起こすことになった。それは「学生の研究指導はとても楽しく、できることなら、大学で自分の研究室を持って、学生の指導・教育にあたりたい」という思いである。

***Tani H*, Okuda S, Nakamura K, Aoki M, Umemura T. “Short-lived long non-coding RNAs as surrogate indicators for chemical exposure and LINC00152 and MALAT1 modulate their neighboring genes.” PLoS One, 12, e0181628, 2017.

***Tani H*, Numajiri A, Aoki M, Umemura T, Nakazato T. “Short-lived long noncoding RNAs as surrogate indicators for chemical stress in HepG2 cells and their degradation by nuclear RNases.” Sci Rep, 9, 1, 20299, 2019.

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