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アキバでの私は本当の私だっただろうか

4/8は「お兄ちゃんはおしまい!」のパジャマパーティ風のグッズ販売に行ってきた。


以前書いた記事で述べた「お金の使い方」と早速矛盾しているようだけどね。


前々から行きたかった所だし、キャラパジャマ姿のまひろちゃんたちをお見届けできた事がとても嬉しかった。

沢山写真も撮った。そこそこグッズも買った。
ここまで心の底から大好きだったアニメも初めてで、とっても充実していた!

ただ、思うこともあったから話してみる。


いつの間にかこんな


行き帰りの道中で色んな事があった。


家から電車で秋葉原に行ったのだが、その時の日比谷線では私の周りには、隣に座っている複数人のオタク風な男性客や、向かいには腐女子みたいなふくよかな客がいた。

その様子を見て色んなことを思った。

この隣の人たちは自分と同じようなオタクできっと同じ駅で降りるんだ。
てか本当にデュフデュフ笑う人がいるなんて…ってうわ!スマホ覗き込まないで気持ち悪い!
 
向かいのなんか…服装に清潔感なさそうな人たちはなんかアキバがどうとか話題に出してるし、同じ駅で降りるのかな…うーん。
 
なんかそんなに日比谷線って「そっち系の人」が乗るイメージだったっけ…?

マナーの悪さというか、雰囲気の問題

なんというか、こういう独特な個性をお持ちの方がいるような所に足を踏み入れている感覚がたまらなく薄気味悪かった。

はっきり言って、その場で強く浮かんだ言葉は「人のふり見て我が振り直せ」だった。

そして駅に着いたので降りると、

出口通路にはにじさんじの広告や客引き禁止のポスター。出口を出るとキャバクラの看板やサラ金ビルが立ち並び、薄暗く見通しの悪い道路を挟む歩道の目の前にはレジ袋のゴミが広がっている。


ここまで酷かないが


とうとう「踏み入れてしまった」感じがした。

はっきり言ってこういう華美で治安の良くなさそうな所に踏み込むのは自分が自分でなくなったような気がして怖い。
周りも染髪やコスプレしている人ばかりで、まるで不良になった気分なのだ。

やはり高校生には刺激が強い街だろうか。アキバは。
それとも私が敏感なだけか?


不潔感といい、心配になる治安といい、まるで自分までそこに染まってしまったような気持ちになる。周りから影響を受けやすい性格なのかもしれない。

こういうカンジは私らしくないと感じる。


しかし逆に考えてもメリットはあった。こういった違和感に溢れた体験をすると意外にも自分らしさが分かってくるものである。

「自分らしさで悩まない!」って以前書いた記事で決心つけましたけどね🫡


私は「華やかでも平和な街」が好きだし「自分も周りも清潔感のある善良な人」が多い方がいい。
ついでに言うと薄暗くて不審なエリアは怖いし、サラ金ビルや風営法適用の店などの「人の欲望や闇を感じやすい所」は嫌悪施設なんだよな〜🙁


愛と現ナマのレーティングは未解決問題


ボカロpとして活動しているsyudou氏の歌詞から引用しました。

もちろん、推しキャラにアンチみたいな感情は抱いていないけど、あまりにも適切すぎる言葉だったのでお借りしました。


さて、ここからはポエムじゃないです。未熟な高校生にして生粋のオタクの私が、推し活に金使って気付いた事を赤裸々に述べていきます。
繊細な人も同じふうに貢いだりしたらいつか同じ事を思って後悔するかもしれないから、心して読んでほしいです。




推しへの愛は大切だけど、生きるためのお金も大切。


そんな中で私は購入しようと思ったときに、ふとこんな感情が渦巻いた。

原作者に感謝をして、正当な手段で推しを自分の元へ迎えられたのは幸せ。
しかし言っちゃアレだけど、現金2500円(クリアファイル5枚買った)を1回で使ってしまった事が精神的にキツイ…

貢ぐと言えば言葉が悪いかな。作者に「こんなに素晴らしい作品を出してくれてありがとう。これからも活動応援してします!」を伝える手段。

コンテンツへの愛が強めのオタクはみーんなそれを誇りに思っている。

カルト新興宗教のお布施とはわけが違う。
集団催眠による多幸感と自分の意志で抱く好意は全く違うからね。


作者への愛、キャラクターへの愛を伝えられた事は嬉しい。

「でもきっとそれも今だけかもね」と冷めた目で思ってる自分もいる。


ソシャゲの課金はサ終すれば夢が覚めるかもしれないけど、推し活はどうかしら?


飽きた時には、推しへの愛に冷めた自分に呆れ果てるだろうし、未練は止まないだろう。
それは私が好意の感情で浮ついていたまま⤴️「金銭事情」という地に足ついた事⤵️を考えられなかった分、大人になりきれてなかった。


そんなこと心の底から考えたくなかったけど、実は商品をレジに持ってく時から心の底で自覚していたんだね。


2500円で何が買えただろうか?


経済本2冊は買えた。
有料アプリなら10個は買えた。
きっとそれらなら将来への投資にもなれただろう。

「たまの浪費くらい自分のご褒美としてもいいんじゃないの?」と割り切れたらよかっただろうが、倹約もいきすぎるとこうなってしまうのだ。

形にも残らず、いつか消えてしまうかもしれない「すき」なんて感情にお金を投じたことへの罪悪感がハンパじゃないのだ。


それでも「当時自分は〇〇を愛していた時期が思い出としてあって、例えそれがクリアファイルでも生きた証になるんだよ」と言えればOKだろうか。

なんか大袈裟な気もするけどね。



ただここで言いたいのは、買うことだけが愛の示し方じゃないって事。

アンパンマンが好きだけどお金は落としていない幼稚園児とおじさんがいたとして、おじさんにだけ「お前はお金落としてないからアンパンマンを好きな内に入らない!」とは言わないでしょ。


同じ趣味を楽しんでいると、オタクは「作者にお金を落とさないのは失礼!」みたいな事を語ってくるかもしれない。

そんなことないから。自分のしたいように楽しむのが普通だから。

ぶっちゃけおにまいは単行本買わなくても、ニコニコ漫画やpixivで普通に読めます。
グッズは買わなくても写真に収めて楽しむのでもOKです。


どうしても抵抗ある人はそれでいいですって。ささやかでも感謝を伝えたい人は一番安いのひとつ買うとか。

オタクとして言いたいのはそれくらい。



私としては、お金を使うことでしか「自分がもつ好きというきもち」や「幸せなきもち」を感じられないのは本当の私ではないと感じました。


目に見える形のお金がないと楽しさを感じられないのは心が渇いているから。
好奇心やトキメキを自分の心にもっていればお金はなくても幸せになれる。
豊かな気持ちでいられるはず。



ちなみに、私が尊敬するクリエイターである人生楽太郎さんのこの記事にもインスパイアされました。(やっぱそういう性格か笑)

お金の使い方が主体的でない人ほどためになる記事なので、ぜひ読んでみてほしいです。オススメ。


反省


学んだことは2つ。


①不潔感や治安の悪さに染まってしまったような感覚は自分とは遠いものだ。
華やかでも平和な街」で「清潔感のある善良な人」に囲まれて暮らすスタイルこそ自分が望んでいたものだから🌃

②お金なしでは楽しさを感じられない渇いた心は本当の自分ではない。
好奇心やトキメキをもってこそ自分であること👾


2500円は応援であるとともに、勉強代でもある。
これからはちゃんとやりくりしましょうね。


執筆中に聴いていた曲です。


それでは。
ありがとうございました。

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