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「経済」というものについて考えてみた

 お金は何のためにあるのか

 今年のコロナがらみで、「経済か」「感染予防」かという問題が多く取りざたされていますね。国民一人ずつ10万円配ったけど、ほとんど貯蓄に回しちゃってまわってないぞ。なんて発言が政治家センセから出たり、割引したりクーポン配るなどという 「Go toなんちゃら」を打ち出すなど「経済を回せ!」というように「お金」をどう回すかなんて事が、感染予防と共に、大きな関心事になっている世相でございます。

 さて、しかしながら、あたしらはこういった「お金」を基本として、世の中において生活しておりますから、こいつを完全に無視するわけにはいきません。それならば、「お金」って言うのはなんだろうね、で、こいつを中心に回っているあたし達の世の中ってなんなんだろうか?・・・そもそも「お金」というものは、本来どうあるべきものなんだろう?

 そんなことをちょっと考えてみようかと思ったわけなんでございます。

 「経済」と言う言葉は、「Economy」の和訳ですが、この概念は明治以前にはありません。直訳すると「理財」の方があっているとは思うのですが、さすが明治の知識人でございます。この理念の本質を「資源の最適分配」という事を見抜いていたのでしょう。したがって、中国の故事にある「経世済民(世をおさめ民をすくう)」という文字をあてたのです。
 ですから、近代日本の「お金」のあり方は、そもそもは万民の幸福のために財をどのように活用するか。という目標にあったのですね。

 これを原点として、「経済」ってなんだ?という事を考えてみましょう ( ̄∀  ̄b

 ざっくりと「経済」を考えると、これは決してお金儲けのことではなく、「今ある資源をどのように使おうか?」という事を考える事が基本にあるわけです。
 これをどのようにするかという分析と、そのステージにおける考え方を研究するのが「経済学」という学問なわけです。で、それには大きな視野に立った「マクロ経済学」と日常の家計や消費活動に絞った「ミクロ経済学」の大きな二つの視点がありまして、まぁ、どちらも「今ある資源をどう配分すると幸せになるんだろう?」という点では同じ研究主題を持っております。

  たとえばですよ、どんな人にも一日は24時間しかありません。これが「資源」ですが、これをどのようにうまく使って効果を上げるかという課題が人には常にあるでしょう。

 であるなら、この時間配分をいかように使おうか、その結果いかに幸福感を持てるかどうかを考え、その方法を考える事が「経済」であり、それを実行する術が「経営」という事になりましょう。

 したがって、自分ばかりが儲かって、人よりいい思いしようなんて考えは「経済」という概念には本来ないのです。これだけはまず、強く言っておきたいですね。


この記事は、あたしのブログにおいて過去に投稿した記事のアーカイブから加筆しました

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