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ムダに教養がつくかも知れない不定期な雑学講座の連載(講義中は寝ないこと)~なんか変だよね。という社会問題~ その第1シリーズは「原発行政のわかんないこと」をテーマに考える。【第4講】

コストパフォーマンスは悪いのに法律で推進する理由

 前も言いましたように、原子力発電という事業は、経済の観点で言うと決してコストパフォーマンスが良いというわけではありません。安いのは発電コストだけであって、原発の建設費はめちゃくちゃ高いし、補償費やら使用済み核燃料の処理管理費など、総額で言えばものすごくコストパフォーマンスは悪いのです。

 それでもどんどん推進されるカラクリは、あらゆる所で「原子力発電」をすることが優遇されるような法的整備がされてるからなんです。 使用済みの核燃料も「再生可能」という事で電力会社の資産と見なされている仕組みがあるんです。

 これはどういう事かというと、原発の核燃料は使用したあと、ウラン238という物質と、プルトニウムという自然界にはあり得ない物質が生まれます。これらを抽出したものを燃やすことで、新たなリサイクル燃料として活用できますよ。と言う装置が「高速増殖炉」というシステムなんです。

 聞いたことがあると思いますがこの実験施設が「もんじゅ」ですが、こいつはトラブル続きでとうとう廃炉ということになりました。
 このプロジェクトに固執してるのは世界でも日本だけで、青森県の六ヶ所村の再処理工場も開店休業の状態なんでございます。つまり、核リサイクルはリスクが大きく、経済的に見れば何の効果もないという事なんです。

進めていかなくてはいけないように決められた法制度

 しかしながら、今の原子力政策上、使用済み核燃料も「リサイクル財」として計上しなくては資産とならないので、電力会社としては「ゴミにしたくない」のがホンネなんですな。いけないとわかっていても依存しなくてはならない図式にどっぷり浸かってるんです。

 公益で考えれば、国レベルでこういった根本の改革をしなくてはならないわけなんですが、どうも歯切れが悪い印象があります。こういう場合は必ず裏事情があるもんなんでございますよ。
 それは、プルトニウムという原子物質の扱いの問題なんです。まぁ、大きな声では言えないんですが、こいつの扱いを巡って、今の原子力の事情をすべて語れちゃうくらいの代物なんでございます。
 さて、この話題は取扱注意と言う事でお話しいたしますが、あくまでも「あたしの個人的な感想であり、オピニオンという意識はございません」ので、念のため。

本当は大声で叫びたい原子力開発の裏事情

 
 冷静にひもといてみれば、日本の「原子力開発」はものすごく強引であり、なにやら巨大な意図が感じてとれるんですな。うかつにこいつに深入りすると、それこそ命があぶない世界になりましょうから、ホントにざっくりとしか解説できないんですが、基本的に言えば「外交問題」だということでございまして、複雑怪奇な絡み合いが背景にあるんです。

 前にも申し上げましたが、原子力というエネルギーは、今のところ「核分裂」のエネルギーで、この主要な目的は「爆発」です。

 つまり、いくらかっこいいことを言っても、原子力は基本的に「爆発」させるしか目的はないのです。つまり、「原子爆弾」の原料でしか最終的な使いようがないというところが大きな問題なんです。で、その後始末にあたる「核廃棄物」の処理法は今のところないというのが現実であり、そもそもこいつは爆発させるしか能のない代物なんだよと言う事を念頭に置く必要がありますし、その原料を持っているという事は「核兵器」を持っていると世界的なスタンダードでは同じだと言うことなんでございます。

 有り体に言いますとね、某有名新聞がその社説で、日本はプルトニウムを利用することが許されていて、日本の原子力発電が潜在的な核抑止力になっている。と言う内容の事を書いておったのです。
 この新聞社のオーナーが日本の原子力発電推進の旗振りをしていた方であるのは言うまでもございませんが、あたしが「アンチ巨人」の理由も含め、あまり追求しますと、命の危険を感じますんでここまでにしておきます。

 事実として「プルトニウム」を日本は保有しておるのであって、現時点の技術上、こいつは本来「原子爆弾」にしか使いようがないのでございます。その意味で言えば日本は「潜在的核保有国」という事になります。

 しかも、ロケット技術を持ち、探査機まで作ることが出来る日本は、国際社会の中では「その気になったら核兵器を持っちゃいますよ」って言ってるようなもんなんです。現に日本は30万トン弱のプルトニウムを抱えていて、しかも原発稼働すればするほど、こいつはどんどん増えて行っちゃうんです。

外交問題として国際的にアピールしないといけない

 
 当然のことながら国際社会は、この事実に対してホンネの所ではあまりいい顔はしないでしょう。したがって、国際社会に対して「わが国は原子力を武器には使いませんよ」っていうアピールを具体的にしなければならないわけなのです。
 それで、核リサイクルであり~のMOX燃料での発電。という筋書きが必要なんですね。

 MOXというのは、ウランとプルトニウムを混ぜた核燃料で、使用済みの核燃料のリサイクルの産物なんですが、こいつを燃やしたあとの廃棄物は比べものにならないくらい危険であるばかりか、その最終処理技術の目途さえ立っていないというのが事実なんです。
 しかし、こいつを使って発電しなければ「ほら、やっぱり核爆弾作るんだべさ~(`・△・)ノ」と、国際社会からつらつき喰らうのは明らかなんでございます。

 だから、世界初のフルMOXの大間原発はこの事情から「作んないばなんない(*`・ω・´)ノ」という主張が生まれるんでございます。だけど、本当は必要ないって誰もがわかってるだけに、さまざまな利害の関係で「いずい」って言う状況になっているのは確かなんです。

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原子力は人智を越えたエネルギーである。

 結論から言えば、原子力の「平和利用」なんて、「虚仮=まぼろし」以外に言いようがないんですが、これ以上は身の安全のため、口をつぐんでおきます。
 ただ、これだけは申し上げますが、原子力というエネルギーは、究極には人知を越えたものです。すなわち、爆発してあたりまえのものであると認識しておいた方がいいでしょう。
 安全に制御するなんて芸当は、火山噴火や地震発生、台風すら制御することと、何ら変わらない無謀な事だというものだという事を肝に銘じておかなくてはなりません。

このテーマはここで終わります。結論がまだ見いだせない課題であることを理解した上で、この問題を考えていきましょう

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