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バークレーの思い出

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備忘録として、1年間バークレーに住んでいた時の思い出を語ります。
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#思い出

バークレーの思い出#14 サンフランシスコのお医者さん Dr. Lee

 バークレーにいた1年間、幸いにも私は一回も医者のお世話にはなりませんでしたが、妻や娘は何度もお世話になりました。バークレー滞在中の家族のかかりつけ医が、サンフランシスコのドクター・リー(Dr. Lee)でした。  ドクター・リーは、日本で生まれ育った中国人で、アメリカの大学を卒業して、アメリカで医師免許を取得したと話していました。なので、日本語と英語はペラペラです。また、独学でスペイン語もマスターしていたので、患者には中国人、日本人、中南米の人たちがいました。この病院に行

バークレーの思い出#13 日本食レストラン『KIRALA』

 アメリカのカリフォルニア州バークレーに滞在中に住んでいたアパートの近くに、KIRALA(きらら)という日本食レストランがありました。私がバークレーにいたのは四半世紀前なのですが、調べてみるとまだ店が続いているようでした。  当時、お寿司(カリフォルニア巻き)やお弁当などの日本食をテイクアウトできる店はいくつかありましたが、本格的な日本食レストランはココだけだと記憶しています。KIRALAは通学路の途中にあるので、店の前は何度も通りましたが、KIRALAに入ったのは、渡米後

バークレーの思い出#12 弱者に優しい街・バークレー

 バークレーは弱者に優しい街でした。街には、多くのホームレスがいましたが、表立って排除されたり、手荒に扱われているところを見たことがありません。スーパーマーケットや本屋などの人の出入りが多い店には、決まってホームレスがいました。常連客とは顔なじみのようで、お互いに挨拶を交わしていたりするのをよく見ました。  ホームレスの目的は、商品を買った後のお釣りの小銭をもらうことです。決まり文句は、「Donation, please.」です。直訳すると、「寄付して下さい」となります。ホ

バークレーの思い出#11 バークレーのスターバックス

 少し前の話ですが、「スタバは無いけど砂場はある」と言った鳥取県知事のコメントが話題になったことがありました。それだけ、現在の日本にはスタバ(スターバックス)は、おなじみです。しかし、私がアメリカにいた頃、まだ日本には1件もスタバはありませんでした。  バークレーに住んでいた頃、ほとんど外食をしなかったので、喫茶店やコーヒーショップに入ることはありませんでした。しかし、知人の日本人から、美味しいコーヒー屋さんがあることを聞いていました。その人の話では、コーヒーが苦手なのに、

バークレーの思い出#10 バークレーボウル

 バークレーでは、スチュワート通りに面した集合住宅に住んでいました。集合住宅と言っても、アパートではなく、平屋の長屋みたいな家が数棟あって、やり手の大家さん(奥さんの方)が管理していました。大家さんは日系アメリカ人でしたが、大家さんの奥さんは日本人でした。大家さんの住居を含めて、4-5棟ぐらいありましたが、すべて日本からの研究者や留学生が住んでいました。  UCバークレーは人気があるので、不動産市場は売り手市場です。日本からも引っ切り無しに研究者や留学生がやってくるので、借

バークレーの思い出#9 写真付きIDを持ってますか?

 タイトル図は、アメリカ在住時の写真付きのID(証明書)です。これは、車の運転免許を管理しているDMVで発行してもらいました。今回の話は、写真付きIDを忘れて大失敗した話です。  バークレーに住んで一か月たったころ、テキサス州ダラスで行われるSEG(Society of Exploration Geophysicists)の学会に家族一緒に参加することになりました。SEGは、国際的に一番メジャーな物理探査学会です。飛行機は、バークレーの隣のオークランド市のオークランド空港か

バークレーの思い出#8 ホーム・アローンのお爺さん

 『ホーム・アローン』(Home Alone)は、1990年公開のアメリカのコメディ映画です。制作当時10歳だったマコーレー・カルキン君は、この作品で一躍有名になりました。テレビでも何度も放映されたので、見たこともある人は多いでしょう。  シカゴに住む裕福な家庭で、子沢山のマカリスター家は、クリスマス休暇を利用して家族総出のパリ旅行に出発します。しかし、主人公のケビン少年だけは、一人だけ家に取り残されてしまいます。そこへ泥棒が・・・と言うストリーです。このメインのストーリー

バークレーの思い出#7 アメリカの車事情

 あくまで20年以上前の話です。今は違うかもしれませんので、そのつもりで読んで下さい。カリフォルニアのバークレーに住んで思ったことは、キレイな車がほとんど走っていないという事でした。日本では、休日ともなれば、自家用車を洗車してきれいな状態を保ちますが、アメリカではそういうことは殆どありません。  車は移動手段だと割り切っているので、「動けばいい」と考える人たちがほとんどです。単なる移動手段に過ぎない車を、手間暇かけてピカピカにするという考えが、そもそもありません。  はじ

バークレーの思い出#6 UCBのキャンパス

 カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)のキャンパスは開放的で、徒歩なら誰でも出入りすることができます。ただし、車での出入りはかなり制限されていて、学内の駐車スペースに車を止められるのは、限られた有名教授だけでした。私がお世話になったモリソン教授も、物理探査の分野ではかなりの有名人で、寄付講座の教授も兼任していましたが、それでも学内の駐車スペースはもらえていませんでした。  UCバークレー校の大学キャンパスで一番の名所は、セイザータワーと呼ばれる大きな塔で

バークレーの思い出#4 ゴールデンベア

 UCバークレーがあるカリフォルニア州は、1848年の金鉱発見で1849年からのゴールドラッシュで湧いたので、州の愛称はGolden Stateです。そのせいもあって、UCバークレーのシンボルキャラクターは、金色のクマ(Golden Bear)です。スクールカラーも紺色と黄色(金色)で、統一されています。  UCバークレーは勉強だけでなく、スポーツも有名で、アメリカンフットボールも強いのですが、そのチーム名はゴールデン・ベアーズ(Golden Bears)です。大学のショッ

バークレーの思い出#3 ナパバレー

 バークレーの北部に、ワインで有名なナパバレーがあります。アメリカに滞在中、3回ほど行ったことがあります。  カリフォルニアは乾燥した気候で、地中海に似た条件なので、ワイン用のブドウ作りが盛んです。乾燥と言えば、バークレーで借家に引っ越した初日の夜、乾燥で喉が引っ付いて呼吸困難で夜中に目を覚ましました。日本と違って、カリフォルニアはそれくらい乾燥しています。  バークレーからナパバレーは、車で2-3時間くらいの距離にあります。ナパバレーにはブドウ農園が広がっていますが、そ

バークレーの思い出#2 シャトルバス

 UCバークレー(CAL)での思い出で忘れられないのは、シャトルバスです。CALの大学キャンパスはバークレーの町中にありますが、研究所(LBNL) は急傾斜の丘の上にあります。シャトルバスはキャンパスの外側をぐるりと回るコースと、丘の上の研究所に向かう経路があります。最先端の研究をしている大学院生は、LBNLに所属している人が多いので、シャトルバスを良く利用します。私もちょくちょく利用していました。  タイトル図のように、現在のシャトルバスは一般的な大型バスの大きさですが、

バークレーの思い出#1 CALの概要

 記憶が薄れかけてきたので、備忘録として、20年以上前に訪問研究員として滞在していたカリフォルニア州バークレーでの思い出を書こうと思います。バークレーはサンフランシスコの対岸にある、比較的小規模な大学街です。  カリフォルニア大学バークレー校 (University of California, Berkeley) は、カリフォルニア大学の発祥校であり、10大学からなるカリフォルニア大学システムの中で最も古い歴史を持つ大学です。英語の略称はUCBですが、カリフォルニア大学本