自分の2面性ついて〈自己分析36問目〉
幼稚園から野球を始めて以来、ずっと続けてきたけど、そこでよく言われていた言葉があったなぁと昨日寝ている時に思い出しました。
「学校の時のヒデと野球をやっている時のヒデって全然違うよね」と。
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当時は、いや、今までずっと、この2面がある自分について、「良い部分じゃん」と思ってました。だって、自分には「真面目に一生懸命取り組む」という野球をしている時の姿があるし、一方で「楽しくふざけている」という学校で過ごす姿があるし、これって魅力になり得るんじゃない?って感じです。
うーんでも、こうしてここまで生きてきて振り返ると、あれ、ちょっとちがったんじゃないかなその解釈と思うようになりました。
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「本当の自分」なんてものは、もはや虚構なのかもしれないけど、あえてその言葉を使うなら、「学校でふざけている時の自分」が本当の自分でした。たぶん。
その時は自分が思うようにふざけて、友達とじゃれあって、喧嘩することもあったし、なんか人間味あったなぁなんて思います。
ただ、「真面目に頑張る」的な価値観が、日本では美化されているし、そもそも「美化されている」ということ自体に、小学生で気づきもしません。そうするとやっぱり、「野球をしている時の自分」が、一番良い姿だよなぁと、無意識化に思っていました(って今感じます)。
これはちょいと間違っていたなぁ。その辺から「自分を出す」という割合が徐々に減っていったかもです。
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中学生に進学したら、やっぱり小学生よりも「野球」に対して“真面目”になります。さらに高校はガチで甲子園を目指していたもんだから、もっと“真面目”になっていくんですよね。
でもそれで良いと思ってた。いや、良いと思ってたわけでもないかも。自然と、無意識でその状態でいたのかもしれません。
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ぼくにはそういう意味で「2面性」があったわけですが、それをちょっと誇りに思っていたりしたんですよね。こうして書いてみると、やっぱそれって「自分の良い部分を殺してしまうことにもつながるんだよなぁ」って思います。
その過去にはもう戻れないけど、今日過去の解釈を変えることができたことに、意味を感じます。
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いつなんどきも、“1面だけ”でいるのってやっぱり難しいけど、真の幸せはそこに眠っていそうな気がしてきました。
という感じで今日は以上でーす!
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