対話屋さん

普段はコーチングでもカウンセリングでもない「わたしを言葉にする対話」というのをやってい…

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普段はコーチングでもカウンセリングでもない「わたしを言葉にする対話」というのをやっています|対話屋さん公式HP:https://hide-official.com

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母と過ごした1年と309日 #note創作大賞2022

2020年2月1日に母がステージ4の末期癌・余命1年と宣告されてから、2021年12月6日に母が亡くなるまでの話です。 すべての収録を合計すると66分05秒になります(stand.fmアプリでは1.2倍速〜2倍速で聴くことができます。ブラウザの場合は速度の調節はできません。) 1) はじめに2) ガンを宣告された日3) 僕が感じていた違和感4) 僕と母の毎週面談開始5) 母が自分らしさを取り戻していく6) 僕の幼少期の頃のトラウマ7) 25歳になって迎えた反抗期8) 最期

    • 「自己開示」が苦手な僕がたどりついた生きる術

      「自分から自己開示をしましょう」とよく言われるけれど、僕は苦手だ。 特に初めましての場所。大人数の場所。 そんな僕がそういう場所で生き延びるために身につけた術は「聞く」ということでした。相手の言葉に興味を持って、丁寧に聞く。 そうすると相手が気付かぬうちに自己開示をしているのです。まもなく相手も僕のことに興味を持ってくれる。それに合わせて僕も自己開示をする。 実はこういう流れで行われる自己開示のほうがスムースで自然体なんですよね。 無理に「自分から自己開示しなきゃ」

      • 「今だからこそ笑える話」に潜む影

        「今だからこそ笑える話」というのは「今だからこそ」笑えるわけであって、その当時はまったく笑えなかったということを意味します。 だから気をつけなきゃいけないのは、その話は本当に心の底から「笑える」のか。それとも「笑える話にしておこう」という意識のもと抑圧しているだけなのかという点です。 もちろん過去の失敗や嫌な記憶を「笑い」に変換する力は、僕たち人間が前向きに生きていくうえで必要不可欠であることは間違いありません。 しかし「笑い」という影に隠れて、自分の本当の気持ち

        • 質問する時もされる時も必ず持っておくべき視点

          質問する時もされる時も必ず持っておくべき視点があります。それは「この質問はどんな価値観から生まれているのか?」という視点です。 たとえば「将来の夢はなんですか?」という質問は「人は誰しもが将来の夢を持っている」という価値観から生まれています。 一方で「将来の夢はありますか?」という質問は「人によっては将来の夢がある場合もあるし、ない場合もある」という価値観から生まれています。 つまりすべての質問の裏側には必ずこの「価値観」というものがあり、そこには質問者なりの「価値観」

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        母と過ごした1年と309日 #note創作大賞2022

        マガジン

        • 自己分析を究極的に深める方法
          15本
        • 「1日2食&16時間食べない」健康法の記録
          10本
        • 【企画】ことばの定義を考えよう!
          18本
        • 自己認識と他者認識の違い
          10本

        記事

          「何に対しても興味がもてない」というのを「そういう性格だから」で片付けないこと

          「何に対しても興味がもてない」というのを「そういう性格だから」で片付けないこと。 そもそもですが、本来人はありとあらゆるものに興味をもつという性質を持って生まれてきます。 赤ちゃんのころには目に入ってくるものを触りたくなったり口に入れたくなったり。とにかく興味がとめどなく溢れてくるものです。 だから「何に対しても興味がもてない」というのは性格の問題ではなく、人生のどこからのタイミングで「興味が湧かないようになってしまった」ということのほうが近い。 自分の気持ちを親に否

          「何に対しても興味がもてない」というのを「そういう性格だから」で片付けないこと

          質問力を高めるために大切なこと

          質問力を高めるために最も大切なことは「言葉を問う」ということです。 例えば「わたし優しい人が好きなんだよね」という人に対して「あなたにとって優しいってどういう意味?」というふうに聞いていくイメージです。 そもそも僕たちが使う全ての言葉には「意味」が込められているわけですが、その「意味」というものは人によって大きく変わってきます。 なぜなら言葉の「意味」はそれぞれの経験を通して獲得していくものだからです。 僕たちはある日突然「優しい」という言葉を扱えるようになるわ

          質問力を高めるために大切なこと

          多くの親が間違えていること

          多くの親が間違えているのは「子どもを教育しなきゃ」と考えている点。 たとえば「宿題やりなさい」なんて言わなくとも、親自身が楽しみながら勉強していれば、子どもはその姿を見て勝手に宿題をやり始める。 むしろ「やりなさい」と言えば言うほど、子どもの主体性や好奇心の類は失われてしまう。 なにより、勉強しない親ほど「ゲームばかりやってないで宿題やりなさい」と子どもを叱る。 本を読まない親ほど「将来のために読書をしなさい」と子どもに忠告する。 つまり多くの親は「自分ができないこ

          多くの親が間違えていること

          どうしたら寂しさから解放されるのか?

          ぼくのもとに来られた相談者から「どうしたら寂しさから解放されますか?」と尋ねられたことがありました。 たしかに寂しいという感情をずっと胸のうちに抱えているのは、あんまし気持ちがいいものではありません。 でもぼくがそこでお聞きしたのは「そもそもあなたにとって寂しいとはどういうことですか?」ということです。 なぜこの質問をしたのかというと、相談者の方が「寂しい=よくないもの」と捉えていたから。 そもそも人間にとって「寂しい」という感情はツラいものでもありますが、かと言って

          どうしたら寂しさから解放されるのか?

          人は「意味」を失うと生きる活力がなくなってしまう生き物である。

          人は「意味」を失うと生きる活力がなくなってしまう生き物である。 だから「なんで勉強ってしなきゃいけないの?」という疑問をもつ子どもに対して「将来のためだよ」というのは答えになってない。 「なんで働かないといけないの?」という疑問をもつ学生に対して「食べていくためだよ」というのも答えにならない。 彼らが真に求めているのは「勉強する意味」だし「働く意味」なのであるから、その問いと真摯に向き合う姿勢こそが大人にとっては大切なのだ。 ▼対話屋さん公式サイト https://h

          人は「意味」を失うと生きる活力がなくなってしまう生き物である。

          「これって逃げなのかな」という疑念が湧いてきたときに考えるべきこと

          「これって逃げなんですかね?」 こんなふうに心配したり疑念を抱えているクライアントさんの悩み相談を受けることがことがあります。 この背後には「やり始めたことは最後までやり抜け」とか「辛いことがあっても諦めないで戦うんだ」といった美徳と呼ばれるような価値観にクライアント自身が縛られている可能性が高いです。 もちろん「逃げないで戦う」というメンタリティによって成し遂げられた功績は数多く存在しますし、それ自体はとても素晴らしいことだと思います。 しかし「逃げ」という行為に対

          「これって逃げなのかな」という疑念が湧いてきたときに考えるべきこと

          役に立たないものこそ、生きる希望や情熱を与えてくれる。

          「役に立たない」とされているものこそ、僕たちに生きる希望や情熱を与えてくれるものである。 ここ数年でこんなことを思うようになりました。 ふと周りを見わたすと大人よりも子どものほうが生きる希望や情熱を持っているように感じますが、それはなぜかといえば「役に立つかどうか」なんていう物差しで子どもは測ってないからです。 たとえば子どもは「鬼ごっこをすることで自分の健康に繋がるかな」とか「アリの巣の観察をしたら集中力が養われるかな」みたいなことは一切考えないんですよね。そんな発想

          役に立たないものこそ、生きる希望や情熱を与えてくれる。

          カフェで大声で話す3人組によって気づいたこと

          さっきまで地元のカフェで作業をしていたのですが、そこに「あまりにも話し声がデカいお客さん」がいました。 しかも1人じゃなくて3人もいたのでなおさら強烈だったんです。 実際に話している内容はさておき、この時お店の中に流れていた空気感は「ピリピリ」としていて、おそらく周りにいるほとんどの人が「うるさいなぁ」と感じていました。 近くに座っていたおじいちゃんはチッと舌打ちをしながら「クソうるせぇなぁ」とぼやきながら席を変えるほどです(笑) さて、突然ですが、こんな時に

          カフェで大声で話す3人組によって気づいたこと

          不自然な対話

          僕は「対話」を仕事にしているので、コーチング業界やカウンセリング業界についてもアンテナを高くして情報を見たりしているのですが、そのなかでよく「不自然な対話」になってしまっているケースをよくみます。 例えばこんな感じのやり取りです。 コーチ:ありのままの自分で生きられている状態と、自分に嘘をついて誤魔化している状態と、どっちがいいんですか? クライアント:それは、ありのままの自分で生きられている状態です。 コーチ:ですよね?だったらその道に行きましょうよ!あなたなら出来

          不自然な対話

          「絶望」に立ち向かい僅かな「希望」を見出していくプロセスこそ「人生」と呼べるのではないか。

          対話屋さんとして数多くの方と一緒に「内省」をしてきて感じることは、今まで触れてこなかった領域に足を踏み入れ、本当は見たくないことも真正面から見つめるという選択を取った人は、必ずや人生の流れがいい方向に進んでいくということです。 なぜなら「今まで触れてこなかった領域」にこそ人生の糧になる大いなるヒントが眠っているし、本当は見たくないことを「真正面から見つめる」という覚悟そのものが、その人の根底の自信を芽生えさせてくれるからです。 しかし、このように自分と向き合うということは

          「絶望」に立ち向かい僅かな「希望」を見出していくプロセスこそ「人生」と呼べるのではないか。

          たったのひとこと相手に質問できたなら、もっと豊かになるのにな。

          さっき都内のカレー屋さんでお昼を食べていたのですが、ちょうど僕の隣の席に4人組が座っていました。おそらく会社の上司2人とその後輩2人です。 そのうち一番後輩に当たるであろう女性が「わたし、今つきあっている人と結婚するか別れるかで迷ってるんですよね」と話し始め、それを聞いた上司は「うわぁすごい悩み方だなぁ」と。 たしかに「結婚するか、別れるか」というのはある意味極端な迷い方のようにも思えます。 ただその直後に始まったのは、既に結婚している上司たちからのアドバイス砲撃で

          たったのひとこと相手に質問できたなら、もっと豊かになるのにな。

          「自分らしく生きよう」「やりたいことを見つけよう」という時代は終わって、これからは「答えのない問い」と向き合う時代です。

          「自分らしく生きよう」 「やりたいことを見つけよう」 「モチベーションを高めよう」 そういった方向性はすでに機能しなくなってきているように感じます。 むしろそれらが正解かのように発信されることで、本来は存在しなかった「自分らしく生きられない苦しさ」という悩みが生まれてしまった側面も見逃してはいけないと思います。 だからこれからの時代は、 「私らしさとはなにか」 「どう生きていきたいのか」 「精神的な豊かさをどう作るか」 みたいな、あくまで答えのない問いに基づく、個人

          「自分らしく生きよう」「やりたいことを見つけよう」という時代は終わって、これからは「答えのない問い」と向き合う時代です。