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「空気を読むこと」=悪なのか?2種類のパターンを解説!


今日で「自己認識と他者認識の違い」の連載7日目です↓


前回の記事で、「キャラを使い分けてしまう理由」について、以下のような結論を出しました↓

そして、その背景にあるのは、「日本特有の文化」だと思います。そもそも日本人って、「空気を読む」「先輩をたてる」「気を遣う」「雰囲気を察する」みたいなことが重要視されているよなぁと、行き着きました。

〈引用先〉人前でキャラを使い分けてしまう理由とは?


こうやって自分で結論を出したものの、「じゃあ、自分の素を出すためにはどうしたらいいんだ?」という疑問が新たにわいてきました。

そして、この疑問点を深掘りするにあたり、大前提を整理する必要があると考え、今回の記事では「空気を読むこと」=悪なのか?というテーマで話していきたいと思います。


「空気を読むこと」は悪なのか?

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先ほど書いたように、「空気を読む」といった日本特有ともいえる文化が、「キャラを使い分ける」ことに繋がり、その結果「自分の素を出せない」ということが起きていると思います。

このように書くと「空気を読むこと=悪」という見方になってしまいそうですが、一旦ここを丁寧にみていきます。


僕の中では「空気を読む」という行動にも2種類あると思います。それが以下2つです↓

1)能動的に空気を読む
2)受動的に空気を読む



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▷1)能動的に空気を読む
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これは言い換えると、「そうしようと思って、行動する」ということです。例えばこんな感じです↓

・会話に入れていない人にパスを出す
・いじめられている友達を助ける
・電車でお年寄りに席を譲る etc…


これ以外にもたくさんありますが、つまり、「その場に適しているであろう行動を、自分の意思に基づいて行動する」ということです。

もはやこれは、「自分の主張をする」と言ってもいいかもしれません。



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▷2)受動的に空気を読む
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こちらは、言い換えると「そうせざるを得ないと思って、仕方なく行動する」ということです。例えばこんな感じ↓

・周りのみんなが馬鹿にしている人を一緒に馬鹿にする
・先輩が良くないことをしていたけど便乗する
・会社での不正を見て見ぬふりをする etc…


あくまで一例ですが、こういうことってよくあると思います。つまりここで言いたいのは、「本当は違うと分かっていても、周りが求める行動をする」ということです。

ここには「自己主張」といった側面はまったく含まれておらず、「世間の総意」を主張しているに過ぎません。



「素を出せない」という状態

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2種類の「空気を読む」を説明してきましたが、僕は後者の「受動的」の方が「能動的」よりも割合が多くなっている状態の時に、「自分の素が出せない」と言うのではないか、と思います。

例)受動的に空気を読む:能動的に空気を読む=6:4


逆にいえば、「能動的に空気を読む」が100%で生きている場合には、もしかすると「あの人は自己中よね」とか、「いつも自分のことしか考えていないよね」と、“受動的に空気を読んでいる人たち”から悪口を言われてしまっているかもしれません。

それが辛くなってしまうと、せっかく「素を出せていた」にもかかわらず、徐々に自分を閉じていってしまうこともあると思います。


さて、ここまで考えてきましたが、ようやく冒頭に書いた「じゃあ、自分の素を出すためにはどうしたらいいんだ?」という疑問点について考えていけると思います。

次回の記事ではこの点を深掘りしていきます!


今日は以上でーす!


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