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教室のアリ 第30話 「5月11日」② 〈危険なアイデア、危険な散歩〉

 オレはアリだ。長年、教室の隅にいる。クラスは5年2組で名前はコタロー。仲間は頭のいいポンタと食いしん坊のまるお
 野球の練習は見ていて楽しい。だいたいの人は左手にグラブを着けてボールを捕り、右手で投げる。まずそれを2人1組でやるんだ。最初はゆっくり近くで投げるけど、どんどん離れて早く投げ合う。その後はバットで『かっとばす』練習をする。ダイキくんはとにかくかっとばす。きょうもかっとばして「ナイスバッティング!」ってみんなに言われていた。オレは自分の事じゃないのになんだか嬉しかった。
「ボクもかっとばしたい」アリの中では体が大きいまるおが言った。
「どう考えても無理だね」ポンタはクールに言い返した。
「でも、ひとつ方法があるとすれば…」オレは猛烈に嫌な予感がしたけど黙っていた。
「あるとすれば?」まるおの顔がいきいきした。
「ダイキくんのかっとばす順番になる直前、バレないように体によじ登り、帽子の上に行けばかっとばした感じになるかもよ」
「それだ!」まるおは今にも草陰を抜け出そうとした。
「やめろって」オレは必死に止めた。
「登るのに失敗して、落ちて、その瞬間に踏まれたらどうする?ダイキくんはかっとばしたら走るんだよ。その間、ずっと帽子にしがみついていられる?せっかく3匹1組になったんだから、そんなことでケガしたり、あの世に行ったりしたらダメだ!」まるおは黙ってうなずいた。そのあと、オレは別の提案をした。
「予想だけどお昼までは練習するよね。その間に川を見に行かない?」
「川?」2匹は声を揃えた。
「社会の授業によると、川は海につながっている。オレは海が見たい。だから川を見ておきたいんだ」
「ポンタがそう言うなら、行こう」2匹は賛成し、3匹で歩き出した。

〈危険すぎた散歩〉
 ダイキくんがかっとばすところには白い板がある。かっとばして走るとまた白い板がある。その板をけって左に曲がるのが野球のルールだ。そしてぐるっと一周する。で、最初の板と3個目の板は白い線で結ばれていて、その線の先には高い棒が立っている。その向こうに川がある。オレたちはその線に沿って歩いた。たまに子どもがものすごい勢いで走ってきた。危うく踏まれるところだった。最初は土だったけど、途中から草になった。まるおは落ちているアメの包み紙に反応したが、我慢できた。道のりはすごく遠かった。見上げると5月の空と雲、そして蜂さんと蝶々さんがいた。
「ボクたちは絶対に飛べないのかなぁ?」まるおがつぶやいた。オレとポンタは聞き流した。
「ナイスボール!」や「さぁ、いこう」の声はだんだん小さくなった。もし、急に練習が終わってダイキくんが帰ってしまったらオレたちは『終わり』だ。2度と学校に帰れない。でも、前に進んだ。そしてやっと、白く高い棒の下に辿り着いた。最後のひと頑張り、少し背の高い草を縫うように歩いた。
「これが川か…」オレは感動した。一方で少し怖くなった。水が多すぎるからだ。落ちてしまったらアリ生の終わりだ。その時、まるおが言った。
「もう少し、前に行って川を見よう!」恐る恐る前に出ると今度はポンタが言った。
「葉っぱに乗って川を流れて行けば、海に出られるんじゃない?」ポンタもまるおも怖いもの知らずのアイデアを言う。オレも『それもいいかな』と思ってしまった。でも、今じゃない。5月の風を浴び、小さな体が破裂するくらい空気を深く吸い込んでから戻ることにした。帰りは白の線から少し離れて歩いた。かっとばす番はダイキくんだ。ちょっと高い山のところから子どもが投げた。ダイキくんはかっとばした。
「レフト!」子どもたちが一斉に叫ぶ。オレたちの左にいた子どもがものすごい勢いで走ってきた。もちろん、オレたちには気づいていない!ボールはオレたちに向かってくる。子どももオレたちに向かってくる。
「オーライ」と、子どもが言った瞬間、真っ黒な影が上からやって来た。オレは『これはやばい』と身構えた。その影は、まるおを踏みつけた。草はそよそよと5月の風に吹かれていた。蝶々もゆらゆらと飛んでいた。

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