あたしが発生したとき


誰かの本棚を見るのが、とてもすきだ。

それは時に自己紹介よりも雄弁で、時にSNSよりも嘘がない気がする。


そもそも本棚を見ることというのは
「あのう、ちょっとすみませんが、
 あなたの頭の中、見せていただけますか?」
と、言っているようなものだと思う。


どこか特別で、どこか密やかな。
土足でお邪魔することをすこし躊躇うようなその艶かしい行為。身に付けている服装より、聴いている音楽より、もっと深いところの嗜好ではないだろうか。


だからこそ「 #本棚をさらし合おう
という、うつくしい作品たちを発見した時。
わたしは思わず息をひそめて、ドギマギしてしまったのだ。



お泊まり会で見た、すっぴんとパジャマ姿。
体育の授業後、女子更衣室の特有の賑わい。
初めてお邪魔する、一人暮らしの部屋。
内緒で開けた、お母さんのクローゼットの中。


一歩踏み入れただけで、それを知らなかったときにはもう戻れないような場所。どうしてだか辺りに薄く薫る共犯の匂い。ひみつの世界。




noteを始めてから、わたしは敢えてまだ自己紹介をしていない。本棚をさらすことがその代わりになれば、とふと思った。

やりたい、やってみよう。




それでは、ようこそわたしの脳内へ。

ここにはいちばんの親友がいて、
胸が詰まるほどのときめきがあって、
かつての哀しみを癒した毛布があって、
今もひりひりする痛みを伴う傷も残っていて。

わたしを構成するいびつで愛おしい欠片たちと、これからもずっと生涯を共に過ごすであろう「わたしの姉」のことを、今日は紹介したい。


画像1


こちらが、わたしの脳内の全貌である。
まず基本的にはどれだけ新刊が気になっても文庫本が出るまで待つ。持ち歩きたいし、何よりお風呂で読みたい。すぐふやかしてしまうので、古本屋で購入することもしばしば。

左上から作者名であいうえお順。
作品は出版社の色分け別。
本の栞紐は出てこないように後ろ表紙に仕舞う。
もう一度読みたいと思ったものしか残さない。

わたしの、(セブン)ルールだ。

ただ、わたしの小学校時代の相棒だった「ハリーポッター」「ダレンシャン」シリーズは収まりきらないので別の本棚にいる。
読み進めるために休み時間のほんの数分でさえも惜しくて、ランドセルに入れて行きたいのに教科書が邪魔だった。
永遠に解けない、魔法と冒険をくれたものたち。


画像2


左上2段。
有川浩、江國香織。


「図書館シリーズ」「塩の街」/ 有川浩
高校生のとき、この有川さんの世界の中が好きすぎてめちゃくちゃ脳内恋愛をした。実写映画を観てからというもの、読み返す度に勝手に岡田准一と田中圭が喋ってくれるから何度でも美味しくて更に幸福感が増している。

江國香織さん
そして前述した「わたしの姉」こそが、江國香織さんになる。もうどうしたって説明が長くなるからこれは最後に回そう。江國さんの段だけ明らかにカバーが擦り切れているのも笑ってしまう。

画像3


左下2段。
奥田英朗、小川糸、恩田陸、角田光代。


「食堂かたつむり」「喋々喃々」「ツバキ文具店」「キラキラ共和国」/ 小川糸
小川さんは、いつだってやさしい。どうしようもなく荒んだ心を、柔らかな暖かい毛布で包んでくれる変わらないわたしの安息地。最期はここに帰ってこようと思えるそんな場所。

「蜜蜂と遠雷」/ 恩田陸
近年読む本は、どうしてもこの作品との勝負になっている。勝てない、あまりに素晴らしい。読後に恐ろしく感動して震えたあの記憶を忘れたくなくて、わたしは多分これからも実写映画を観れないとさえ思ってしまう。

「八日目の蝉」「彼女のこんだて帖」/ 角田光代
角田さんの作品は、読もうとするときにちょっと力がいる。読了感がいいかというと暗くなるものも多い。だけど、読み切ると不思議とまた力をもらえるのだ。

画像4


右上2段。
島本理生、瀬尾まいこ、辻仁成、辻村深月、夏川草介、橋本紡、原田マハ。

「卵の緒」/ 瀬尾まいこ
瀬尾さんの本はすべて大好きだけれど、これは特にいちばん寂しかったときの人生を支えてくれた格別に思い入れのある作品。「おすすめの本は?」という質問が飛んできたときに、年代・ジャンルを問わず読んで欲しいと思うから迷わずこの本を挙げるほど、ほんとうに大切な宝物。

「凍りのくじら」/ 辻村深月
辻村さんシリーズを読み進めたいのに、凍りのくじらが好きすぎて止めてしまっている。結末を知っているのに、時間をおいて読むといつも同じ場所で泣いてしまう。心を解いてくれる一冊。

「神様のカルテシリーズ」/ 夏川草介
誰かに強さとやさしさを貰いたいときは、とにかくこれ。装飾のない真っ直ぐな言葉に背筋がしゃんとする。身体にじんわり染みる処方箋たち。

「本日は、お日柄もよく」「総理の夫」「異邦人」「キネマの神様」/ 原田マハ
何作読んでもありきたりなこの言葉でしか表現できないのだけれど、それでも読み終わる度にいつも思う。原田さんは、天才だ。美術方面には皆目造詣の深くないわたしでさえ、どっぷりと浸かりながら読める。それは原田さんの文才がそうさせてくれているのだと思う。どれも面白い、面白いとしか言えなくて、悔しくなるほどに。

画像5


右下2段。
村山由佳、森絵都、よしもとばなな。


「おいしいコーヒーのいれ方(おいコー)シリーズ」/ 村山由佳
有川さんの図書館シリーズと並ぶ、わたしの脳内恋愛が詰まった長編作。村山さんの26年に渡ったシリーズがついに先日完結!(ということを、これを書きながらまさにたった今知って震えた)
もう、ほんとうにほんとうに堪らなくなる。起こってほしくないことが起こる。でも、たっぷりとかけた時間とともに、いつかは絶対に救われる。そういう人生を等身大で描いてくれる、一緒に育ってきた幼なじみのような作品。

「天使の卵」「天使の梯子」「天使の柩」/ 村山由佳
これもまぁ辛いんだ………。むしろこれを描きあげた村山さんご本人がいちばん辛いのではないかと思ってしまう。相当厳しく辛い話だから、なかなか気軽には読めないけれど、それでも心を強く保ちながら3作読むと、いつも最後にわたしの中でちょっとだけ奇跡が起こる気がするのだ。

「TUGUMI」「キッチン」「ハチ公の最後の恋人」「デットエンドの思い出」「まぼろしハワイ」/ よしもとばなな
あぁ、好きだ。この気持ちが正しく伝わる表現を到底思いつかない。よしもとばななさんの紡ぐ言葉が、わたしはとにかく大好きなのだ。ばななさんの本を読むことは「読書」という行為ではなく、「祈りやおまじない」といった類の神聖な行為にさえ感じてしまう。怖いことがあったとき、暗闇に迷い込んでしまいそうなとき、わたしはいつもばななさんに助けてもらった。これからもきっと一筋の光なのだと信じている。


画像6


そして、最も敬愛する作家・江國香織さん

初めて出逢ったのは確か中学生のとき。当時のわたしはいわゆる、マセた子どもだった。
お小遣いを貰っては古本屋へ行き、一冊100円の文庫本コーナーで、作家「あ」の一番上から「わ」の一番下までを舐めるように横歩きでチェックしては、面白そうな本を選ぶことが何よりも好きな時間で。背表紙の雰囲気、本のタイトル、インスピレーションで沢山の本と触れ合った。
そして見つけたのが、江國香織さんだった。きっと「江國香織」という名前の佇まいのうつくしさに惹かれたのだと、今でも思っている。


初めて読んだのは、「東京タワー」か「きらきらひかる」あたりだったような朧げな記憶があるのだが、いずれにせよ、13・14歳の女の子が読む内容としては余りにも早計で早熟なものだった。
だから最初は、江國香織さんの良さなんて深く理解できていなかったように思う。

それでもわたしはすぐに夢中になった。
それは、江國香織さんがいろんなことを教えてくれるからだった。


両家にとって初孫、長女で弟しかおらず、母は12歳の時に父と離婚して家を離れる、という歳上の女性が全くいない環境で育ったわたしにとって、江國香織さんは「お姉さん」だった。

学校では教えてくれないこと。
誰かに教えてもらうようなことではないもの。
だけど本当は、とても知りたかったこと。


人を好きになると心がどう動くのか?
女同士は何故こうも厄介なのか?
親と喧嘩したくなるのはどうして?
セックスって?自由って?はたらくって?


そんなことが江國香織さんの本には、直接的な回答や表現はなくともぎっしり詰まっていた。
そのおかげもあってか、わたしはえらく耳年増な子に成長してしまった。思春期恒例の恋バナを持ちかけられたときには、江國香織さんの本で見かけた男女間のやりとりが手助けしてくれることもしばしばだった。

あーぁ、隣の家にこんなお姉さんが住んでいたらいいのに、とよく思ったものだ。



そしてもうひとつ。江國香織さんの本に登場する人たちを、わたしはすこぶる愛している。
どの登場人物たちも、世間では一般的とされないような人が多い。みんなどこかすこし非常識で、一癖も二癖もある。だけど、それでいて何にも縛られていないおおらかで伸びやかな人ばかりだ。

我が子を小学校に通わせていない両親、娘を連れて流浪の旅をする母親、同性の彼氏がいる夫を愛する妻、母親の上司と付き合っている娘、元彼の新しい彼女と暮らす元彼女。

「親」「子」「配偶者」「恋人」などという肩書きを生きているのではなく、ただひたすら不器用なほど素直に「自分」を生きている。
そのことが、愛おしくて羨ましくて仕方ない。

そこに登場する人物そのものに憧れや理想を抱くこととはまた違い、「わたしはわたしとして」そうやって生きていたい、とつよく思えるのだ。


江國香織さんの物語には、ハッと息を呑むような展開や凄まじい出来事は決して起こり得ない。どこかでゆるやかに流れる普遍的な日々を描いたものばかりだ。
だけど、人生ってそういうものだと思う。そんな毎日をただひたすら生きてゆくことが、世界のたいせつな営みだったりするのではないだろうか。



・・・



人生で一番好きな本は、と訊かれたら?
「神様のボート」だと、いつも答えている。


そもそも、一番好きだなんて決められない。
気持ちは変わるし、感情はその時によって違う。

だから、先に決めたのだ。
これからもきっと素晴らしい本を沢山読むだろうけれど、わたしは江國香織ファンとして「神様のボート」が一番好きな本だと言おうと決めた。


「あたしが発生したとき……」
そっとしずかに、それでいて心を惹き寄せてやまない始まりが告げるのは、神様のボートに乗った母と娘のあてのない旅の物語。
この本はもはや、どこが良い、とか何が好き、とかの次元を超えた作品だ。とにかく好きだ。何百回読んでも好きなのだ。そうとしか言えない。
江國香織さんのあとがきが、この本のすべてだ。

小さな、しずかな物語ですが、これは狂気の物語です。そして、いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています。





ーーーわたしの脳内は、いかがだっただろうか。

この場所にまだ見ぬ作品が増えることを考えるだけで、しっかり生きなきゃと思える。これからも人生を送ることの、確かな歓びと希望がある。
本を読むことを好きになったことは、ほんとうにすばらしい財産だ。


神様のボートに揺られて。
あてのないわたしの航海は、続いてゆく。



価値を感じてくださったら大変嬉しいです。お気持ちを糧に、たいせつに使わせていただきます。