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神戸と言えば、フロインドリーブ♡

ちょっと前に行った神戸。逢いたい人に逢いにいくと決めて本当に逢えた。行けば逢えるわけじゃないし、約束してても逢えない人もいて。心の底からたくさんの感動と喜びと楽しみをくれた心友。最終日の新幹線に乗るほんとに寸前でこのフロインドリーブの本店に立ち寄って。教会がお店になっているって素敵。ただそういうことではない空気感を感じながらお店に入る。大人気のお店だから駐車場がいっぱいだったら2人で降りることはできなかった。駐車場が1台分開いていて、これは相当ラッキーだよと心友が叫ぶ。次から次へとお客さんがきて、1階のベーカリーも2階のカフェも大賑わい。中庭で待っているのもなんだか時が止まったかのような神秘的な時間が流れているようなそんな空間でした。


ごめん、知らなかった

神戸と言えばこれでしょと心友は言う。百貨店でフロインドリーブの商品を見つけては自分用に購入。家族と一緒に食べるためのお土産に。その時はどのパイにしようかな~って。有名なんだ~ってただ茫然と思っただけだった。最終日に本店に立ち寄ってくれて教会をリノベーションした店内は高級感があふれ姫のような気分になりました。店内はとても清潔で明るくしんぷるだけど気品がありました。どの商品もおいしそうで。一つに選べないほどのパンを食い入るようにみていた。何も調べずに来てしまってごめんね。と思うようになったのは少し日が経ってからだった。


フロインドリーブの歴史

初代ハインリッヒフロインドリーブは、14歳でパン屋の見習いとして働き始め、18歳でベーカーとして10年間ドイツ海軍に従事。30歳を過ぎて徴兵より軍隊に復帰。第一次世界大戦中に日本軍の捕虜となり、日本で迎えた終戦の翌年に敷島製パン(株)の初代技師長に就任。40歳の時、日本の妻と神戸の中山手にフロインドリーブを開店。本格的なドイツパンを日本に広めた第一人者となった。後にNHK朝の連続テレビ小説の「風見鶏」(1997年10月3日~1978年4月1日まで)のモデルになり全国にその名が広がりました。第二次世界大戦中に神戸大空襲により店舗が入った建物が全焼。隣接地に土地を借りて終戦の翌年にやっとの思いでお店を再開。1951年、ドイツで製菓を学びマスターの資格を取得した息子ハインリッヒ2世が日本に帰国し2代目社長に。初代から受け継いだパンやパイやクッキーなどの洋菓子にも力を注ぐ。1990年では3代目の代表が就任。その5年後、阪神淡路大震災が発生し休業状態に。しかしお店の再開を願う多くの人々の寄せ書きに励まされた社長が奮起して5か月で営業を再開。思案を重ねて折に目に留まったのがヘラ社長夫婦が結婚式を挙げた場所、旧神戸ユニオン教会。現在は元協会の神秘的な雰囲気の中で伝統ある自慢のパンを使用したサンドイッチやカフェがオープンして連日大賑わいになっています。

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神戸最終日の変える直前に立ち寄ることができたフロインドリーブの本店。1階のベーカリーで心友がおいしい栗のパンをプレゼントしてくれました♡今度行ったときは2階のカフェでゆっくりしたいね。


教会の入り口を抜けると中庭へつながる道とお店に繋がる自動ドアに遭遇

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伝統のパンとパイとクッキーは入り口を入ってすぐ右で購入できます。右奥に見えている階段は2階のカフェスペースへと繋がっています。


コーヒーとともにフロインドリーブのミニパイ

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miniサイズのパイとコーヒーがとてもおいしくて感動しました。

これを見てあの教会を思い出し、

このパイを食べながら心友と過ごした日々を思い出す。

食べてしまうとなくなるけれど写真によっていつでも思い出せる時代に生きることができて本当にうれしい。

見たいものしかみていない。

海も山も独り占めできる環境のなかで生きている、心友を誇りに思う。


フロインドリーブの歴史に触れたことで、フロインドリーブの大ファンになり、神戸がさらに近く感じる。

これからもこの伝統が続くように心からお祈りしています。



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