- 運営しているクリエイター
#ロバートツルッパゲとの対話
自分の能力に対する親バカ。
『ロバート・ツルッパゲとの対話』を書いて一番スッキリしたのは、「ビジュアルとは言葉である」という、映像の文学性について言及できたことだ。
言葉を意識せずに写真を撮ることができないのは、科学的な事実だと思っていたんだけど、そこに「温度」「情念」「言葉にできない」みたいなシュガーコーティングをほどこすオカルトな人がいる。
もちろん、映像で温度や情念も描けると思うんだけど、ビジュアルは言葉の定義に隷
雨の日に行くコンビニ。
写真を勉強している人から「写真を教えて欲しい」と言われた。
俺は勉強する人が好きなので、教えるなんていうのは僭越だけど、疑問に思うことがあれば答えると言っておいた。学ぶ人は、悩むことができる人だ。自分に何かができないということがわからなければ、進歩はない。
こういうときにいつも感じるのは、天性の才能とか持ち前のセンスなどではなく、どんな分野においても、「今までいかに勉強してきたか」に尽きると思
家庭用と業務用の言葉。
ブリゴキには、家庭用と業務用がいる。黒くてデカいのと、薄茶色くてカラメル味の方。俺はカミングアウトしちゃうけどブリゴキが苦手なんです。人生の中で積極的には関わりたくないと思っている。駅を出た瞬間から脱線しましたけど、本題は「家庭用と業務用」について。
8年くらい前、「音楽をやっている人は面白いことが多いが、コピーライターの言葉のセンスは業務用だから、あまり面白くない」とTwitterに書いたこと
メイクにうるさいニーチェ。
たとえば、ソクラテスやプラトンが生きているときに俺が写真家をしていたとして、撮影を頼まれるとする。それはエキサイティングなことだよな。
「同時代性」というのはどうにもならないから。ソクラテスは今の人に置き換えると誰だろうと思っても、ちょっと比較のしようがない。社会の構造が変わっちゃってるからな。
シェイクスピアみたいな文学者にしても、今の小説家とは意味が少し違う。現在というのは、有史以来の過去
子どもが生まれて「お子さんは男の子ですか、女の子ですか」と聞かれた親が、「それは将来、この子が決めるでしょう」と答えたという。LGBTとはかくも深みのある話なのだ。