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旅するBD-1、東海道五十三次をポタリング

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東海道五十三次を4泊5日で折りたたみ自転車BD-1で走破した記録を、宿場ごとに記事にしています。自転車もしくは徒歩で東海道旧道を旅したい人の参考になれば幸いです。
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#自転車

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_39:知立宿

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_39:知立宿

DAY 4 12:33_知立宿 2018.3.26の記憶●食欲を満たすには国道1号線で

矢作川を渡って、岡崎宿の浮世絵ポイントで撮影したあとは、国道1号線に並行した東海道旧道を西へ。

しかし、どうやら血糖値が下がってきた模様です。常に体を動かしているせいか、いつもより空腹感が半端ありません。「食欲」を満たさないことには、BD-1の旅は先へ進めないのです。

こんなとき、旅情あふれる旧道にはコン

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_41:宮宿

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_41:宮宿

DAY 4 14:39_宮宿 2018.3.26の記憶●ひつまぶしは、思い出の中でだけで

名鉄常滑線のガードをくぐると、右手に伝馬町一里塚が見えてきます。そのすぐ先が都々逸発祥の地。宮宿の江戸方もちょうどこのあたりになります。

このまままっすぐ進みたいとろこですが、伝馬町駅前の県道225号線は中央分離帯に植え込みがあるために、信号のある場所まで迂回する必要があります。

無事に県道225号線を

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_42:桑名宿

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_42:桑名宿

DAY 4 17:38_桑名宿 2018.3.26の記憶●伊勢国の入り口に到着

国道1号線で揖斐川を渡って、夕暮れの川沿いを1kmほど走ると、桑名宿の浮世絵ポイントに出ます。

宮宿から桑名宿までの海路の距離がおよそ七里(約28km)あったので、七里の渡しと呼ばれていました。舟でどれくらいの時間がかかったのか知りませんが、弥次郎兵衛がその間にトイレに行きたくなったときのことを心配するくらいですか

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_45:庄野宿

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_45:庄野宿

DAY 4 21:43_庄野宿 2018.3.26の記憶●宿場のほうが真っ暗な現在

真っ暗な道から再び国道1号線に合流。街路灯の明かりを頼りに、サドルバックから登山用ヘッドライトを取り出し、来たるべき夜道に備えます。というか、むしろ遅かったくらい。

ヘッドライトを首に提げ、いつでも手元を照らせる準備をして再スタートです。石薬師宿から庄野宿まではあっという間。

国道1号線へは側道から右車線に出

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_46:亀山宿(night)

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_46:亀山宿(night)

DAY 4 22:26_亀山宿 2018.3.26の記憶●やっぱり旅は事前情報なしに行く派です

庄野宿から亀山宿までは、8km弱の距離。撮影しなければ、30分ほどで4日目の走行は終了です。そう考えると、暗い夜道をただただ走る行為も、それほど辛くはありません。ただし、東海道旧道沿いの見どころは、暗闇のためにまったく気がつくこともなく通り過ぎるだけです。

現代の徒歩もしくはポタリングでの東海道旧道

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_47:関宿

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_47:関宿

DAY 5 9:25_関宿 2018.3.27の記憶●関宿は観光地として勝ち組の宿場です

鈴鹿川沿いの道は〈小野川橋東詰〉で国道1号線に合流。160mほど進むと関宿と書かれた大きな看板が見えるので、1号線から右に分岐します。

道幅の狭い東海道旧道を進んでいくと、左手に関一里塚と鳥居が見えてきます。ここが関宿の江戸方、この先1.8kmほど宿場が続きます。

1984年に国の重要伝統的建造物群保存

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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_48:坂下宿(鈴鹿峠)

旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_48:坂下宿(鈴鹿峠)

DAY 5 11:08_坂下宿(鈴鹿峠) 2018.3.27の記憶●鈴鹿峠はいつも旅人と話す場所だった

宿場町には連子格子の建物だったり、かつての街道筋だったことを連想させる雰囲気が残っているものです。しかし、坂下宿にはそうした残り香がほとんどありません。確かに、沿道沿いに民家が増えますが、それは山間の道路を走っていれば普通にある集落と一緒です。

もともと小さな宿場だったならば気にもなりません

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