野入 つき

小説を書いています 趣味の域です どうか暖かく見守って下さい

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最近の記事

連載小説 「影跡」 ⑧

       8  救急搬送されてから六日後に退院し家に帰ってみると、案の定、朔がここにいた証は何も無かった。 彼の洋服や靴、歯ブラシや食器に至るまで、何一つここには無かった。全ての部屋のカーテンを開けるため寝室に行くと、クローゼットの扉に喪服が掛けられていた。喪服を着た記憶もなければ、出した記憶も無い。私は喪服をクローゼットの中にしまった。そして何事もなかったように、洗濯物を洗濯機に放り込み、ガスコンロに置かれていた、腐って悪臭を放つおでんを捨てた。部屋中に腐敗した強

    • 連載小説 「影跡」 ⑦

      7  意識がはっきりした時、私は病院のベッドにいた。雪の夜に家の前の道路で意識を失い倒れていたところを運ばれたそうだ。所持品を何も持っていなかったので、病院としてはどこにも連絡出来ず、仕方なく警察に通報したとの事だった。そのあと警察の方がやってきて色々話を聞かれたが、運ばれた前後の記憶が無いので、自分の名前や住所、職業や職場の名前を答えるぐらいしかできなかった。栄養状態が極端に悪かったので、念のため全身を精密検査するのと、薬物使用の嫌疑がある

      • 連載小説 「影跡」 ⑥

            6  その日は昼過ぎまでの診療だったので、帰り道にスーパーに寄り、おでんの食材を買い揃え、三時ごろから下準備に取り掛かった。一通り下拵えをし、大根、卵、蒟蒻、スジ肉、じっくり煮たいものから煮汁に入れる。キッチンに椅子を持ってきて、だし汁を沸騰させないように火加減をみながら、読み終えず長い事そのままにしていた小説を読んだ。お風呂に入る時も、鍋はとろ火にかけたままにした。  気付くと時間は夜七時を回っていた。タコや練り物を入れ、そこからまたしばらく煮込んでいく。  朔か

        • 連載小説 「影跡」 ⑤

                5   二人での生活はとても穏やかだった。  私の住んでいる部屋は三階建てのマンションの三階で、住んでいる人も割とちゃんとした人が多い印象だった。通りからも少し離れていたし、夜遅くに大声で騒ぐ人もいない。1LDKだがそれぞれの部屋は大きめで十分な広さがあり、その分家賃も割と高い。バルコニーは少し小さいが、洗濯物を干すには十分なスペースだった。夏に出猩々もみじのミニ盆栽を買ってバルコニーに置いてみたら、朔が意外と喜んで手入れしてくれた。ネットで調べて丁寧に剪

        連載小説 「影跡」 ⑧

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        • 連載小説「影跡」 ①
          1本

        記事

          連載小説 「影跡」 ④

                 4  その夜、私たちはどちらからともなくお互い求め、一線を越えた。  朔は私の体の、頭の先からつま先に至るまで、隅から隅まで口づけをし、ゆっくりと観察し、何かを確かめるように全身を撫で、体位を変えながら優しく何度も挿入し、そして何度も愛してると言った。その日私は人生で初めてオーガズムに達した。彼はそんな私の恍惚の表情を、ずっと視線を逸らすことなく見ていた。初めはそんな風に自分が見られている事が気恥ずかしいと思っていたが、次第にそれが私をより深い興奮へと駆り立

          連載小説 「影跡」 ④

          連載小説 「影跡」 ③

                  3  彼の祖母が亡くなったのは再会から半年ほどした、少し肌寒くなってきた頃だった。それまで月に一度の通院に、必ず彼は付き添いとして私の勤める病院に来ていた。待合からキョロキョロと私を探しながら、見つけては変な目配せをする。ただ目配せが下手過ぎていつも笑ってしまう。 最後のひと月は入院生活だった。家の中で転倒し、腰を骨折したのだ。持病があったため祖母はみるみる衰え、結局最期は敗血症で亡くなってしまった。  祖母の死後、しばらくの間彼からの連絡が途絶えてい

          連載小説 「影跡」 ③

          連載小説 「影跡」 ②

                  2  大人になった由良木朔という男は、簡単に言うと悪魔であった。  透明感ある肌と優しく美しい顔立ち。スラリとしたスタイルに柔らかいふわふわな髪をして、目をくしゃくしゃにして笑う。これだけでも十分悪魔な訳だが、その柔らかい雰囲気とは相反してかなりの毒舌である。毒舌という言葉が可愛く聞こえるぐらいに口が悪い。思ったことをそのまま言葉にする。「まずい」「くさい」「気持ち悪い」「ブス」「デブ」この世の悪口はすべて彼の口を経由してきたのではないだろうかと思うぐ

          連載小説 「影跡」 ②

          連載小説 「影跡」 ①

                   1  当時私は、神奈川県の総合病院で小児科の看護師として勤務していた。三次救急を扱っていた為、それはそれはハードな病院で、毎日サイレンが鳴り緊急搬送がなされていた。私は小児科の病棟担当看護師であったため、救命の対応に駆り出されることほとんど無かったが、夜勤の日に子供が運ばれて来たりすると応援のような形で呼ばれる事もたまにある。が、それは例外で、多くの場合病棟看護師は救命処置の現場では足手まといになるので極力関わらない。それは関わる全ての人の為に。  私の

          連載小説 「影跡」 ①

          連載小説 「影跡」序章

                   序章  その日は静か過ぎる夜だった。  私は部屋の窓から外の景色を眺めていた。と言うより、ただ見ていた。ゆっくりと柔らかく奥ゆかしく誰にも悟られまいとするかのように雪が降っている。降っているという言葉が似つかわしくないほどに。暗い闇の隙間から白く光る小さな綿のようなかけらが落ちて来る。無論この後積もるつもりもないので、地面に着けば何事も無くただ消えゆく。まるで地下深くへと吸い込まれるかのように。そしてそれは、この世界のすべての音を包み込み、地面へ

          連載小説 「影跡」序章