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連載小説 「影跡」 ⑥

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 その日は昼過ぎまでの診療だったので、帰り道にスーパーに寄り、おでんの食材を買い揃え、三時ごろから下準備に取り掛かった。一通り下拵えをし、大根、卵、蒟蒻、スジ肉、じっくり煮たいものから煮汁に入れる。キッチンに椅子を持ってきて、だし汁を沸騰させないように火加減をみながら、読み終えず長い事そのままにしていた小説を読んだ。お風呂に入る時も、鍋はとろ火にかけたままにした。
 気付くと時間は夜七時を回っていた。タコや練り物を入れ、そこからまたしばらく煮込んでいく。
 朔からの連絡はまだない。
 十一時を過ぎて、流石に私もお腹がすいてきたので味見がてら大根を頬張る。薄茶色に色づき、透き通った大根。美味しい。ビールも飲みたくなったが、そこはグッと我慢する。ついでに蒟蒻も食べてみる。しっかり味が染みて、これなら朔も喜んでくれるだろうと思った。そして一度火を止めた。

 携帯が鳴る。
 時計は午前四時を指していた。どうやら私はソファーで眠ってしまっていたようだ。見慣れない番号だった。私の鼓動が一気に激しくなった。電話の相手は聞き覚えのない声だった。

 朔はホテルの非常階段で発見された。外に出るための階段で、冷たい風が吹きつける中、二階と三階の間の踊り場で倒れていた。見つけたのはホテルの警備員で、発見されたとき既に息はなく、死後硬直が進んでいた。        朔がなぜそこで倒れていたのかは分からない。本当に抜け出そうとして、こっそり非常階段から帰ろうとしたのかもしれない。もしくは気分が悪くなって外の空気を吸いに出たのかもしれない。彼が非常階段に出るところを誰も見ていないし、何ならパーティ会場から出るところすら見ていない。パーティがお開きになる時、朔がいないことに気づいたマネージャーが、彼に電話を掛けたり辺りを探したりしたが見つからなかったので、途中で帰ったのだろうと思いその場を離れたそうだ。
「あの時僕がちゃんと探していれば。」
電話の相手はそう言った。私は何も言葉が出てこなかった。
 救急搬送された病院の医師によると緊急性気胸だろうとのことだった。気胸とは、何らかのきっかけで肺に穴が開き、空気が肺の外に漏れ出てしまう病気だ。わずかな穴であっても息苦しくなり、健康な人間でも処置が遅れると命に関わる。片肺の無い彼にとって、気胸は命取りだ。おそらくとてつもなく苦しかったに違いない。
 私は非常階段の踊り場で冷たくなっている朔の姿を想像した。そして子供の頃テレビで見た、雪の女王のアニメを思い出した。雪の女王に気に入られたカイがさらわれ、それを幼馴染のゲルダが助けに行く話。確かアンデルセンの童話が原作だったと思う。再会したカイはまるで氷のように冷たく、雪のように白く、一緒に遊んでいた頃のカイとはまるで別人になっていた。
 昨日の朝まで朔は温かかった。その前の夜はいつも通り二人で抱き合い丸まって眠っていた。いつものように彼の胸に耳を付け、鼓動を聞いていた。彼の肉体には温もりがあり、彼の血は体中をめぐっていた。
 ところが一日も経たないうちに、彼の鼓動は動きを止め、その血は流れを止め、筋肉はまるでただの塊のようにそこにあるだけだった。それは余りにも非現実的で、受け入れ難い事実であった。私はこのまま気が狂うのではないかと思った。それほど強い混乱の渦の中にいた。私の胸は、本当に穴が開いたのではないかと言うほど強く痛み、その痛みは肩や喉、頭にまで拡がる。息が上手くできず意識が遠のく。周りが歪んで見える。電話の向こうでは誰かがまだ何か話しているが、耳鳴りのせいでよく聞こえない。『痛い』と口に出してみようと試みたが、声は出ない。ただ言葉とも呼べない呻き声が出るだけだった。もう、彼の大きくて美しい手に触れることも、彼の柔らかい髪に触れることも出来ない。そんな日が来るなんで誰が想像しただろう。私も、そして朔も。
 私にはそれ以降の記憶がほとんど無かった。その日電話を切った記憶もない。仕事には行けなかったが、職場に連絡したかどうかの記憶もない。職場から何も言って来なかったので、恐らくしたのだろう。トイレに駆け込み、形のないものをひたすら吐いた。何時間もトイレの床に座り込み、喉に詰まった何かを取り除くために吐き続けた。でも何度吐いても一向に楽にならなかったし、喉の痞えは取れなかった。頭はまるで何かで殴られたかのように重く痛んだ。そして這いつくばって寝室まで行き、やっとの思いでベッドに横たわり、そこから現実と夢の間をただただ彷徨う。そんな事をずっと繰り返していた。
 ほらやっぱり。別れとは唐突にやってくるのだ。私が「幸せ」だと口にした途端、運命の渦が動き始める。一度発生した螺旋は、どんどんと勢いを増しその水が枯れるまで消える事は無い。まるで私の心を砕くタイミングを狙っているかのように絶妙の頃合いで襲ってくる。いつだってそうなのだ。幸せなんて生きている途中で感じるものではない。死ぬときになってやっと「あぁ、幸せな人生だったな。」と思うのが最善なのだ。そうしなければ、人は翻弄され、引きずられ、流される事に抗えず、また振り出しに戻るしかないのだ。
 そんな事を考えながら、何日も私は眠っているのか起きているのかも分からないような混濁した世界の中を徘徊していた。

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