まるでコロナ禍はコロニー化の仮面のようだ。胸が痛いよ。
『名は体を表す』/『仮面の告白』
ここに来て初めて記事の中でコロナの名を使う。
これまでは話題の病原体の名前なんてコロナでもチワワでもバナナでもいいような気がしていたし、疫病なんて何も珍しくない、取るに足らないものだと思っていたから。
でも今日やっと、その名の必然性に気づいた気がする。
【コロナ:corona】
ギリシャ語の王冠。太陽のまわりに真珠色の淡い冠状の光として見えるもの。
【コロニー:colony】
植民地。共同体。同じ種類の動植物が共生する集団。
ラテン語colonia:古代ローマの植民地における最も高い地位の都市。
この2つの単語。
ただ響きが似ているだけであろうか。
ニュースを見れば毎日のように「コロナ禍、コロナ禍、コロナ禍」と騒いでいる。
私は無意識下でそれを「コロニー化、植民地化、奴隷化」と確かに聞き取っていたことに気づいた。
そうか、最近の違和感、不快感の正体はこれであったかと思った。
まるで、コロナ禍とはコロニー化ではないか。
悔しいが、しかし同時に、
なんだそんなことか、それなら何も変わりゃしないなとも思った。
今ままでも日本の地は十分、植民地であった。
アメリカのまたはイギリスのあるいは天皇のもしくは世界全土のかも知れないが。
ここでまた君主が変わるだけのことだ。
帰依する先が変わるのだ。
価値観が変わるのだ。
善悪が変わるのだ。
どう変わるのか。それはすべて「あちらさん」しだい。
コロナ禍はこれを示唆しているように思う。
なんだそんなことか~、と言えなくもないが、
これは確かにそんなことなのだ。
コロナは収束しない。
万が一、試行錯誤を重ね収束にこぎ着けたとしても、
それは同時に姿を変えて、コロニーたる勲章となるのだ。
つまるところ、コロニーは収束しない。
逃げ場などどこにも残されていないのだ。
さて、では我々は何の奴隷なのか。
これは憶測にすぎないが、
おそらく我々はこれまでもそしてこの先もずっと、
信仰の奴隷、思想の奴隷、存在の奴隷なのだ。
人間の「文化」「尊厳」「人間らしさ」が手を変え品を変え、人間を隷属させ続けているにすぎないのではないか。
これは俗に言う、人間疎外に他ならない。
知識人はこれを「宇宙人の侵略」だとか、
「陰謀論のせい」だとか言って責任逃れを企むが、
その無から有を生み出す独善性と創造性こそが「人間性」ではないだろうか。
陰謀があったとして、宇宙人がいたとして、
それは人間が内心で望んだことが実体化しただけのことだろう。
我々はいつだって「良いと思うこと」によって内的に管理され、
「良いと思うもの」によって外的に管理される。
コロナ禍、コロニー化を斥けたいのであれば、
自分の中の人間性をとことん排斥するしかないと思う。
みんなで非人間的な新人、真人、神人にでもなるか?笑
ハハ、笑えねぇな。
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